「アントニオ猪木vsストロング小林さんの試合、たくさん見てください」故・ストロング小林さんを初代タイガーマスクが追悼!

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 17日、東京都・後楽園ホールにて『初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.15 ―“怒涛の怪力”ストロング小林追悼興行―』が開催された。

 今大会は、ストロング小林さんの追悼大会として実施。
 小林さんは国際プロレスでデビューしIWA世界ヘビー級王座を戴冠するなど活躍し世界中にその名を轟かせた。そして新日本プロレスのリングでは、1974年3月19日に“禁断の対決”と呼ばれていたアントニオ猪木との日本人vs日本人のトップ対決を実現。この闘いは“昭和の巌流島決戦”とも呼ばれ、伝説の一戦として今もなお語られ続けている。
 そして、1984年のプロレス引退後はタレントに転身し、“ストロング金剛”の名でお茶の間の人気者となっていたが、2021年12月31日に81歳で亡くなっていたことが今年に入ってから報じられた。

 この追悼大会は、“過激な仕掛け人”新間寿会長が小林さんの自宅に2ヶ月毎日通い、遺族と話し合いを重ねた末に実現。
 大会中に行われた追悼セレモニーでは、新間会長が「アントニオ猪木vsストロング小林の一戦は、私のプロレス人生の中で、最高の試合でございました。ストロング小林という選手は、類まれなる力と、そして人の悪口を言わず、家庭内は円満にして、しかし一度6m40のリングに上ったその時には、燃える闘魂をしのぐ闘魂がありました。最後の1分間の中に、私のプロレス人生、そしてタイガーマスクを生み、多くの人々を生んだ原点がこの試合でございました。皆様と一緒にストロング小林さんの冥福をここで祈りたいと思います。今日は本当にご来場ありがとうございました」と挨拶。


 初代タイガーマスクこと佐山サトルも「ストロング小林さんは大先輩です。私がタイガーマスクの問にずっと一緒にいさせていただき、非常に優しい方で信じられないぐらい純粋な方で、このような方が居なくなるなんて未だに全く信じられません。ビデオいっぱい残っていますので、師匠・アントニオ猪木vsストロング小林さんの試合たくさん見てください」と小林さんの死を悼み、10カウントゴング。
 その後は小林さんに向けて、ご親族へ新間会長、佐山サトル、北沢幹之さんよりご仏前と感謝状が手渡された。

 セレモニーを終えた新間会長は、初代タイガーとの総意として「プロレス界の物故者、高山善廣さんのように長期療養している人たちになにかお手伝いをしたい。私とタイガーマスクが考えている、残りの人生をそういうことのために、このプロレスという素晴らしさを後世に残していきたい。そういう思いでいっぱいであります」と熱い胸中を語った。

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