【ジャイアント馬場23回忌追善興行開催記念インタビュー】渕正信 「三回忌興行を成功させ、もう一年、もう一年でやってきた。いまは自然体で試合ができるんですよ」
2月4日(木)東京・後楽園ホールにて「「ジャイアント馬場23回忌追善興行」が開催される。不世出の大レスラー、ジャイアント馬場さんの訃報から22年。23回忌の特別興行には、全日本と新日本が協力。もちろん、昭和の全日本を彩った名レスラーも多数参戦することになっている。なかでも渕正信は、現在も現役としてリングに上がり続け、しかもかつての馬場さんのようなポジションで全日本のファンを沸かせているのである。2・4後楽園では全日本出身のベテラン選手が集う8人タッグマッチに登場。試合への意気込みを含め、馬場全日本時代の思い出などを聞いてみた。そして、「グー」か「パー」かの秘密まで!?(聞き手:新井宏)
――2月4日、後楽園ホールで馬場さんの23回忌追善興行が開催されます。馬場さんの23回忌と聞いて、いかがでしょうか。
「そうですね、ありふれた言葉で申し訳ないけど、長いような短いような。ねえ。まず馬場さんが亡くなったとき、僕は45歳で、いま67歳。とうの昔に馬場さんの亡くなった年齢を越えていますからね。1998年の1月23日には後楽園で馬場さんの還暦試合(馬場&三沢光晴&マウナケア・モスマン組vs川田利明&小橋建太&渕組)で相手をさせてもらえたんだけども、それからホントにまるまる23年。なんというか、いまそうやって聞かれると、あらためて馬場さんのいない全日本で、よくこうして生きながらえてきたなと。馬場さん、還暦の試合のちょうど一年後に亡くなったんですよね。99年の1月31日でした」
――渕選手は日本プロレスの馬場さんに憧れてレスラーを目指したとのことですが。
「僕らのときはね、日本プロレスのエースが馬場さんだったんですよね。猪木さんは東京プロレスにいって、日本プロレスに復帰した。馬場さんは豊登さんの後を継いで日本プロレスのエースだったんですよ。僕は、馬場さんのファンだったんです」
――日プロがなくなってしまったので、入門は全日本でした。そのときに初めて馬場さんと会ったのでしょうか。
「会いましたね。それが初めて。昭和48年(73年)の3月ですね。感激しましたよ。焦って
早口であいさつしたのを憶えてますよ。馬場さんは悠然と構えて、『そうかそうか』って感じで聞いてて、笑って応対してくれましたね」
――入門してすぐにデビューできたんですよね。
「僕はね、全日本に2回入ったんですよ。1回目が昭和48年(73年)3月でしょ。一年おいて昭和49年(74年)4月にまた入ったんです。父親の病気でね、一回、北九州の地元に帰ったんです。それでまた戻ってからは、早くデビューができたんですね。一回目の(入門した)ときにはバトルロイヤルがあって、急きょリングシューズもなにもなく裸足で出たのは憶えてますけど、翌年に戻ってからだいたい2週間くらいでデビューしましたね」
――バトルロイヤルがデビュー前のプレデビュー的な感じですね。
「シングルじゃなく、バトルロイヤルですからね」
――本格デビューが昭和49年(74年)4月22日、大仁田厚選手とのシングルですね。
「そうです」
――一度地元に戻ってから、あらためてデビューを果たしていかがでしたか。
「夢がかなったということですよね。自分のヒーローだった人の団体に入れて、入門テストも受けましたし、やっとデビューできて、そこから新弟子ですよね。雑用もあるし。まあ、そのときにはいろんな理由があるんですけど、一回やめた人間がまた戻ってきた。だったらここでやってやろうと、そしていずれはチャンピオンになるんだ、くらいな思いがありました。練習とか試合とかきつかったけれども、まあ若いからね、やはり青春真っ只中。ホントに希望に満ちた感じでやってましたね」
――それ以後のキャリアで、渕選手は何度も世界ジュニアのベルトを奪取しました。
