【インタビュー前編】渕正信が初の著書『王道ブルース』に込められたメッセージを熱く解説!「新日本プロレスに飲み込まれまいと必死だった」

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■初の著書「王道ブルース」は、馬場さんと鶴田さん、猪木さんに夢中になった世代や若い世代に「こんな歴史があった」「真相はこうだった」と知って貰いたくて書いた

 全日本プロレスひとすじ48年の渕正信が、団体創設50周年を記念して出版した初の書籍「王道ブルース」(徳間書店)。発売後2週間で重版が決まるなど好評を博しているという。「バトル・ニュース」では著者の渕にインタビュー。本に込めた思いや、書き切れなかったエピソード、現在の全日本プロレスに期待することを聞いた。


――初の著書「王道ブルース」が好評ですね。発売2週間で重版が決定したとか。
「いろいろな人のおかげだよね。会場でサイン会を開いてくれた全日本プロレスのスタッフ、本のPRをしてくれてる出版社の人、わざわざ購入して宣伝してくれた石川修司やブラックめんそーれたち全日本のレスラーに感謝していますよ」

――周囲の反響はいかがですか。
「友人たちも『面白かった』と言ってくれますよ。読みやすくて、内容がスッと頭に入ってくるそうで。ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さん、アントニオ猪木さんをテレビで見て育ってきた人たちは『本の中に出てくるのを読むだけで懐かしくて、嬉しい』と。俺も思い出深い話を選んで書いたので『読み応えがあった』と言って貰って嬉しいよね。プロレスラーとして48年間やってきて、本で初めて明かした話もあるし、馬場さん、鶴田さん、猪木さんたちの戦いに熱くなった人たちには読んで貰いたいし、若い世代にも『プロレスにはこういう歴史があった』と知って貰いたいよね」

――読者からの意外な反応はありましたか?
「よく聞くのは、鶴田さんが病気をした後のことかな。鶴田さんは長期間の欠場から復帰を果たすけど、医者から激しい運動を止められていて、練習や試合で無理が出来なかったことは知られていないんだよね。『怪物・ジャンボ鶴田』のイメージがあまりにも強くて、鶴田さんがプロレスを引退したり、突然亡くなってしまったことに『え、どうして?』という思いがファンにあったんだろう。本を読んで『鶴田さんが体を悪くして、苦しんでいたんですね』と言われますよ。あとは、馬場さんが猪木さんについて『悪口は一切言っていなかった』ということ。私もよく飲み会で聞かれて『馬場さんと猪木さんは本当は仲が悪くなかったんだよ』と話していたんだけど(笑)、本を読んで『改めて、馬場さんと猪木さんの本当の関係が分かりました』と言われるよね」

――馬場さんと猪木さん、馬場さんと鶴田さんの会話が本の中に出てきますが、その場にいた渕さんにしか書けないことですね。そもそも「王道ブルース」を書こうと思ったきっかけは何ですか?
「全日本プロレスは創設50周年という節目の年だからね。プロレス団体に限らず、1つの会社が50年も続くことは大変なことですよ。俺も、幸運にも全日本プロレスひとすじで来られたから、何か記念の年に感謝の気持ちを残せたらいいなと思っていた。それで、俺が実際に見たり聞いたりしたことや、馬場さんと鶴田さんからどんなことを教わって、どんな会話をして、ということを思い出しながら執筆したんだよ。スムーズに進んでいたんだけど、新年早々に新型コロナに罹って人生初の入院をすることになってしまった(苦笑)。それでしばらく中断しなくてはいけなくて発売が遅れてしまったんだけど、こうして無事に完成してよかったですよ」

■「鶴田は練習しない」と言われても、鶴田さんは笑って「まあいいじゃない」

――本の中では、ジャンボ鶴田さんに関して定説になっている「練習をほとんどしなくても強かった」や「自重トレーニングだけで、ウェイトトレーニングはしなかった」といった話を否定されていますね。
「当時は、全日本プロレスと新日本プロレスがバチバチとやり合っていた時で『全日本プロレスのレスラーは受け身だけで、練習を全然しない』なんてよく言われたものだよ(苦笑)。そういう中で『鶴田はまったく練習をしない』という話も出てきたと思うけど、鶴田さんはそんな風に言われることを楽しんでいる部分があったんだよな(笑)」

――楽しむ、ですか?
「俺たち若手は『毎日毎日、こんなに練習しているのに!』とカリカリしていたし、この本にも実際に全日本プロレスの道場でやっていた練習のことを書いたけど、鶴田さんだけは当時『まあ、いいんじゃない』って笑っていたんだよ。鶴田さんは自分の実力に絶対の自信を持っていたから『リングの外で何を言われようが、試合を見れば分かるだろう』という態度だった。『いつか対戦してみれば分かるよ』という気持ちもあったかもしれないし、実際に鶴田さんとはそんな話をしたんだよね。当時は鶴田さんもまだ20代で、俺より3歳上だけど、馬場さんの影響で鶴田さんはずっと大人だった感じがあったよね」

――馬場さんも「練習するのはプロとして当然。何を言われても反論するな」と全日本プロレスのレスラーに言っていたと本の中にありました。
「当時、外国人レスラーで『俺はこんなに練習しているんだ』と言っていたのはカール・ゴッチぐらいなんだよ。他の一流レスラーは『リング上がすべて』という考えで、馬場さんと鶴田さんも『練習なんてプロとして当然。人に見せるものではない』という考え方だった。そのことは、俺がアメリカ修行に行って、実際にアメリカで世界の一流レスラーたちを間近に見て『馬場さんと鶴田さんが言っていたのはこういうことか』と分かった。試合会場に来たらみんな静かに控え室で出番を待っている。練習は各自で済ませて、練習する姿はほとんど見たことがなかった」

■大量離脱で「二人だけの全日本プロレス」に。「新日本プロレスに飲み込まれまいと必死だった」

――ところで、全日本プロレスが創設50周年を迎えて、渕さんにはどんな思いがありますか?
「感慨深いよね。だって、いろいろとあったでしょ(笑)。マスコミには何度も『全日本プロレスは崩壊の危機』と書かれて、そのたびに乗り越えてきたんだから。やっぱり一番の危機は、馬場さんも鶴田さんも亡くなって、中継していた日本テレビが離れて、俺と川田(利明)だけになった時だろうな」

――2000年の三沢光晴さんや小橋建太さんらの大量離脱ですね。
「俺は新日本プロレスのリングに上がって喧嘩を売りに行ったんだけど、あの時は十人中九人に『全日本プロレスは新日本プロレスに飲み込まれる』と言われたよ」

――二人だけで、新日本プロレスの大勢の選手たちとやり合うのはどうしたって不利な状況ですよね。
「でもね、川田とは『少しは意地を見せてやろう。簡単に潰されてたまるか』とよく話していたよ。何とか馬場さんの作った全日本プロレスの看板を守らなくてはいけないと必死だったし、その思いは川田にも、馬場さんの奥さんの元子さんもあっただろうし。何とか二人だけで看板を守って、他団体やフリーの選手たちが助けてくれたり、少しずつ選手が集まって。目の前のシリーズをやり切ろう、次は馬場さんの三回忌をやり遂げよう、とみんなで頑張って、何とか『全日本プロレス』を存続させることが出来たんだよ。そうやって迎えた50周年だから、やっぱり感慨深いよな……」

(後編「幻のモハメド・アリ対ジャンボ鶴田。その前哨戦としてアリ対渕正信!?」に続く)

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