『あれ見てこれ読んであそこ行ってきた』#9

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6月15日に飯田橋にて『プロレス試合中の事故防止・抑止及び救急対策セミナー』が開催されました。これは元女子プロレスラーである府川唯未さんと元JWP女子プロレス代表である山本雅俊さんが発起人となって企画されたものです。

このセミナーの開催の経緯については以前、コラムの枠で山本さんにお話しをうかがいましたが、今回は改めてその内容について紹介します。

最初に発起人である府川さんがあいさつとともに、ご自身の引退の原因となった急性硬膜下血腫とクモ膜下出血にいたる経緯をお話しされました。当時の状況を自分がよく覚えていなかったこともあり、その内容は衝撃的なものでした。

続けて長きにわたってマット界を見守ってくれている理学療法士の野呂田秀夫先生と、元警察病院整形外科部長の安藤義治先生が登壇され、ご自身がリングドクターとして間近にいた時のエピソードなどを交えてお話されました。

新生UWF旗揚げ1周年記念の後楽園ホール大会でのメインイベント、前田日明対山崎一夫戦(1989年4月14日:12分13秒 ドクターストップ)でのアクシデントによるドクターストップで決着した時に、あとから「プロレスでドクターストップでの決着は初めてじゃないですか?」と言われたこと。
デビュー5試合目で前田選手と対戦した田村潔司選手が強烈なヒザ蹴りを食らったことで眼窩底骨折になり、手術で腰骨を移植したこと(1989年10月25日:2分19秒 レフェリーストップ)。大会中の事故への対応のため、あらかじめ近隣の病院への連絡を先生が行っていたことなど、当時を知る記者としても興味深い話が続きました。

また府川さんの話を聞いたところから、先生方も後遺症についての心配をされていましたが、セミナー終了後に府川さんに直接おうかがいしたところ、今でも天候には関係なく日常的に頭が重い感じがすること。
スマートフォンからの電磁波がかなりの負担で、使う時はできるだけ遠ざけていることや、10分以上は使用しないようにしているといった生々しい現状をお話してくれました。

休憩を挟んでからは参加者からの質疑応答が行われ、選手やレフェリー、スタッフといったそれぞれの立場からの経験に基づく意見交換も行われ、参加者にとって有意義な時間となりました。
セミナー後には野呂田先生にお時間をいただき、新生UWFで旗揚げ前に話題となった選手へのCTスキャンの実施についてをお伺いしました。
セミナー中も何度も口にしていましたが、前田さんは選手たちの健康面のケアにはかなり気をつかっていて、決して安くはないCTスキャンの費用も、苦しい資金繰りの中でもなんとか捻出して支払っていたのだそうです。

またセミナーでは唯一の現役選手での参加となった田中稔選手にもお話を聞き、あらためてコンディションの重要性とともに、この内容が広くスタッフや選手たちに広がっていくことへの期待などを語ってもらいました。

最後に府川さん、山本さんのセミナーでのお話と、セミナー後の田中選手のお話を掲載いたします。これらの話が何かしらのきっかけとなることをセミナーの参加者としても期待します。

府川「本日はお集まりいただきありがとうございます。自分が現役の時に引退の原因となりました硬膜下血腫、クモ膜下出血につきましてお話させていただきます。
今から19年前、2000年7月の話になります。所属団体はアルシオン。軍団抗争のさなかでした。直前の北海道シリーズから体調不良が始まりまして、全日本女子プロレス(所属)時代、体の大きな先輩方の技を受け続けても壊れない自分(への自信)、骨折くらいでは欠場しない(という意識の)時代でした。そんな背景が重なり、「頭痛ごときで休んでたまるか」と欠場は申し出ませんでした。

シリーズが終わり、後楽園ホール大会まで10日くらい空いたような記憶があります。その間きつかった受け身は取らずに済んだものの、頭痛が強くなっていくばかりで頭痛薬などはいっさい効かず、大会前日にはハンマーで殴られたようなものすごい痛みで、頭を手で押さえないといられない状態でした。

さすがに不安になり団体側にうったえましたが、後楽園ホール大会終了後に必ず病院に行くという約束のもと、予定通りの出場が決まりました。
試合中は頭をかばうことにしか意識が行かない状態でした。そして試合後はそのまま歩行困難となり、若手に担がれて控室に戻る5分くらいの記憶はうっすら残っています。

