【永島編集長の”他流試合”】~ガッツ語録爆裂!!~ 元WBC世界ライト級ボクシングチャンピオンのガッツ石松氏!
- 2016-8-13
- 永島編集長の他流試合
~ガッツ語録爆裂!!~ 元WBC世界ライト級ボクシングチャンピオンのガッツ石松氏!
~ガッツ石松氏の事務所にて~
永島 「いやぁ~どうも!元気そうだね!それにしても、久し振りに事務所にお邪魔したけど変わんないねー。」
ガッツ「永島さんも元気そうで安心したよ!ウン、この当たりは川無いんだよ。(変わんない?!)海も無いけどさぁ!」
永島 「ン???・・・ハッハッハァ!相変わらず面白いや。」
ガッツ「まぁまぁ座って。あぁもう座ってるかぁ。」
永島 「ハイ、もう座ってますよ(笑)ところで、先だっては電話でありがとね。孫がそりゃあ喜んでたよ。チャンピオンから直接減量のアドバイスもらって。」
ガッツ「イヤイヤ、ちょっこっとね。柔道も減量するんだもんねぇ。」
永島 「お陰様で上手くいって、次の大会に進めたよ!ところで、ガッツと俺の最初の出会いってどこだっけ?」
ガッツ「確か湯河原のどっかの合宿所じゃない?何てとこだっけ?寿司屋みたいな名前・・ほらっ・・あそこだよぉ。」
永島 「そうだそうだぁー。で、何だっけ??40年くらい前の俺の東スポの時だったよなぁ。」
ガッツ「ン~ッ!カッパだ!カッパ荘!!あの時、取材の人がたくさん来てて夜には帰ってたのに、朝になっても永島さんはまだ居たんだよなぁー。」
永島 「追っかけてたんだよ、俺!何か面白いネタ無いかなぁー、って思ってさ!次の日、ガッツのマラソンに自転車で後つけてたら見失ったんだ。」
ガッツ「そうだったの?知らなかったよ。言ってくれれば良かったのに。(笑)」
永島 「その後、見つけてさぁ。そしたら、ガッツ、頭から汗ビッショリで。俺、感心したんだよ。凄い練習量なんだなぁ、て。」
ガッツ「あぁー、あの時なぁ。ちと、前の晩飲める方じゃ無いのに飲みすぎて、マラソン途中で公園の水道水を頭から被ったんだよ!」
永島 「だったんだってなぁー。後で聞いて”面白いボクサーだなぁー”って、改めてファンになったよ!」
ガッツ「永島さんとはその時からの付き合いだよねぇ。40年かぁー。」
永島 「あっという間だねぇ!それにしてもガッツには、色々助けてもらったよなぁ。プロレスのレフリーやってもらった事もあるよなぁ。」
ガッツ「いやいや、お互い様。で、今日は何だっけ?」
永島 「ハッハッ!こりゃあ、まいったねぇ。『バトルニュース』の対談だよ。対談!」
ガッツ「あぁーそうだったよねぇ。」
永島 「俺の知らない”ガッツ”を探そうと思ってさ!(笑)で、今更なんだけど、何でボクサーになろうと思ったの?」
ガッツ「小さい頃は野球選手になりたかったんだよ。俺、いいところの”ぼっちゃん”だと思ってたんだけど、川に落ちたことあって、”ぼっちゃん”じゃなく”ポッちゃんだったんだよぉ!」
永島 「クックッ(苦笑)???」
ガッツ「野球ってのは、夕方の練習で腹減るんだよなぁー。いいところの”ぼっちゃん”は横で白飯の弁当食っててさぁー。俺、腹減ってしょうがないから『その弁当よこせ!』とか『くれ!』ってもらってたんだ。『アンパン買って来い!』『牛乳買って来い!』なんて事もね!”ぼっちゃん”は金持ってるから、『10円くれ!』て事もあったよ。」
永島 「それって、”カツアゲ、脅し”じゃないかぁー!?(爆笑)」
ガッツ「いやぁー、だって、俺、腹減ってるでしょ。悪い事なんてこれっぽっちも思ってなかったんだもん。相手は”ぼっちゃん”俺はポッちゃん”だし・・・。」
永島 「どうって事無いかぁー、それくらい!てか?ガッツらしいやぁー。腹減って我慢できなかったんだもんなぁ!」
