髙木三四郎が8・19上野で『超日本プロレス』を旗揚げ!バラモン兄弟が大家健に完勝の永田裕志にタッグ結成ラブコールも拒否

髙木三四郎30周年プロジェクト『M&Aプロレス』第2弾大会が6月25日、東京・新宿FACEで開催された。髙木は8月19日、東京・上野恩賜公園野外ステージで『超日本プロレス』の旗揚げを発表。バラモン兄弟(シュウ&ケイ)が“ミスターIWGP”永田裕志(新日本プロレス)に同大会でのタッグ結成を熱望するも、拒否された。
2・3新宿で髙木はデビュー30周年記念大会『NEVER SAY NEVER』を開催。その流れで、4・9上野から『M&Aプロレス~MatchMake & Agent~』の名称で大会を行い、今大会が第2弾となった。
オープニングに登場した髙木は「M&Aプロレス、今日で解散します。今日で最終回。髙木三四郎30周年プロジェクトと題がついていれば何でもいいんです。次回、8・19上野で名前を変えます。その名は超日本プロレス!」と重大発表。DDTが19997年に高木、三上恭平(現MIKAMI)、野沢一茂(現NOSAWA論外)のメンバーで旗揚げする際、野沢が団体名候補として「超日本プロレス」を挙げたが、髙木が却下した経緯があるという。
わずか2大会で団体名が変わることになってしまったが、今大会もメインを託されたのが永田で、ガンバレ☆プロレス代表・大家健のチャレンジを受けた。大家はチョップ、エルボー連打で攻めていき、カミカゼから炎のスピアを狙うも、キャッチした永田がナガタロックⅡもエスケープ。エルボーの打ち合いから、大家がヘッドバット連発、スピアもカウントは2。永田はエクスプロイダー、ミドルキック連打、延髄斬りからバックドロップ・ホールドを決めて、奮闘した大家から3カウントを奪った。
大家は「ずっとテレビで見てたんですよ。テレビのなかの人が同じリングに立って試合してる。あこがれの目で見てるだけじゃ勝てないと感じました。俺は絶対に10年前、20年前の永田裕志より強くなった永田裕志に勝ちたいと思います。だから5年後だ。永田さん、あと5年、いやもっと続けられるように俺に喝ください」とマイク。
永田は「プロレスはあまりうまくないけど、おまえの魂のこもったエルボー痛かったよ。たとえ負けたとしても、転んだとしても、自力で立ち上がる人間がホントに強い人間だ。だから、おまえはすでに強い人間だよ。さらに努力してれば、必ず強くなれるから」と大家を評価した。
大家が「ありがとうございます」と礼を述べると、永田はビンタを見舞い「おまえに負けないように、俺もあと5年鍛えておくよ」と再戦を約束。そして、永田は「5年後の大家健がどれだけ強くなってるか分からないけど、とてつもなく強くなってることを祈念して。1、2、3、ゼア!」で締めた。そして『バッコミ』の曲がかかり、大家と永田がまさかのコラボ。曲が鳴り終わると、大家は退場した。
ここで髙木が現れると、「今日で解散なんですけど、8月19日、超日本プロレスとしてリスタートを切ることになりました。永田さんには、そこのエースとして。その旗揚げ戦で永田さんと組みたいって奴らがいるんです」と言うと、バラモン兄弟が登場。
髙木が「永田さん、8月19日、上野大会でバラモン兄弟と組んで、めちゃくちゃ熱い試合をしてください」と懇願。バラモン兄弟は「ユウジ、僕たちと一緒にバラモンやろうよ。僕たちもユウジと一緒にブルージャスティスしたいんだ!」とラブコール。しかし、4・9上野でバラモン兄弟と対戦して散々な目に遭っている永田は「ごめんなさい」と拒否して退場し、バラモン兄弟が後を追いかけていった。髙木は「あとはバラモンに任そうと思います。皆さん、正式な発表をお待ちください」とアナウンス。
バックステージではバラモン兄弟が「この間、心が通じ合ったと思ったのに。夏の思い出作ろうよ!」と迫るも、永田は「ごめんなさい」と言って去って行った。果たして、バラモン兄弟の熱い思いに、永田の心は動くのか?
そして、永田とバラモン兄弟がリングから去ると、髙木が「超日本プロレスはDDTの名前の案だったんですけど、却下されてDDTが生まれた。だから、超日本プロレス、どうしてもコイツが必要だと思って呼んでます」と言うと、DDT旗揚げメンバーのMIKAMIがリングイン。
髙木は「もう1回、超日本プロレスの名前で、28年前に戻ったつもりで、歴史を塗り替えよう。8月19日、MIKAMIの対戦相手はおまえと縁の深いTAKAみちのくだ!」と、MIKAMIvsTAKAを電撃発表。MIKAMIは「TAKAさんとはユニバーサル、みちのくと縁深い。TAKAさんとやることで俺も引き締まるから。初心に帰って、ゼロから超日本プロレスとしてやらせていただきます」と意気込んだ。
バックステージで髙木は「自分のなかでずっと引っかかってたことがあって。超日本プロレスやりたいなってずっと思ってて。今もう一つの世界線みたいなのがブームじゃないですか。あの時代とはまた違う時代、なんか新しいものを作りてぇなって。旗揚げメンバーのMIKAMIに声をかけました。お互いに年は取ったけど、気持ちだけは若くいたいじゃん。今同じ50代。40、50、60で頑張って。そういう人たちの糧になりたい。活力を与えたい。だから、もう一つの世界線ということで、超日本プロレスやろう!」と力を込めた。