永島勝司編集長特別寄稿『馬場元子さんとの思い出~全日本プロレスと新日本プロレスの対抗戦秘話~』

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 故ジャイアント・馬場さんの夫人で、全日本プロレスの元社長であった馬場元子さんが14日、肝硬変で亡くなっていた。俺がその訃報を知ったのは23日の早朝、友人からの電話だった。俺より3歳上の78歳だったが、昨年9月頃から連絡がとれなくなっていたので、ずい分心配していたが、何とも「不覚」だったな。最後にひと目会いたかっただけに無念だ。

 俺と元子さんが初めて会ったのは、俺が全日本プロレスとの対抗戦を企画した時だった。当時の週刊ゴング社長でもあった、故竹内宏介氏の仲介で、後楽園飯店だったな。元子さんは、いきなりこう来たもんだ。「あなたが噂の永島さんですか。仕掛人とかタヌキ親父とか言われていますが、本当にタヌキなんですか?」
 俺もすぐに切り返したね。「あなたが馬場さんをウラで仕切っていた女・馬場さんですか。初めてお目にかかれて嬉しく思います。今日は竹ちゃんに頼んで無理をしていただきました」

 俺は早速全日本プロレスとの対抗戦の話を始めた。元子さんはすかさず「なぜ三沢くん達のノアではなく、川田と渕しかいない全日本なんですか?普通なら戦力的にみても、ファンにとっても新日本とノアの対抗戦が魅力と思うんじゃないですか?タヌキの本心を教えて下さい」と超核心の部分に入ってきたものだ。
 俺は出来るだけわかりやすく答えるために言った。「ノアには全く魅力を感じません。俺がどうしてもやりたかったのは、ジャイアント・馬場さんの全日本が相手の闘いなんです。元子さんはその全日本の社長であります。川田と渕の二人だけの軍隊でも十分勝負出来ます。だって馬場元子夫人の全日本じゃないですか。まあお任せ下さい」
 その時、今でも思い出すのは、元子さんの目の輝きだった。「よし、勝負になる」と意を強くしたものだ。当時の全日本プロレスの状態がどうだったかは、俺にもわかっていたが、俺は弱点を突くつもりはなど毛頭なかった。「わかりました。永島さんにお任せします。後は渕くんと話をして進めて下さい。よろしく。あなたは決してタヌキではなかったわね。ごめんなさい」元子さんと握手をして約2時間の「歴史的」会談は終わった。

 俺は竹ちゃんに言ったことを覚えている。「あの人は才人だよ。猪木と馬場という新日本対全日本の歴史の重さをわかってくれた。と言うより頼もしさを感じたよ。よし、これでこの対抗戦は大成功するよ」と。
 それ以後、俺は六本木の全日プロのオフィスを訪問する機会が増えた。とある時、「永島さん、この社長の椅子を空けてありますよ」と切り出した元子さん。俺は大笑いしてその場を逃げたが、後で渕に聞いたが、元子さんは彼に万札を何枚も渡して「永島さんはお酒が好きだから、タップリ飲ませてあげてね」と言われたそうだ。そんな気もつく人だったんだ。
 新日本と全日本の対抗戦は、両国国技館での、渕のリング上からの「闘い宣言」をスタートにして大成功した。俺は川田と渕という両選手に感謝するのはもちろんだが、元子さんに抱きつくほど超感謝をしたものだ。
 その後、元子さんの自宅のある恵比寿のマンションを、俺は初めて馬場さんの仏前に報告するために訪問した。その時、元子さんの嬉しそうな涙を初めて見た。俺は何とも言えない達成感を味わったのを今でも覚えている。

 対抗戦が終わった後も、俺は元子さんと何度もお会いした。俺の身体のことを心配して、ハワイで購入したビタミンEをその都度プレゼントしてもらった。元子さんは、酒は飲まなかったから飲ん兵衛の俺の身体を気遣ってくれた。電話ではちょくちょく話をさせてもらったが、いつも「飲み過ぎはダメよ」と必ず念を押されたな。
 元子さん、本当にありがとう。少し早い気もしますが、天国で馬場さんと楽しくお過ごし下さい。そして俺にまたアドバイスを下さい。
ご冥福をお祈りします。 合掌

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