ガッツ「だろぉ!?でも、それやこれやで警察に引っ張られちゃって、”札付き”になっちゃったんだ。」
永島 「なるほどね。それで?」
ガッツ「ある時、金持ちの家しか無いテレビを見に行ったんだ。ファイティング原田のボクシングを見たくてね!その時も、『こんにゃろ、俺んちの敷居またぐな!お前が通ったら物がドンドン無くなるわ!干しイモもゴザも持ってただろ!』なんて、言われてね。何言ってんだ。持ってたのは、ほんの2~3個の干しイモだよ!全部じゃないよ!なあんて思いながらね。いいとこの”ぼっちゃん”は警察に行かないけど、俺は”札付き”のレッテル貼られてるから、一事が万事その調子で言われるんだ。」
永島 「当時、TVがある家に皆集まったもんなぁー。」
ガッツ「その試合を見てて、俺は子供心に思ったねぇ。『俺の道はコレ!ボクシングだ!』てね。いつか、TVに出れるようなボクサーになって、ここに居る皆から拍手をもらえるように有名になって見返したい。って!」
永島 「おぉ、それかぁー、そっからかぁー。『ガッツ石松・ボクシング秘話ストーリー!』の始まりだぁー。」
ガッツ「だから、先ずは社会に出ようと思って、高校へ進学せず、中学の卒業式の2日後に栃木から東京へ上京して来たんだ。五反田でネジ屋の仕事を見つけて自転車で配達してたんだ。」
永島 「えらいまた地味な仕事だねぇ。未来のチャンピオンがネジ相手にねぇ。」
ガッツ「仕事先でも、しょっちゅうTVでファイティング原田さんの試合を見てて、『俺、ジムに行きたい』って言ったんだ。そしたら、『お前なんかダメ!』と散々バカにするわけよ。ここじゃダメ、と思ったんだけど、我慢して正月前までそこにいて、正月休みで田舎に帰って二度と戻らなかったんだ。罵声浴びせられて、屈辱を晴らす為と、俺の男としての誇りは『何も言わず、黙って辞める事。』その為には、正月休みが取って置きのタイミングだったのさ!」
永島 「なるほどねぇ。もちろん、それでボクサーの夢を諦めた訳じゃないよなぁ。」
ガッツ「もちろん!暫くして、昔の仲間を頼って、また上京したよ。牛乳配達をしながら”ヨネクラジム”に入れたんだ。0.1の何か。運。がいよいよ俺に寄ってきた、と、思ったね!だって、切磋琢磨出来る仲間がいて、いいマッチメーカーがいて最高さぁー!」
永島 「運命の分岐点。か!待った甲斐があった、てとこだね!」
ガッツ「俺、思うよ。“運”は寂しがり屋なんで、色んな人から呼ばれる。でも、本物のところに留まりたい。だから最終的には、本当に努力しているところに留まるんだ。その人の、小さな穴が詰まって、水が溜まるみたいな感じ。」
永島 「ン???なるほど・・・。」
ガッツ「そして大事なのは、”反省”する事。何の世界でもトップは反省しなきゃ。昨今、猿でも反省するよ。反省し頑張るから、又、0.1の何か、がやって来るんだ。」
永島 「”運”だね!ヨネクラジムに入れた事がガッツにとって超ラッキーだった!」
ガッツ「そう!そういう事さ!あの時、ネジ屋に居たまんまならそうは行かなかったよ!」
永島 「だよなぁー。そういう事だよなぁ。で、ガッツにとって一番印象に残る試合、って何?」
ガッツ「やっぱり何と言っても、ロベルト・デュランとの試合だね!」
永島 「”石の拳”と呼ばれたボクサーだね!完全アウェーのパナマで闘ったんだよなぁー!」
ガッツ「そう。昭和48年9月8日(1973年)俺が24才の時。”WBA世界ライト級王座挑戦”10回KO負けだぁ!俺って、元々身体が丈夫でなく17~18才位まで栄養失調で体重も57kgしかなくってね。栄養失調ってのは寝汗はかくし、すぐ疲れるし、仕事しながらジムに行ってたから、練習もあんまりやらなかったし。ホント、体力がなかったんだよなぁー。それまでも勝ってた試合も途中で倒れて死んだふりしてたなぁ」
