【会見全文】ストロングスタイルプロレスに藤田和之とケンドー・カシンが参戦!初代タイガーと新間寿の秘蔵っ子・舞海魅星が東京女子でデビュー決定!

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 23日、“初代タイガーマスク”佐山サトルによる『ストロングスタイルプロレスVol.2』に関する会見が行われた。

 ストロングスタイルプロレスの第二回大会は6月20日に後楽園ホールで開催されることが決定。第一弾決定カードとして『船木誠勝&スーパー・タイガーvs藤田和之&ケンドー・カシン』が発表された。
 会見には新間寿、佐山サトル、平井代表が出席。

平井代表「6月20日、後楽園ホール大会におきまして第1弾カードとしてメインイベントを発表させていただきます。スーパー・タイガーと船木誠勝選手がタッグを組みまして、相手は藤田和之選手、ケンドー・カシン選手。このタッグマッチをメインイベントとさせていただきます。前回初代タイガーマスク佐山サトル、ストロングスタイルプロレス第1弾を経て第2弾を行うにあたりまして、ストロングスタイルが出来るプロレスラーは誰かと相談しまして、うちのスーパー・タイガー、船木さんがということが決定し、その相手として誰がストロングスタイルの相手にふさわしいかと検討しまして、藤田和之選手ケンドーカシン選手、この二人と対戦することになりました。藤田和之選手はリアルジャパン初参戦となります。ケンドー・カシン選手は2年前、3年前に3回出場経験があります。前回ケンドー・カシン選手は、2017年3月にリアルジャパン大会におきまして関本大介選手が船木選手と組みまして、カシン選手と石川雄規選手にて対戦しております。その他のカードに付きましては後日発表とさせていただきます。本大会開催に当たり、初代タイガーマスク佐山サトル総監よりご挨拶をさせていただきます」

初代タイガー「本日お集まりいただきましてありがとうございます次回大会はストロングスタイルが復活ということで、この試合が組まれることになりました。いい試合に必ずなると思いますので皆さんご期待してご来場ください。我々は追い風にさらされております。新間寿がWWE殿堂入りしたということと、かねてより目をかけていた魅星ちゃんがデビューする事になりました。全面的に応援してリアルジャパンの大会を盛り上げていきたいと思います」

――初参戦となる藤田選手の印象は
初代タイガー「タックルですね。タックルを生かしてプロレスをやっているということは大変なんですけど、地味なんですけど速さにびっくりすると思います。タックルとスーパーの蹴りがあたったら大変なことになっちゃうと思うのでそこを見ていただきたい」

――佐山サトルさんが藤田さんを指導したことは
初代タイガー「そういうのはなかったですね。仲いい友達でしたね。猪木イズムはわかってると思うんでやる必要はなかった」

――カシン選手の印象は
初代タイガー「カシン選手はストロングスタイルではオールラウンダー。アマチュア・レスリングのバックボーンがあり猪木イズムを継承していてうちにぴったりかなと。カシン選手がスーパータイガーの、あるいは船木選手の打撃技にどう対応していくかは見ものですし打ち破っていく二人の姿を見たいと思います」

――タイガーのレジェンド王座の防衛戦からだいぶ空いているが、二人が挑戦者になる可能性は
初代タイガー「やらしてみたいですね。是非やらしてみたいです」

――藤田選手とカシン選手のどういう部分からストロングスタイルが感じられますか?
初代タイガー「基本技ですね。基本技を徹底してやってくるというのは一番大切なことだと思いますのでそれプラスプロレスをやらなきゃいけないということとどれだけ進化しているか。基本だけじゃ駄目なので」

――最近の試合は
初代タイガー「いや見てないです」

――かなり前ですか?
初代タイガー「そうですね」

――当時の藤田は
初代タイガー「さっきも言ったようなタックルから、それしかなかったイメージなんですがそれらを打破して今があると思うのでそれを見るのが楽しみです。パワーも問題なくありますからね」

――この二人だと面倒なことが起きると思うが・・・
初代タイガー「リング外の面倒なことは平井さんで慣れてるので、うちは一生懸命対処できると思います(笑)また平井が歌うかもしれませんのでよろしくお願いします」

――平井さんは慣れてらっしゃいますか?
初代タイガー「4人も対処したんだから大丈夫だと思います」
平井代表「今回の試合はストロングスタイルということで、藤田選手と組みますケンドー・カシン選手は戦いのことのみでこちらに向かっていらっしゃると思いますので」

