JWPから全選手が独立する前に米山香織がJWP無差別級に挑戦!引退撤回の遺恨清算へ!
28日、赤坂・ふらっとんカンティーナにてJWP女子プロレスが記者会見を開き、3・8浅草大会で無差別級王座を懸けて対戦する中森華子と米山香織が調印式を行なった。
JWPは4・2後楽園ホールを最後に全選手が独立し新団体を旗揚げすることが決定している。JWPの管理するベルトは全てJWPプロデュースが保持することになるため、現王者は全員ベルトを返上することとなる。
そんな最中、2月11日のJWP板橋大会に来場した米山香織が「JWPと名乗るのが4月2日が最後で、ベルトもなくなるっていうのを聞いていてもたってもいられなくて今日来ちゃったんですけど、私も思い入れのあるベルトで世界一のベルトだと思ってます!4月2日、私はこのベルトを巻いてチャンピオンとしてリングに上がりたい。中森華子のようにJWPを守ったり背負ったりして闘うことはできないけど、このベルトに対する気持ちはオマエにも負けない!」と王者に挑戦要求。
王者の中森も「私は米山さんがJWPからいなくなってすごい寂しかったし辛かったし…(涙)。どうして一緒にプロレスをできないんだろう?ってずっと思ってて…だけど今のJWPを背負って、中心となって立っているのは中森華子なんだよ!もう時は流れてんの!時計の針は戻すことはできない。私が防衛して、4月2日の後楽園大会は私がJWPの無差別王者としてリングに上がる」と対戦を受け入れた。
米山は1999年にJWPでデビュー。2011年12月に引退ツアーを終え引退するはずだったが、10カウントゴングの途中で引退を撤回。前代未聞のこの行動は団体外からも批判が集中し、JWPは引退発表から引退試合までの全興行のチケット払い戻しを行う事態となった。その後一年間はJWPに所属していた米山だったが2013年1月にJWPを退団。以降はフリーとして活動を行っていた。
会見に出席した米山は「私がJWPにいた時にこのベルトを10回防衛したりして、このベルトが世界一だと思ってるし1番愛着があるベルト。やっぱり最後にもう1度このベルトを巻きたい」とコメント。
これに中森は「まず米山香織がJWPのべルトに関わるっていうことは、世界がひっくり返っても絶対にないっていうふうに私は思っていて…。ベルトが返上になってしまうということがなければ挑戦したいという気にはならなかったと思うし“どうして今さら”というか、“何なんだろう?”っていう気でずっといたんですけれども。こういうことがなければ、このタイトルマッチも実現しなかった。もしかしたら、今やらなければならない試合だと私は思いました」と、今の形態のJWPがあるうちに遺恨清算を望んだ。