永島 「そうだったの?栄養失調ねぇ。そりゃあ知らなかったよ」
ガッツ「2回目の世界タイトル挑戦だったんだけど、パナマは暑くって暑くって・・。試合中も、いつ倒れようかなぁー、でもいっぱいお客さん居るし10ラウンドまでやんなきゃいけないかなぁー、それにしても疲れるなぁー。そんな事考えていて、結局9ラウンドで倒れたんだよ。」
永島 「へぇー!倒れたのは、知ってたけどそんな事考えて闘ってたの?(笑)」
ガッツ「だって、暑くって体力無くって疲れたからしょうがない(爆笑)それから試合が終わって控え室でシャドーやってたんだ。そしたら、会長にえらい怒られた。『お前、まだ体力残ってんじゃないか!どういう事だぁ。』てね。栄養失調ってのは、ちょっと休むと又、元気になるんだよなぁー!だからシャドーやってたんだけどさ。でもその後反省したねぇ。これじゃいかん!ボクシングは体力だ!どんな技も体力が無いと出せない。8年掛かって悟ったよ。才能はある。でもガッツが無い。だからすぐ死んだふりする。ガッツとは根性だ。ガッツがあればきっと良くなる。それで”ガッツ”のリングネームを貰ったんだ。」
永島 「それまでは、『鈴木石松』だったもんなぁー。それからかぁー”ガッツ石松”は!」
ガッツ「春夏秋冬、時期が来ると桜は咲く。そして俺に彼女が出来、家族となり、子供が生まれ男としての責任を感じたんだ。その事に気づかせてくれた試合だったから特に心に残ってる。次に印象深いのは、昭和49年4月11日(1974年)メキシコのロドルフォ・ゴンザレス、”WBA世界ライト級王座挑戦”これは東京でやったんだけど、来たよ来たよ、0.1の何かがさぁ!8回KO勝ち”王座奪取”」
永島 「おおー、来たね来たね。0.1が!」
ガッツ「ゴンザレスが毒グモに噛まれて、4ヶ月程試合が伸びたんだ。だからそのおかげで合宿にもう1回行けたんだ。3回目になる2週間のその合宿でコンデションが出来上がったんだよ。反省と気付きの繰り返しの中で、どういう人と出会うか。どういう言葉を貰うか。で、その人の方向性が決まる。・・俺って偉いよね(笑)」
永島 「なるほどねぇ。ところで、世間では有名な話だけど”池袋乱闘事件”の話、聞かせてよ!チンピラ相手にボコボコにしたって、あの事件!確か、ガッツが東洋チャンピオンの時だったよなぁー。」
ガッツ「あぁ、あれね。弟と友達が狭い路地みたいな所を車で走っていたんだけど、そこへゾロゾロと道を塞いで歩いてる連中が居たんだと。クラクション鳴らして通り抜けようとしたら『生意気だ!』『出て来い!』で、ぶっ飛ばされたんだと!『帰り途中でやられた!』って弟からの電話で、俺、直ぐに家を飛び出したんだ。助けなきゃ!慌てて家を飛び出したんだけど、『何処だっけ?』場所を聞いてなかったんだよな。待てよぉ、こっちは一通で帰り途中らしいから・・・こっちだ!あの判断は冴えてたよなぁー。機転きいたよなぁー。ダッシュで駆けつけたら、そこに弟達が顔腫らしてやられてたんだよ。俺『何だこの野郎!』で殴っちまった!」
永島 「一人で相手したんだろぉ。すげえなぁー、さすがだわぁー!」
ガッツ「狭い場所で一人づつ追い込んで殴った。一度にはかなわねぇ、と思ったからね。相手は実の所15人位いたよ。そしたら殴ってる最中にパトカーが来てさ。後で考えたら、近所の人が通報したのと、弟が俺に電話よこしたのが同時だったんだろうね。俺、パトカーが来るのがやたら早いなぁ。こりゃ、映画の撮影かい?なあ~んて思ってたよ。」
永島 「ガッハッハッ!すげえタイミングだ!」
ガッツ「そんで、警察署に連れて行かれて事情を話したわけ。『君はチャンピオンだね。TVで試合見たことあるよ。”プロの拳は殺人兵器””凶器”じゃないかぁ。殴っちゃだめ。喧嘩はダメだよ。』って言うんだ。」
