【ゴマシオ親父のつぶやき】アントニオ猪木と親しくなって40年近くになる

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 2019年、令和元年がまもなく終わろうとしている。俺がプロレスと関係をもったのが昭和末期の旧ソ連を相手にアマレス選手のプロレス転向を果たし、モスクワでの平和祭典を開催した。早いもので、もう30年以上も経ったのか、とトシを感じざるおえないね。
 そして俺の「プロレス人生」が本格的に開始したのが平成元年のプロレス東京ドーム初進出だったな。「ソ連が来た!闘強導夢」と銘打ったが、これが大成功した。そして俺は本格的に新日本プロレスに入ったんだ。そんな中で「永島とプロレス」に絶対欠かせないのは何といってもアントニオ・猪木との二人三脚だな。親しくなって40年近くなるのかな。感動もあれば悔いもある長い年月だが、これも俺の人生の中での歴史に残るものである。

 海外でいえばイラク・バクダットでの平和の祭典(湾岸戦争開始直前)、中国ハルピン、そして北朝鮮の38万人を集めた平和イベント。米国ロサンゼルスのオリンピックオーデトリアムでメキシコも参加したWWWF(現WWE)、WCWの主役クラスを集めたイベントと続いたな。その間には、あのモハメド・アリとの親交もあり、今でも記憶に残っているよ。中でも北朝鮮ピョンヤンの大会にアリが参加してくれたのは、それこそ歴史的な快挙だったかな。
 そして今、令和元年が終わる時に、一つ俺自身が心に残したのが、そんな猪木との親交が最近途絶えた状態であることだ。最近では猪木4人目の夫人となった、橋本多鶴子さんが亡くなった際、最後に線香の一本もあげたかったが、それもならなくなった。俺が名古屋でのゴルフイベントの時に多鶴子さんを猪木に紹介したのが始まりで、彼らは付き合うようになった。以後、北朝鮮をはじめ外国遠征にも彼女を同行したものだ。それが・・・・・

 何が原因なのかは未だに真相は不明だがね。そりゃ人間、長いこと生きていればいろいろ変化していくのは当然だし、俺もそんなに気にしていないが・・・・やはり淋しいことではあるけどね。猪木自身の体調のこともあるだろうし、彼自身のプロレスとの係わり感が違ってきたこともあるよね。
 令和2年目に入る来年が、日本のプロレス界も大きな変化をもたらす時になるだろう。新日プロは米国をはじめ、欧州への進出も本格的になると思う。そんな中で他のプロレス団体がどんな路線を打ち出してくるのかも興味深い。
 そこで猪木の存在だよ。一時の力は弱っているとはいえ、猪木は不滅だ。今こそ彼の力に頼ってもいいのではないか。やはり猪木の企画力、アイデアは相当レベルの高いものだと思う。そりゃ好き嫌いはあるだろうが。なんとなく一つの年代が終わるにあたって、俺の脳裏に浮かんだのがアントニオ・猪木だ。またあらためて猪木と俺の想い出は書くが、今日はとりあえず一つの進言としておきたい。みなさん、良いお年をお迎え下さい。

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