「まあ、入門してから10年以上経ってからの話ですけどね(笑)」
――通算で5度の世界ジュニアヘビー級王者。全日ジュニアのトップとして活躍しました。
「アメリカ遠征行ったあとだし、その頃にはもうある程度キャリアも積んでましたけどね。とにかく当時は、いろんな選手とけっこうやってましたよね。けっこう自信を持っていた時期でしたよ」
――外国人選手も豊富で、新日本にいたジャパンプロレスの選手も全日本のリングに上がりましたよね。
「そうそう、そういう選手も来ましたからね。日本人、外国人関係なしに試合してた。ホントにきついなかでもやりがいがあって、こんな言い方していいのかわからないけど、ホントに楽しい期間でした。お客さんも熱狂してましたしね」
――すごい時代でしたよね。
「そうでしたねえ」
――その後、渕選手は悪役商会とファミリー軍団の楽しい抗争にも加わるようになりますけども。
「アハハハ」
――馬場さんは一線から一歩引いて楽しいプロレスの方にスライドしていきました。そこで渕選手は、馬場さんとも闘いましたよね。
「そうですね。いまでも憶えてますよ。たとえば、89年の5月、後楽園での6人タッグであたったんですよ。そのときに馬場さんに腕を極められてねえ。アームバーを極められたんだけども、そういえばよくこの技をデストロイヤーが食ってたなあとかね、不謹慎ながらもやられながらも思い出すわけ。そしたら脚の力がまだまだ強かったからグイグイと脚から締め付けられて、腕を伸ばされちゃうんですよ。試合をしているんだけど、ヘンな感激がありましたね(笑)」
――痛みを感じながらも感激していたと。
「レスラー特有の不思議な感情でしょうね」
――憧れた選手に技をかけられるのは、けっこううれしかったりするものらしいですね。
「そうです(笑)」
――「明るく激しく楽しいプロレス」が全日本のキャッチフレーズでした。
「そのときはまだ僕もチャンピオンだったんですね。ジュニアの防衛戦をやりながらファミリー軍団の試合をしたり。なおかつ、グングンと若い選手が伸びてきて、三沢とか川田とか伸びてきた時代。彼らとも試合をやったんですよねえ」
――当時の渕選手は全方向(の闘い)でしたね。
「いまじゃ無理だけど、ホントによくやったなって感じますね。一番やりがいのある時期だったなあ。馬場さんも僕らと(大会)真ん中の試合で中心に入ってきたし。だから、今日は馬場さんとかとか、今日は三沢たちとメインでやるんだとか、という感じでやりながら(控え室では)鶴田さんと2人でタオルを引っ張り合って一緒にウォーミングアップしたりしてましたね」
――その時代の渕選手は、全日本の全方位を網羅していたことになりますね。
「30歳代半ばから40歳になろうというころ。このときが全盛期だったんでしょうね」
――その時代を経て、いまもなお現役というのがすごいなと思います。
「いまと昔じゃ試合数が全然違いますよ(笑)。当時は旅(巡業)で年間150試合くらいあったり、テレビ中継もありましたからね。全試合に出てましたし。ホントにあっちこっち行って、当たり前のことだけど若い選手も遠慮しないでガンガンきますからね。身体の痛みをおぼえながらバスに揺られて次の会場に行く。そこでまた試合やってということで、やってきました。それに比べたらいまはね、去年なんか年間で10試合ちょっとかなあ」
――昨年から新型コロナウイルス禍ですからね。
「昨年はねえ(試合数が減った)。だから2月4日の試合が今年の初試合ですよ」
――そうなりますか!?
「そうです。全日本は1月2日、3日って後楽園で恒例の試合なんですけど、僕、初めて休みしましたから。でも、逆に言ったら、ウチの会社がレスラーの身体を考えてくれていると」
――なるほど。ところで、馬場さんが亡くなってから全日が何度もピンチに見舞われながらも渕選手は残留、そのたびに団体を守り続けているわけですが。全日本にこだわる理由は?
