【#プロレス今日は何の日】1956年12・20 神奈川県平塚市 平田淳嗣生誕記念日

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【#プロレス今日は何の日】

1956年12月20日 神奈川県平塚市
祝!平田淳嗣生誕記念日!

1978年5月13日の入門当日に平田は山本小鉄さんから「沼津の体育館に来い」と言われており、行ってみたら小鉄さんから「セコンドにつけ」と言われたそうです。
無茶苦茶ではあるものの、平田は新日本も全日本も国際プロレスもテレビ中継を毎週見ていたことから、リングにハシゴをつけたり、選手のリングインの際にロープを上げたりと、セコンドのやることが分かっており、ソツなくこなせてしまったそうです。
しかし当然ながら新日本ジャージをもらっていなかった為、自分のジャージでこなしていたとのこと。

同年8月26日の藤原喜明戦でデビューし、1982年11月よりメキシコへ、83年にカナダはカルガリーへ。
カナダではサニートゥ―リバーズとして活躍!(コブラからベルトも獲りました!)

そして誰もが愛するストロングマシンは1984年8月24日の後楽園ホール大会で初登場!

この時全くギガギガ感もなくアメフトコスチュームで小杉俊二をふっとばし、何をかいわんや何度も指差し確認しながら帰って行きましたとさ。

そして翌月9月7日の福岡スポーツセンターではアントニオ猪木と一騎打ち!これまたすごいデビュー戦ですな・・・。

そしてそして、1985年5月17日、藤波に「おまえ平田だろ!」をかまされてしまう前代未聞のもらい事故「ドラゴン平田暴き」により、スーパーストロングマシンへとパワーアップし生涯ギガギガ道へ!

なお、1985年5月31日の大宮大会では、アンドレ・ザ・ジャイアントとシングルマッチ!
後々ジャイアントマシーンが現れるわけですが(8月23日東村山)、その魂の引き継ぎマッチだったんでしょうか(いや、全くそんなことないな)

同年6月28日品川プリンスホテルアイスアリーナ大会では、スーパーストロングマシンvsストロングマシン2号との匿名希望のデスマッチが実現!めっちゃ分かりにくいけどなんとなく分かるこの感じ!

1986年、初めて聞いた時には意味も分からずその音並びがカッコイイと思っていたネーミング、「カルガリーハリケーンズ」として全日本プロレスに参戦し、ジャンボ鶴田や天龍源一郎とシングル戦も!

1987年には新日に復帰すると、そうこの頃世代闘争ですよ。ナウリーダーvsニューリーダの5対5のイリミネーションマッチでは、出陣前のインタビューで「自分、失うもの何もないですから」と語ったシルバーギガギガマスクにとてつもなく人間味を感じてグッときました。

私の初マシンは1988年8月3日の泉佐野市総合体育館大会、藤波へのIWGP挑戦者決定リーグ戦が猪木優勝で終了し、8月8日スーパーマンデーナイトインヨコハマでの猪木藤波戦へ向かう谷間の大会でした。
赤ラメマスクにのこれまた赤のワンショルダー着用と、1984年の登場時を思わせるコスチューム!

後ろの方の席に座ってたにーちゃんが「マシ~ン!頼むからその赤いかっこやめてくれ~っ!」って叫んだのをよく覚えてます。
もちろんマシン本人はざわつく客席などガン無視ですギガ!
※試合の方は藤波が決め技として推しに推していたドラゴンスリーパーでマシンがギブアップ!

1989年、思い出してください烈風隊!長州力&マサ斎藤からIWGP王座を奪取!リングアウト勝ちだろうが何だろうが、マシンがジョージをサポートし「上がれ上がれ!」と自分の力でリングに上がらせようと声を張り上げてたその姿、なぜだかジョージより『ええぞマシン!もっと声だせ~!』と応援したことが忘れられません。

1991年8月25日、緑ペイントのグレート・ムタと緑ラメのマシンのシングル、完全にムタペースで翻弄され結果的に反則勝ちするも「俺は納得しねぇぞ~!」と叫んだマシン!
ピーターことミスター高橋に「マシン!勝ちは勝ちだ!」となだめられようが聞かなかったマシン!ものすごい哀愁でしたがとても惹かれました!