永島 「まぁー、そう言うだろうな!それで?」
ガッツ「俺、栃木弁で言ったんだ。栃木弁は標準語だと思ってたんだけど違ったんだね、知らなかったなぁ。※(急に栃木弁で)『ダメですかぁー?だけどぉ、俺ぇー、弟が殴られてるからぁーぶっ飛ばしたんですよぉー!それでも、俺ぇー悪いですかぁー?だけどぉ俺ぇ、学生時代に賞状って貰った事無かったんですぅ。卒業証書はあるけどそれだけでぇ。いいとこのぼっちゃんは貰っててぇ羨ましかったなぁー。だけど、東京出てきて、チャンピオンになって初めて賞状貰ったんですぅ。そりゃあ嬉しくってウチ帰って、よーーく読んだらチョコッと小さい字で【チャンピオンたるものはいつ、どこで闘っても負けてはならない】てな事が書いてあるんですよぉ。何で俺悪いんですかねぇ。チャンピオンの俺、負けたらまずいんですぅ。』って言ったんだ。」
永島 「そりゃ、ガッツの言うとおり!(爆笑)書いてんだもんな!負けたらまずいよ!ハッハッ、笑いすぎて腹痛ぇー(ズーと爆笑)」
ガッツ「そんで、直ぐにウチに帰れなくて『だ~めだこりゃ、暫くぶち込んどけー』で、2泊3日さ!でも、協会が保釈金払ってくれて出れたんだ。ありがたかったねぇ。50万だよ、今だと500万以上かなぁー?なんせ、山の手10円、風呂18円の時代だもんなぁー。会長かコミッションが払ってくれたんだ。悪いなあー。かと思ってたんだけど、次の試合からちゃっかり引かれてた!3回払いの分割で!!」
永島 「当時の協会はイキだねぇ~!今だったらそうはいかないかもな!」
ガッツ「そうだよ!マスコミに叩かれてたかも?だ!聞く所によると最近の賞状にはその一文は無いらしいよ。俺のせいかなぁー?」
永島 「たぶん、そうかもな!イヤ、絶対そうだ!」
ガッツ「まぁ、その事件も後で大いに反省したよ。そうやって反省しながら、ドンドンとアカを落としていった。商売でも一杯反省したもんなー。」
永島 「寿司屋、ラーメン屋、とんかつ屋、スナック、・・・色々やってたよなぁー!」
ガッツ「店9件、つぎ込んだ金は10億くらいかなぁー。今は1件も残ってないけどね。商売ってのは、『企画』『管理』『経営』この三つが揃ってなきゃダメなんだ。俺にはこの『管理』が出来なかった。要するに”人まかせ”。店に顔出す事も無く、赤字だぁー、って言われて金送り、給料を払い、ボクシングで稼いで補填(ほてん)して、って、どこの店も同じ繰り返しさ。人から、予約取れない位混んでる、って聞いてるのにおかしいなぁー。と、思いつつね。考えてもみてよ。毎日経営者いない。まして現金商売。犬だって、”待てっ!”で待たしてても振り向いたらエサ食ってる。だろ?」
永島 「ン??まぁそうだなぁ。やられちまったのか?酷い話だ。」
ガッツ「俺の合宿所の所にも”スナック石松”を作っただろ?任してた夫婦がいたんだけど、ウチを辞めてから半年位で、500M離れた所に新しいスナックオープンしててさぁー。あれぇ??てなもんよ!」
ガッツ「引退してからも(※1978年29才)そりゃあ色々あったよ。」
永島 「ここ最近は俳優業が多い気がするんだけど?」
ガッツ「そうだねぇ。まだ現役時代にゲスト出演で憧れの高倉健さん、菅原文太さんの映画に参加させてもらって嬉しかったよ。ほら、その時の写真。(そばにある写真立てに手を伸ばし、永島氏に見せながら)この白いスーツ姿が俺さ。いいだろう?」
永島 「いいねぇー!カッコいいねぇ!ガッツ自身も映画を作ったんでしょ?最近だっけ?」
ガッツ「2本ね!最初は1990年の『カンバック』。元ボクサーで焼き鳥屋の親父の役ね!次は2011年の『罪と罰』。刑事役ね。これは、法治国家における俺の自論が詰まった映画。言いたかった事を表現したんだ!」