「僕ひとりじゃなくて、まわりがいたから守れたんでしょうね」
――選手がほとんどいなくなった時期もありますが。
「まあ、(馬場夫人の)元子さんが馬場さんの三回忌をやりたいと言っていたこともあってね、そこまではやろうと。そう思ってやってましたよ。元子さんは、どうしても全日本で三回忌をやりたいと。馬場さんが亡くなったのが99年1月ですから、2001年の東京ドームが三回忌。スタン・ハンセンが引退したときね。だからそれまでは頑張ってやろうという目標がありました。確か前日には雪が降ったんだけども、ファンの人がたくさん来てくれてね。そういう思いでみんながやってね、三回忌興行が一応の成功をおさめた。そうこうしているうちに武藤敬司が全日本に興味を持ってくれて、その後、彼が社長となった。三回忌が終わったら潰れてもしょうがないような雰囲気があったんだけれども、そこでまた新たな感じでハンセンがPWFの会長になって、じゃあもうちょっとやってみようかということになったんです。そこから一年やって、そしてまたもう一年やってみようかとの話になって。なんだかんだいろいろありましたけども、不思議なもんですね」
――その積み重ねで現在の全日本があると。
「そうですねえ、奇跡かもしれないですね」
――「全日本が消滅したら引退する」とのコメントを読んだことがあるのですが。
「かっこよく言わせられたのかな(笑)」
――ただ、裏を返せば「消滅しなければ引退しない」と受け取れます。
「そうそう(笑)。それはそれでまわりに迷惑かけちゃうけど(笑)」
――生涯現役、でしょうか?
「いやあ、それはなかなか。若い人も伸びてきてるし」
――渕選手のファイトをまだまだずっと見ていたいという気持ちのファンが多いと思いますよ。
「同じような試合ばかりで逆に申し訳ない(笑)」
――渕選手のファイトが全日本の伝統にもなっていると思います。それを見ないと全日本を見た気にならない、というファンも多いでしょう。
「いやあ(笑)」
――ファイトスタイルのスライドも含め、生涯現役という点では渕選手がジュニアで馬場さんを継いでいるのかなという気もします。
「でもまあ、いまは馬場さんの試合を知らない年代の人が頑張ってくれてるし、馬場さんが亡くなって22年でしょ、元子さんが亡くなってもうすぐ3年になりますよね。鶴田さんも三沢君もいないし。そういったなかで全日本をまだまだやっていくうちに、年寄りの俺が考えている以上にいまの中枢の人がしっかりやってくれてるから、そういうところではすごく安心しているんですよ。だからこうやって、自分の都合のいいときに気楽にリングに上がっているという(笑)。ホントに気楽なもんで、ヘンな力みがいまはないんですよね、おかげさまで、自然体でできるんですよ。そんな感じで、リングに上がってます」
――自然体で気負わない渕選手だからこそ、現在の楽しい試合がファンにも受け入れられているのだと思います。さて、2・4後楽園ですが、渕選手は8人タッグマッチに出場します(インタビュー後に百田光雄の欠場が発表されカードが変更。変更カード…渕&大仁田&グレート小鹿&越中詩郎組vs2代目タイガーマスク&大森隆男&井上雅央&菊地毅組)。全日本にいた8人です。
「相手はやりづらいだろうねえ」
――相手がやりづらい?
「アハハハ。百田さん以外はみんな後輩だしさ、こっちには小鹿さんがいるし、大仁田も越中もいるしさ、ほとんど先輩でしょ。だからまあ、先輩づらしてけっこうこっちはマイペースでいくと思うから、逆に対戦相手がどう対応するかですよ。アハハハ」
――渕選手のチームは好き勝手にやると?
