【コラム】昭和の全日本プロレスが蘇る!5月16日大田区総合体育館大会参戦の越中詩郎、高杉政彦、仲野信市インタビュー

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4月9日(金)大阪・エディオンアリーナで開幕する全日本プロレス・2021チャンピオンカーニバル。5月3日の後楽園ホールで優勝者が決まるが、その13日後の5月16日(日)には大田区総合体育館にて三冠ヘビー級選手権がおこなわれる。チャンカン優勝者は三冠王座生誕の地である大田区総合体育館にて、三冠王座戦を戦うこととなりそうな気配だ。全日本にとって久々となるそんな大田区総合体育館でのビッグマッチに、ジャイアント馬場さん時代の全日本で活躍した三名のレスラーが登場する。

越中詩郎、高杉政彦、仲野信市。

同大会でおこなわれる『ジャンボ鶴田メモリアルマッチ』に登場する各選手に話を聞いた。

まずは越中詩郎。もともと越中は1978年に全日本プロレス入門。ジャイアント馬場さんの付き人を務め、ジャンボ鶴田さんに鍛え込まれるなど、レスラーとしての原点はまぎれもなく全日本にある。

――全日本参戦はいつ以来でしょうか
越中「何年か前の青森むつ大会(2018年10月18日)以来だね。あのときはずっと昔に全日本を辞めて以来だった…かな?もう色々あったからよくわかんないけど、とにかく大田区は本当に久しぶりの全日本だね」

――現在はどのようなペースで試合をされているのでしょうか
越中「いまはこんな時代だから、プロレスもなかなかキツイよね。月に一度か二度くらいのペースでゆっくりやってるよ。今月は3試合入ってるけど」

――大田区大会では『ジャンボ鶴田メモリアルマッチ』に参戦となります
越中「鶴田さんは、自分が全日本に入ったときの寮長だったんだよ。一つ屋根の下で暮らしたから、いまとなっては本当に貴重な経験だったよね。試合で戦ったことはないんだけど、馬力が凄かった。それはもうケタはずれだよ。巧いし、強いし。昔、真夏の大阪府立体育館でカメラもたくさん入って気温50℃くらいの中、鶴田さんの曲が鳴ったから控室へ呼びにいった。そしたら『じゃ越中くん、いこうかねえ』って、笑顔で、なんでもない感じでリングに向かって。そのままビル・ロビンソンと60分戦っちゃったことがあったんだよ。気温50℃の中。そのときは本当に凄い人だと思ったね。今回はそんな鶴田さんのメモリアルマッチだけど、全日本はこんな厳しい時代なのにしっかりと存続し続けている。それだけでも本当にたいしたことだと思うよ」

次に、高杉政彦(※かつての『正彦』から現在は改名)。1981年国際プロレス崩壊後、メキシコを経て、1983年にマスクマンのウルトラセブンとして全日本プロレス入団。大仁田厚らと抗争を繰り広げ、その後はラッシャー木村、鶴見五郎、剛竜馬、アポロ菅原らと国際血盟軍を結成。全日本マットで暴れまくった。

高杉「全日本は昭和62年8月に平塚大会の興行権を自分が買って試合もして以来だから、30年以上ぶりになるのかな。それ以降も全日本の選手では同じ国際出身だったマイティ井上さんとは親交があったね。横浜で飲んだりして」

――国際プロレス出身では高杉さんが唯一の現役選手となります
高杉「6年ほど前に湘南プロレスを旗揚げして、毎年8月に大会をやってきてます。今年は湘南プロレスではないけど、小さなインディーでも試合しましたよ」

――最近の全日本については
高杉「弟が文京区役所に勤めていて西村(修)くんと仲がいいみたいで、ときどき全日本を見に行ってるみたいです。自分はスポーツ新聞でプロレスの記事を見るくらいですか。それでも最近の全日本は良くなってきているというか、盛り上がってきているという話は周囲からよく聞いてます。諏訪魔選手とか、頑張ってるようですね」