――ストロングスタイルは反則内蔵型だが、藤田選手は暴走ととらえている
初代タイガー「ガチガチの試合やるのがストロングスタイルと思われてますが違います。男と男の戦いをはじめてハラハラ・ドキドキするのがストロングスタイルだと思いますので、平井さんも経験しておりますので、その方が期待しますよね平井さん。路上で殴られましたからね。そこに期待したいですね。単なるガチガチの試合は誰も期待しないと思いますが、そこに脱皮できるかですね。破壊されたいですね」
平井代表「リングの戦いにご注目いただけたらと思います」

 続いて東京女子プロレスでデビューする舞海魅星の会見へ。東京女子プロレスの甲田哲也代表と舞海魅星が会見場へ現れる。

平井代表「続きまして発表されていただきたいと思います。2011年3月、東日本大震災が発生いたしました。その時うちの会長であります新間寿は何が出来るかということを佐山総監と考え、まずその年の夏に復興プロレスということで岩手の復興プロレス興行を開催し、少しでも元気を届けたいという気持ちがございました。そして、翌年2012年5月に新間会長、佐山総監は山口県下関の巌流島におきまして巌流島大会を行い、宮本武蔵、佐々木小次郎400週年を記念した戦いでありました。その大会皆さんにも取材していただき、大変告知いただいたんですが、新間寿会長はその時に、東日本大震災、岩手県の方から、10人の被災地の親子を招きまして、是非元気になっていただきたいということで佐山サトル総監の試合、長州さん藤波さんの試合を見ていただきました。その後、10人の親子の中の一組の親子、母娘様がいらっしゃいまして、この8年間、ずっと新間会長と交流を続けて、その子は柔道を長年続けており、将来は佐山先生のようなプロレスラーになりたいということで、中学高校と研鑽してまいりまして、昨年高校卒業して東京に、プロレスラーになることを夢見て出てきました。その子がこのたび、5月3日、DDT、東京女子プロレスさんの興行におきましてデビュー戦を行うことが決定いたしましたのでご紹介させていただきます」

舞海魅星「本日はこのような機会を設けていただいた新間さん佐山さんありがとうございます。今紹介していただいたように、自分は巌流島に招待していただいた時から新間さん佐山さんと交流してきました。自分が初めて生で観戦した試合も震災のチャリティーマッチで、周りは震災で悲しみとかがあったんですけど、試合を見ている間はみんな元気で、盛り上がって応援してたのがはじめの印象です。その後も、自分はプロレスがすごい好きで、自分自身もつらいこととかあった時もプロレスを見たら元気になって、その瞬間だけは忘れられるなとずっと思っていました。これからは、自分がそう感じてきたように、自分の試合を見て、元気になってくれる人がいたらいいなと思っています。そして東北を始めとする方々に元気を届けていけたらいいなと思っています」
初代タイガー「中学生ぐらいから魅星ちゃんはすごく義理堅く連絡とってくれて、新間さんなんかは目の中に入れても痛くないぐらいの存在です。その魅星ちゃんがプロレスをやりたいと言った時はびっくりしたんですけど、その後の活躍ぶりというか積極性というかプロレスラーを目指してというのは、僕が新日本プロレスに入ろうとした苦しい時代を思い出させるような全く同じです。魅星ちゃんはかわいいので必ず成功させてあげたいと、チャンピオンにして岩手の希望になってほしいし、また名前が舞海というのは、被災地で海を見た時、綺麗な海を見て感動したのが舞海で、その舞海とつけたというのは今日聞いてすごく感激し、立派なプロレスラーになるようにとことん初代タイガーマスクが応援していきますので皆さんよろしくお願いします」
甲田代表「今日リアルジャパンさんの記者会見の場でこういう時間を作っていただきまして、佐山総監、新間会長に感謝しております。いまご紹介ありましたように、魅星はリングネームの方、舞海魅星になりました。リングネームは本人がプロレスラーを夢見ていた高校生の頃から自分で考えていたリングネームで、その夢が5月3日に叶うということで、舞海魅星というプロレスラーの誕生を多くの方に見ていただきたい。是非皆さんご来場いただくようよろしくお願いします」