「アハハハ。ファンの人はどう見るだろうな? けっこう古くからのファンも来ると思うんだよね。俺たちの試合を見て、甘い考えかもしれないけど、懐かしんでくれたら」
――古くから全日本を観てきたファンにはこれだけ揃うんですから。うれしいカードですよ。入場からリングに立つだけでもうれしくなる。
「みんな元気っていうのがうれしいですね。それがなによりうれしいです」
――ところで、ふだんの試合で渕選手はヘッドロックから頭部を拳で殴っていくじゃないですか。あれはグー(パンチ)ですか、それともパー(掌底)ですか。
「……。どう言ったらいいんだろう? やっぱり殴ってるときは…グーだろうなあ(笑)。こっちの拳が痛いときがあるからね。ただ、これも長いキャリアのあれで、レフェリーが見てるときはパーでやってる。まあ、パーだと言ってくれるお客さんに助けられてますね(笑)。でも、いまここであえて言うなら相手にダメージを与えるためにやってるんですよ。伝統を守ってるというか。それは、一番参考にしたのがザ・デストロイヤーなんですよ。レフェリーに注意されると、これ(掌底)やったんだと主張する。それが印象に残ってるの。あのときはもう日本側で、これ(グー)で殴ってもこれ(パー)って言うよねと。デストロイヤーは『俺は常にこれ(掌底)でやってるんだ。平手なんだ』と、しらきってさあ(笑)。そう考えると、俺はまだまだデストロイヤーの域までいってないね、正直に(グーだと)言っちゃったから(笑)。以前、デストロイヤーには教えてもらいました。『鼻を狙っちゃダメだ、頭をやれ』と言われましたよ。頭をやっても硬いからね、たまに拳を痛めることもあるんだよね。『だからそこを注意しろ』と。じゃあやっぱりグーでやってんじゃないかって、ツッコミを入れたことあるね(笑)」
旗揚げ2年目に最初の入門、デビューからもうすぐ47年という渕は全日本の歴史、そのほとんどを目撃、体感してきた。しかもジュニアヘビー級戦線を中心に、内外問わずあらゆるタイプの選手と対戦、スタイルにも柔軟に対応してきた。さらには無償の全日本愛で団体のピンチを幾度となく救ってみせた。そして現在は、かつての馬場さんがおこなっていたような楽しいプロレスで全日本らしさを全身から醸し出している。会場人気もまだまだ高い。それだけに、馬場さんの追善興行には欠かせない存在なのだ。2・4後楽園で渕が名を連ねる8人タッグマッチは、“ジャイアント馬場vsスタン・ハンセン”と並び「ジャイアント馬場23回忌追善特別試合」と銘打たれている。特別な試合ではあるけれど、リングに立つのは自然体の渕だろう。いつも通りに全日本の渕正信を表現する、その姿がファンにはたまらなく誇らしい。
『ジャイアント馬場23回忌追善興行』
日程:2021年2月4日(木)
開始:18:00
会場:後楽園ホール
▼6人タッグマッチ 30分1本勝負
新崎人生(みちのく)/長井満也(ドラディション)
vs
西村修(フリー)/アンディー・ウー(フリー)
▼追善特別試合8人タッグマッチ 30分1本勝負
渕正信(全日本)/大仁田厚(フリー)/グレート小鹿(大日本)/越中詩郎(フリー)
vs
2代目タイガーマスク(フリー)/大森隆男(全日本)/井上雅央(フリー)/菊地毅(フリー)
▼ジャイアント馬場23回忌追善特別試合
ジャイアント馬場
vs
スタン・ハンセン
▼ステーキハウス寿楽PRESENTS シングルマッチ 30分1本勝負
BUSHI(新日本)
vs
青柳亮生(全日本)
▼タッグマッチ 30分1本勝負
永田裕志(新日本)/青柳優馬(全日本)
vs
鈴木みのる(パンクラスMISSION)/佐藤光留(パンクラスMISSION)
▼6人タッグマッチ 60分1本勝負
武藤敬司(フリー)/諏訪魔(全日本)/小島聡(全日本)
vs
天山広吉(全日本)/カズ・ハヤシ(GLEAT)/河野真幸(フリー)