「馬場さんは僕のことを信じてくれた」太陽ケアが約30年に渡る全日本プロレス一筋の現役生活に幕!ジャイアント馬場さんへ感謝の言葉を捧ぐ
31日、東京都・後楽園ホールにて『ジャイアント馬場没25年追善〜太陽ケア引退試合〜 木原文人リングアナデビュー35周年記念大会』が開催。太陽ケアが約30年の現役生活に幕を下ろした。
太陽ケアはハワイからジャイアント馬場さんに直訴して全日本プロレスに入団。1994年11月26日にデビューし、三冠ヘビー級王座戴冠、2度のチャンピオン・カーニバル制覇、7度の世界タッグ王座戴冠など輝かしい結果を残してきた名選手。2013年にハワイ大学で経営学を学ぶべくプロレスの最前線からは離れ、以降はスポット参戦で日本のファンの前に姿を見せていた。
2023年6月にはケアが4年ぶりに来日して鈴木みのる&MAZADAらと一夜限りのGURENTAI再結成を果たしていたが、2025年1月31日を以ての引退を発表。ゆかりある馬場さんの没25年追善大会でリングを去ることになった。
ケアの引退試合はメインイベントにて実施。この試合はジャイアント馬場没25年追善&和田京平レフェリーデビュー50周年記念の冠をつけられた特別な試合。太陽ケア&鈴木みのる&MAZADA with NOSAWA論外vs秋山準&丸藤正道&小島聡という“あの頃”の全日本プロレスを思わせる6人タッグマッチで行われた。
試合はケアと秋山によるじっくりとしたグラウンドに始まり、全日本の道場で何万回と繰り返したであろう基礎に忠実なレスリングを見せていく。
小島とみのるが逆水平チョップでバチバチと打ち合う中、闘いは場外戦へと発展。放送席の小橋建太さんのもとへとなだれ込み、みのるが小島を差し出すものの小橋さんはチョップを拒否。しかし、小島がリバースしてみのる、ケアを差し出すと小橋さんも笑顔で強烈な逆水平チョップ。その後はGURENTAIの面々で小島の顔面を踏みつける光景を論外がスマホで記念撮影を行うなど明るく楽しい光景が広がる。
最後はケアと秋山の対面に。真っ向からのエルボー合戦を展開し、ケアがTKOを決める。しかし、これを返した秋山がニーパッドを下ろしてのランニングニー、エクスプロイダー、リストクラッチ式エクスプロイダーと畳み掛けて3カウントを奪った。
試合後にはケアの引退セレモニーが行われ、川田利明、渕正信、TARU、武藤敬司と縁の深い面々が花束を贈呈。
ケアは「まずは、ジャイアント馬場さんに感謝の言葉を贈りたいです。ありがとうございます。僕を拾ってくれたことは、馬場さんにとってはチャンスでもありギャンブルでもあった。でも、馬場さんがいなければ今ここに私はいません。馬場さんは僕のことを信じてくれた。僕自身が育つまで僕を信じてくれた。僕は自分のためにも闘っていたが、馬場さんのためにも闘っていた。あなたたちがいなければ、全日本プロレスというものも無いし、新日本プロレスというものも無かった。すべてはあなたたちのおかげです!それがあってこそ自分は自分の夢を叶えることが出来た。日本のファン、どうもありがとうございました!そして最後に。ありがとう、鈴木みのる。ありがとう、MAZADA。ありがとう、NOSAWA。ありがとう!またやろう(※日本語で)!ありがとう!観客のみんな!」と最後の挨拶。引退の10カウントゴングが打ち鳴らされ、最後の選手コールが会場に響く。割れんばかりの大歓声&大喝采に見送られてケアは最後の退場を終えた。
バックステージに戻ったケアは、小橋さんの逆水平チョップを振り返って「まだ出来る!まだ強いよ!」と小橋建太現役復帰待望論をぶち上げる。
そして「信じられない。このビジネスを始めて30年も経っているんだ。あっという間だった。いろいろな人に感謝の言葉を贈りたい。私より前の時代のレスラーたちにも感謝したい。1番ありがたいことは、自分の意志で引退を決めることが出来たことだ。30年前にプロレスラーになったとき『どういう引退が理想か』と考えたことがあるが、まさに今日のような形だった。あとは、今隣にいる兄弟たちにも感謝の言葉を贈りたい」と穏やかな笑みで語った。