新間寿「一番最初、東日本に行った時は本当に大変でした。佐山サトルはある芸能人のいろんな形での、今日はカレーを今日はうどんを今日は焼きそばをというような、ある有名な芸能軍団の活躍がテレビに毎日映し出されました。私達はそういうことをやるべきではない。そして、見舞いに行き、宮本武蔵、佐々木小次郎の400周年記念に、日本の先端を結び合う、下関と宮古市は、海に面しているという都市であるという、そういう縁でもって、宮古市が震災にあったときに、何十人の職員が手伝いに行った?そして私達もいきました。今考えていることというのは、私もタイガーも、途中で気がついたことは、慣れてしまっている。震災慣れしている。被災者慣れしている。そういう事してもらって当たり前だと。ああご苦労さんご苦労さん、私達が行くと上から目線でもってご苦労さんと。そういう指導者がいるところに行くのやめようと。そこで喋っていることは、私がその人に言った事がありました。何を喋っているのかと。震災の模様を体験したことを後世の人に語ることを天から選ばれた語り部であります、そういうことを等々として被災者の代表として喋る方がおりました。その被災地を語る人に、あんたはどういうつもりなんですかと。あなたはお願いされてこういう仕事をしていると、ムラムラときましてね、じゃあ亡くなった人はどうなんですかと。質問したら返事は返ってきませんでした。
 同じようにあるテレビで、灯台を見に行っていた有名な方がおりました、南の端の灯台を見ながら出征をした人たちは日本を旅立った方々は帰って来れないと思いながら発っていった、戦争は悪いこと悪です。一番戦争は悪かった、なぜか、日本が負けたからそういうことになってしまっている、勝っていれば勝てば将軍ですよ。
 魅星をなんで私達が応援するようになったか、さっき魅星が説明したように、5組の親子を私ども招待しました。5組の親子は、翌日にはきちっとした形で佐山サトルと宮古市で送り返しました。礼状が来たのはここの魅星ちゃんのうちだけでした。皆さん信じられますか?100万というお金をかけて、岩手県から私とタイガーと友人、3人が自分たちのお金でもって招待しました。帰りにはこれで買い物してってくださいと小遣いまで渡しました。しかし送られてきた礼状というのはこの魅星ちゃんの家庭だけでございます。そのまま待っておりましたら、今までに8年経っても、一枚の暑中見舞いもなければ年賀状もありません。
 浅田次郎という人に書いた小説の中に、南部の桜は石を割って咲き、盛岡のこぶしは北を向いて咲く。こういう厳しい土地で、南部の人々は立派に生き抜いたんだとありました、石が割れたから桜が咲いたんだよ、こぶしがただの勘違いで咲いたんじゃないかと思いました。佐山ちゃん、震災だからとボランティアやるの辞めようじゃないかと。5月5日巌流島の3週間前で心臓の大手術をしました、身体が具合悪くて行く気になりませんでした。それでも岩手から子どもたちが参加してるんだ。長州と藤波と初代タイガーマスクがやるんだ。絶対行こうと私は下関いきました。私が頼りにする友人がお金が払えなくて、再三請求がありました。最後には市長の秘書からお金払わなかったら告訴しますよとこういう電話が入りました。岩手の人っていうのは、石を割って咲く桜ではなく人の真心を割って咲く桜、そんな中で本当にその桜で岩を割って石を割って咲いたのがこの魅星、この家族だと思います。私たちは東京女子プロレスさんにお願いして魅星をよろしく頼むと、一日も早く頼むと、5月3日その機会を与えてくれて嬉しく思っております。
 しかし日本人と言うのは、耳に心、恥という物を忘れてはいけないと、そういう国民でした。来るものはいただき、頂いたものを忘れっぱなし。そういう世の中に今はなってきています。しかし私とタイガー、世界各国まわって、日本ほど素晴らしい国はないと。日本人ほど誇り高き民族はいないとこれからも続けていきたい。
 女子プロレスに初めて初代タイガーと新間寿が送り込む魅星ちゃんであります。東京女子プロレスの方でも必ずや彼女が言ったように、岩手の星となって、岩手の皆さんの元気に自分がリングで見せたいんだと、そういう気持ちを私は今一度彼女に託したいと思いました。私とタイガーが、私は今平井を一生懸命育てております。リングに上がれば平井平井という大歓声が湧き上がる。そういう平井が一生懸命になって魅星を我が子のように、と言うとおかしいですけど、平井も兄弟のような思いで持って彼女を育て慈しみ、身をもってこれからのタイガーと成長を見守っていきたい。いつかどっかで私も岩手のことを言いたかった。タイガーが一生懸命になってどれほどお見舞いにいったのか。最後に言いたいんですけど、このおとなしいタイガーが、ふざけるな!って言うことで思い余ってある机を左の拳で力任せに叩きました。左の拳が血だらけになりました、それだけの思いをしながら通い続けたのがタイガーマスクであります。連れていったのは新間寿であります、その悔しさ、私自身も思っております。岩手には二度と行きたくないという思いもありました。魅星という未来に舞って輝くお星になるように、魅星を託したいお思います」
初代タイガー「130%応援します」
新間寿「新間は喋りすぎだと言われておりますが、今日は巌流島以来の心臓手術して100mも歩けないところにいました、下関におけるある方たちの口車に乗せられて、私は家内を東京から呼び寄せて、家内に恩返しができるんだと呼び寄せました。その約束は全くの口約束で何もしてくれないのが下関の一人の人がおりました。耳に心、恥を知らない人間がこの頃増えてきたと思います。長広舌申し訳ありませんが心の一端でございます。ありがとうございました」