なんといっても1994年10月30日のSGタッグ決勝、あの大平田コールは忘れません!
このときの伝説のマイク「こんなしょっぱい試合ですいません!」は「しょっぱい」を一般に広めたといっても過言ではないでしょう!

素顔になってからのあのどっしりした安定感というか安心感、そのタフさ加減も素晴らしく、IWGPタッグのベルトを橋本とのコンビで獲った時は嬉しかったですね~。

シングルでも1995年当時武藤が持つIWGP王座に挑戦!「おいしんしゃ~っ!」の気合と共に戦うその姿!熱く届けよこの烈風とばかり、ぶおんぶおん応援しましたよ!

時は経ち、ここ1番しか使わない『あの魔神風車固めまた見てえ~』と思ってたら引退しますと。

そして、去る2018年6月19日の新日本プロレス後楽園ホールで現役を引退されました。
長年リングから遠ざかっていたマシンは引退記念試合に出場こそしなかったものの、S・Sマシン・NO.69&S・Sマシン・ドン&S・Sマシン・ジャスティス&S・Sマシン・バッファロー&S・Sマシン・エースという正体が皆目見当もつかない新たなマシン軍団を率いて登場!
内藤哲也率いるL.I.Jのフルメンバーと激突し、マシンは場外で内藤哲也をマシンラリアットを放ち一回転させるまでの勇姿を見せました!

試合後に行われた引退セレモニーでは、悪徳マネージャーとしてマシンを支えたKY若松さんと抱擁。そしてヒロ斎藤、垣原賢人、筑前りょう太(魔界2号)、村上和成、柴田勝頼(魔界4号)、井上亘(青義軍)、永田裕志(青義軍)、真壁刀義、KUSHIDA、中西学、天山広吉、棚橋弘至、4代目タイガーマスク、田口隆祐、獣神サンダー・ライガーとかつての仲間たちが多数登場!
最後に亡き奥様への感謝をマイクなしで叫んだマシン!赤い血の通ったその声にグッときました!

マシンが後進に遺した影響は大きく、数え切れないほどの選手がマシンのマスクを模したデザインのマスクを被って活躍しており、現在も“マシン軍団”は増え続けています。
そして、2019年4月にはマシンの実子であるストロングマシーン・JがDRAGON GATEからデビュー!父直伝の魔神風車固めを駆使して連勝を続け、この年のプロレス大賞新人賞を受賞しています!
親子二代の正統伝承、私もちろん応援していきます!

今日もプロレス最高っ!

著者:AJスレンダー
【元祖 #プロレス今日は何の日 since2014 】アメブロで365日分書き溜めております!
https://ameblo.jp/ajslendertokyo
キン肉マン、プロレス、ファミコンで育った少年期から早や数十年、
「ほんとにこれで良かったのかな・・・?」と自分の判断に自信がないと相談されたら
「それは選ばれし者の恍惚と不安だよ!ごちゃごちゃ言わんと迷わず行けよ!行けばわかるさ!」と
新旧格闘王mixでお応えします!

プロレストークライブ企画・制作・券売などお手伝いしております。
↓実績一例
「待っていてくれて本当にありがとう!ファイプロ復活祭!」
「俺達のG1クライマックス!ライガーさんに聞いてみよう!」
「Go for broke!俺たちのマサ斎藤さんを語る夜!」
「燃えろ!俺たちのケロちゃん旅日記!」
「山ちゃんがやっちゃった 燃えろ俺たちのUWF」など
その他、プロレス興行のSNS告知・販促協力もさせていただいております。
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Twitter:@ajslendertokyo

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