――今回はジャンボ鶴田メモリアルマッチに参戦となります
高杉「自分が全日本に入った頃はいい時代でした。大きなガイジンもたくさんいて。馬場さんが提唱していた王道とは、プロレスの王道とは、アメリカンプロレスのことですよね。相手の良さを引き出し、自分の良さも見せつける。国際プロレスから全日本に移ってきて、どちらも基本はアメリカンだから全日本は国際の延長だと感じました。本当にやりやすかった。鶴田さんは、アメリカンプロレスの王道でした。本当にプロレスが巧かった。相手の技を受けて自分の技で仕留める。自分が活躍できた昭和という時代では、鶴田さんはダントツでした。久々の全日本、本当に楽しみですね」

そして最後は仲野信市。仲野のデビューは新日本だが、1984年に長州力らと共にジャパンプロレスとして全日本へ乗り込んで以降は1990年まで在籍。2代目タイガーマスク(三沢光晴さん)らと決起軍を結成、渕正信から世界ジュニアヘビー級王座(第7代)を奪取、高野俊二とアジアタッグ王者(第52代)に輝くなど、全日本マットにおいて錚々たる実績を誇った。さらに、仲野といえば『ジャンボ鶴田をキレさせた男』として名を残し、顔面へ浴びせたドロップキックに怒り狂った鶴田さんのバックドロップでKOされたことでも知られる。この試合は、ジャンボ鶴田最強伝説への引き金にもなった。そして、仲野が新日本プロレスで斎藤弘幸(ヒロ斎藤)を相手にデビューした会場は、奇しくも(旧)大田区体育館である。

――仲野選手は2001年に無我のリングで一度引退されていますが、その後の経緯を教えてください
仲野「2001年に藤波さんの無我で引退したんですけど、2014年に信州プロレスで復帰しました。その間の13年間、プロレスのことはほとんど追っていませんでした。プロレスに興味を失ったわけではないんですけど、本当に仕事が忙しくて。時間的に余裕がなかったんですね。それが東京から長野に引っ越して。信州プロレス代表のグレート無茶から『仲野さんに協力していただきたい』と連絡をいただきまして。私なんかでも、住んでいる地域を盛り上げれるのならそれもいいのかな?と。それが7年前のことです」

――5年前の2016年1月9日には全日本の長野・伊那大会(中島洋平と組み渕正信&佐藤恵一と対戦し勝利)にも参戦されています
仲野「あのとき全日本さんから連絡をもらいまして。住んでいる土地の大会に私が出ることでなんというか…少しでも盛り上がれば、というか…こういう人も住んでるんだな、と活気付けられたらいいなと思いまして。そのときは26年ぶりの全日本でした。26年前はハンセンやゴディなど大きなガイジン選手がたくさんいましたが、そのときの恵那大会には確かガイジン選手はいなかったと思います。それでも、迫力のある大きな日本人選手がたくさんいました。それは私の全日本に対するイメージでもあって、プロレスはまず第一にデカさ。デカい者同士によるぶつかり合いに醍醐味があります。それが全日本。そして、そこの軸は全くぶれていませんでした」

――今回はジャンボ鶴田メモリアルマッチへの参戦となります
仲野「正直に言いますが今回お話をいただいて、東京で試合をすることには抵抗があったんです。私はあくまで長野限定でプロレスをやろうと思っていたので。しかし鶴田さんのメモリアルマッチだと聞かされて。もしも鶴田さんの名前がなければお断りさせていただいたと思います。やはり『ジャンボ鶴田をキレさせた男』というイメージもあったし、それがきっかけでプロレス界で出てこれた自分でもあったと思うので。それならば出させていただこうと。鶴田さんは大きくて本当に凄い人でした。『あの事件』のとき、鶴田さんはメインイベンターで私は若手でしたから。そんな中、まぐれで鶴田さんの顔に私のドロップキックが思い切り入ってしまいまして。その後の鶴田さんの猛攻で、もう途中で完全に意識が飛んでしまっていました。そのときの映像ですか?いえ、一度も見ていません(笑)。ですが、こうしていまでも見た人の記憶に残っているということは、私のプロレス人生でもやはり貴重な一戦だったと思います」

ジャンボ鶴田メモリアルマッチに集う、昭和全日本プロレスで活躍した三選手。5月16日、全日本にとって久々のビッグマッチとなる大田区総合体育館大会は、現在進行形だけでなく全日本の長い歴史をも包括した、来たる50周年へ向けてのプロローグ的大会となりそうだ。

文…日々樹アキラ

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