――佐山さんは魅星ちゃんに指導したことは
初代タイガー「まったくないです。将来は指導してみたいなと思います」

――所属は東京女子?
初代タイガー「リアルジャパンは女子やってないんで。平井さんが危ないんでそれはやめようと(笑)」

――東京女子プロレスを選んだ理由は
魅星「基本的な動きができてる選手が多くて、リング上で憧れる部分の他に、日常的な部分でちゃんとしている選手が多くて、挨拶ができる、靴が揃えられるとか、そういう人間的な部分が大切だと思っているので、そういうところができてる選手が多いなと。そういう点で入門したいと思いました」

――将来的にリアルジャパンのリングは
魅星「あがらせていただけるならば」
初代タイガー「あがらせるよ。平井さんには気をつけてね」

<初代タイガーのデビュー記念日について>
■質疑応答
――今日、デビューから38年経つが、改めて当時の思いを振り返ると?
初代タイガー「まず新間さんからイギリスに電話がかかってきて。『映画を撮るから帰ってこい』と言われて。『タイガーマスクの映画だ』と言われて、『ちょっとタイガーマスクの映画では帰れません』みたいな話をしていて。新間さんから毎日のように電話がかかってきたんですね。ちょうどウェンブリーアリーナでのマーク・ロコ選手とのタイトルマッチが重なっていたものですから帰れなかったんですけど、最後は『1試合だけやることになった。猪木の顔を潰すことになるから絶対帰ってこい』と。その言葉に弱いんで。新間さんは殺し文句を知っているんですね。それで、帰ることになりまして。1試合だけだと思って、ホテルで渡されたのが例のマスクなんですけど、シーツにマジックで書いたマスクなんですが、新間さんは僕に毎日電話して呼んでいる都合上、『素晴らしいマスクじゃないか』って言うんですね。僕はわからなかったから、『素晴らしいかな、これ』と思ってたんですけど、被ってみたら視野が全然ないマスクで。試合当日、マントが届いたんですけど、新間さんと物置小屋に閉じ込められてて。そこでまた新間さんがマントを開いて、『素晴らしいじゃないか、このマント』って。ちょうどこの紙しかないようなマントなんですけど。で、試合場に入る時に、お客さんから野次が飛んでいるのが凄くよく聞こえるんですけど、新間さんがリングサイドにいらっしゃってて、『お前、リングに上がったら、そのマントをすぐ取れ』って怒られちゃって。早くイギリスに帰りたいなあっていう試合だったですね。試合が始まったら、ダイナマイト(・キッド)があまりにも凄いんでビックリして。お客さんの反応はイギリスに比べたらなかったんで、『これはしょっぱい試合なのかな?』と思ったんですね。ところが、ダイナマイトの反応が物凄いんで、こっちも必死です。それでああいういい試合になったんですね。初めてのダイナマイトとの試合だったんですけど。そういうマイナス面とプラス面はわからないような試合だったんですね。それを38年間経った今でもみんな覚えててくれてて、未だに言ってくれる。新間さんの業績というのは凄いんじゃないかなと思いますね」

――タイガーマスクという名前について初めて聞いたのはイギリスだった?
初代タイガー「その時です」

――あくまでも映画の撮影のためと?
初代タイガー「最初は映画って言われたんですけど。テレビでしたっけ?」

――それで試合をするとは思ってなかった?
初代タイガー「試合の2週間ぐらい前まで思ってなかったですね。最後のほうで1試合やることになったからっていうふうに。で、ウェンブリーアリーナのほうの試合をキャンセルさせてもらって、プロモーターを説得して帰ってきたんですね」