永島 「引退してから、ドラマ、映画やCMで大活躍だねえ。去年NHKの朝ドラ(まれ)も見てたよ!いい役どころだなぁー、って感じだったね!」
ガッツ「あれは、長丁場で大変だったけど、楽しかったよ!スタジオと、ロケ先の能登を行ったり来たりでね。でも、やっぱり正直言うと、疲れた!」
永島 「バラエティーはどうなの?」
ガッツ「俺に言わせりゃ、”ワライティー”ね!最初は”グー”なんだよね!」
永島 「ゥン???」
ガッツ「ラベルじゃなくって、レベルが合わない。自分を落としてでも合わせたりしてさ。皆がバカにしてもニコニコしてなきゃ、常にカメラが回ってるしね。あれって、打ち合わせ無いし、住む世界が違う人ばっかりでしょ!実際本番中に俺を殴った奴が3~4人いるよ。誰とは言わん。この件は墓場まで持って行く!俺は威張らず、媚びも売らない。」
永島 「いいねぇー。普通は出来ないよ!」
ガッツ「殴られて、『てめぇー!こんにゃろぉー!』はダメ。業界が違うと言う事は、そば屋でステーキくれ!何で、ステーキ出さないんかぁー、って、怒ってるみたいなもんさ。割り切らなきゃ!」
永島 「一種の治外法権みたいなもんだ!」
ガッツ「そうそう!そういう事さ!でも、まぁ芸能活動ってのは番頭さんがいなくっても何とかなる。商売や、政治の世界は”番頭さん”が絶対にいなきゃダメなんだよなぁ。失敗して反省し学んだよ。俺、1996年に衆院選に出て落っこちゃたんだけど、あの時3億の借金作っちまったんだよね。どうしよう・・て、頭抱えてたら、やって来ました0.1の何かが!!CMの仕事やTV、ドラマがドンドン入ってきて助けられたよ。その後、次の参院選に出ないか、って誘われた。でも、CMの契約が残ってたから断った。だって、そうでしょう。向こうは違約金払うから出てくれないか、って。でも、それやっちゃダメ!筋が通らない。俺が大変な時に助けてもらったんだからさ!しかも、俺には”番頭さん”が居なかったから!」
永島 「そりゃあそうだ!男はそうでなくっちゃ!男たるもの義理を欠いたらおしまいよ。」
ガッツ「今は俺、ちょっとでもボクシングに恩返ししようと思って、2010年に出来た”プロボクシング・世界チャンピオン会”の初代会長なのよ!まぁー、俺みたいなのがいないと、まとまんないのかなぁー。てか、世界チャンピオンという”ひとつの事を成し遂げた”選手達の『お目付け役』かな?悪い事に利用されないようにね!」
永島 「なるほどね!何人位いるの?(壁の額縁の写真を見ながら)」
ガッツ「70人はいるよ!」
永島 「ホゥー、結構いるんだねぇー。そうそうたる顔触れだぁー!」
ガッツ「顔触れは凄いかも知れないけど、顔付きはジャガイモが昼寝したみたいなのもいるよ!」
永島 「何だそれ?どんな顔だよぉ(笑)それにしても、今日は久振りに色んな話が聞けて楽しかったよ!ガッツのこれからの思い、希望、計画ってどう?」
ガッツ「いやぁー、やっとこさ借金が無くなって、のんびりと、バカをやんない日々を送りたいなぁ。たまには下手なゴルフでもやって、好きな仲間と好きな事をやる。とかね!」
永島 「ホーッ、なるほどね・・・。旅行なんかは?何処か行きたい国は無いの?」
ガッツ「俺、殆どの国に行ったよなぁー。あっ!でも、一箇所だけ行った事が無いや・・。」
永島 「何処?」
ガッツ「あの世(笑)!!」
永島 「俺もだぁー!(爆笑)そんな急いで行く所じゃ無いしなぁ。」
ガッツ「又、次やろうよ!あの世に逝く前にさ!」
永島 「OK、OK、OK牧場!」
ガッツ「それ、俺のギャグ!」
永島 「そうだったな(笑)今日はありがとうね!」
ガッツ「いやいや、こちらこそ、ありがとうでしたぁー!!」