――タイガーマスクとしての試合なのか。それとも佐山サトルなのか、サミー・リーなのか。どういう気持ちで試合に臨んだ?
初代タイガー「タイガーマスクは意識できなかったですね。サミー・リーがラウンド制ではなくて、必死に日本流の試合をやっていたみたいな感じです。あまりにもダイナマイトの圧力が凄いんで、それにタジタジだったというイメージがありますけどね。こっちが余裕を持っているという感じで印象に残っているかもしれませんけど、僕は必死でした。余裕を見せるということもプロレスの技術だと思うんで」

――自分がタイガーマスクだと意識したのはいつ頃?
初代タイガー「意識したのは3、4試合経った頃からですかね。あまりにもお客さんのフィーバーが凄いんで、『これはイギリスに帰れないんじゃないかな?』と思いました。僕は新日本プロレスに入った時も新間さんにお世話になっているんですね。新間さんに連絡して、新間さんが入れてくれたようなものなんですけど。で、今度はタイガーマスクも新間さんなんですよね。運命を感じます」

――1試合目が終わった時点では「これでイギリスに帰ろう」という気持ちだった?
初代タイガー「観客の反応がイギリスと比べるとなかったんですね。みんなビックリしたとあとで言われたんですけども、日本は大人しいんですね。イギリスはバックキックをしただけで総立ちになるような状態だったんですけど、それがなかったんで、『なんだ、普通の試合をやったんだな』と思っていて。それにしてもダイナマイトの圧力が凄すぎるなとは思ったんですけど。で、早くイギリスに帰ろうと思って、控え室に入ったら、記者の方が凄かったんです。ウワーッと来られたんで、『あれ? いい試合だったのかな?』と自分でそう思い始めたんですね」

――イギリスに帰れないと聞いた時はどんな気持ちだった?
初代タイガー「戻れないかどうかはまだわからなかったです、その時は。『もうちょっといろ』みたいな話をしてたとは思うんですけど。あの頃、新日本プロレスはいろんなところで注目されてました。桁が違うってことですよね。あの当時、入門したくて、プロレスラーになりたくて、新間さんに手紙を送ったりとか、毎日電話したりとか、いろいろしてたけど、それが魅星ちゃんと重なるんです。魅星ちゃんも一生懸命頑張って、入門して、デビューまでこぎつけて。これは凄いと思います。だから、将来楽しみです。その気持ちを忘れないでね。38年も経ってこれだけ反応があって。この間もサイン会を開催したんですけど、ファンの人が『やっと会えた』って泣いてくれたりしてくれて。凄い責任を感じますね。本当にありがたい人生です」

――海外から届いたファンレターにもデビュー戦の話が書いてあったが
初代タイガー「ありがたいですね。今はYouTubeとかが普及しているので、未だに若い人が…。この間、DVDを見てファンになったという子がいましたね。ありがたいです。よくタイガーマスクとは佐山さんにとってなんですかって聞かれるんですけど、新日本プロレスの結晶だと思っているんですね。先ほど猪木さんのストロングスタイルと言われましたけど、それで育ってきたんで。若手時代の一番大切な時期に新日本プロレスで育ったというのは非常に大きな僕の肥やしになっていると思いますので。それを誇りたいと思います」

――デビュー戦の時の「佐山」という野次は聞こえた?
初代タイガー「聞こえました。なんていうんですかね、みんなわかってても応援してくれるというのはありがたいですね。当時、僕はタイガーマスクのイメージがまったくわからなくて、サミー・リーをやるしかなかったんですけど、新間さんの新間ワールドの中にはイメージが何かあったんでしょうね。あれを新日本でやるというのは考えられないことだと思いました」

――梶原一騎先生はどんな人だった?
初代タイガー「梶原一騎先生は優しかったイメージしかないです。凄い優しかったです。僕だけお小遣いくれますしね。『タイガーよく来たな』って目を細めて言ってくれるんで、優しかったですね。いい思い出です。ファンの夢は潰せないですね。プロレスファンは暖かいです。熱いですしね。プロレスって夢がありましたよね」

“初代タイガーマスク”佐山サトル『ストロングスタイルプロレスVol.2』
日程:6月20日(木)
開始:18:30
会場:後楽園ホール

▼メインイベント スペシャルタッグマッチ60分1本勝負
船木誠勝(フリー)/スーパー・タイガー
vs
藤田和之(はぐれIGFインターナショナル)/ケンドー・カシン(はぐれIGFインターナショナル)

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