その後順天堂大学病院に運ばれました。両親が呼ばれ(状況の)説明を受けました。負傷個所があと1ミリずれていたら開頭手術になっていたこと。6時間は状態が急変するおそれがあることを説明されたそうです。

病院のベッドで頭の痛みで目がさめ意識が戻りました。その時に足を動かそうとしたのですが、下半身に全く力が入らず動かす事ができませんでした。ICU(集中治療室)を出てから下半身不随になる可能性があったことを告げられました。

この1年前の99年3月には後輩の門恵美子が試合中の事故で亡くなりました。同じく硬膜下血腫です。シリーズ前半に門との会話の中でボーッとしてるというか、「会話が頭に入ってこないんですよね」と言われていました。
当時なんの知識もない自分は「大丈夫?しっかりしてよ」などと言い、話はそこで終わりました。いま考えてみればその時から脳が腫れたり出血などがあったのではないでしょうか。わたしが会社に伝えていれば、団体として若手が会社に(体調不良や欠場の申し入れを)言い出せる状況を作ってあげられればと、いまはどんなに悔やんでも取り返しがつきません。

選手は「やれるのか?」と聞かれればたとえ倒れていても「やれる」と答えます。そうなると権限のある人が止めるしかありません。レフェリーの方も判断は非常に難しいと思いますが、業界全体で知識を持ってもらいたいと強く思います。選手同士のコミュニケーションや言いやすい環境作りも必要になってくると思います。

今日は野呂田先生と安藤先生をお呼びして、不測の事態への対応の知識を学ぶとともに、より意識を高めるためのきっかけになればと思い、このような場をもうけさせていただきました。本日はよろしくお願いします。」

山本
「この機会に自分の(関わっていた)団体ではプラム麻里子を亡くしてしまったんですけど、その時の自分の体験談になるのですけれど。
亡くなった時はまだインターネット社会ではなかったので、もしあれが現代だったら、それでもやはり各ワイドショー、テレビ。『今日の出来事』ですとか『ニュース23』などすべてマスコミが来まして撮影するんですね。葬式が終わった後でパッとマイクが向けられまして、よく映画とかで皆さんが見るような責任者に追求するような状況が生まれまして。

「こういう事故が起きることは予想していましたか?」と言われたんですね。自分はいちから説明して、(予想を)しなかったわけではもちろんありません」と長く丁寧に話をしたんですね。
それから練習もしっかりしていまして、という話もしましたが、実際にオンエアされたのは「予想していましたか?」「してました」と、話の前後をバチッと切られて編集されていたんです。

その後には今でも覚えているのですが、キャスターの方が「『予想していたのになぜ?』って思いませんか?」と(番組で言っていた)。その瞬間にもし現代だったらレスラーを殺した悪徳社長ということで、ぼくは家族もろとも葬られたようなかたちになったと思います。

それがやはり怖かったというのと、もちろん亡くなったというのもたいへん悲しかったんですけれど、自分が今でも記憶に残っているのは遺族との交渉ですね。
具体的には命を金額に換算する交渉をするわけですね。

それまではプラム麻里子もそうですし、尾崎魔弓やキューティー鈴木にしても一緒の同志だった。
プラム選手のご両親もこの団体を盛り上げて行こう。やっと娘が晴れ舞台に立つというところだったんですけど、残念ながら彼女が亡くなった瞬間に保証金の交渉相手になる。
「じゃあいくらで」と人の命を金で測るような、まさかそんな体験をするとは思っていなかったので、とてもつらかった記憶があります。

もちろんご両親は自分以上に苦しまれたと思います。

それを考えるとどうしてもプロレス・格闘技業界は事故が報じられる際に、プロレス愛が先に来る。他のジャンルもそうなのかも知れませんが、愛があるとどうしてもいつの間にか事故なのに話が美化されるところがあると思います。

しかしこれは事件ではなく事故なので、その後にいかにしっかりと起きたことを分析するかの機会が防止につながっていくと思います。どうしてもスターレスラーの場合には「選手の遺志をついで」といった感情的な部分が出てくるのは人間として仕方のないことだとは思いますが、人ひとりが亡くなってしまったということはこれ以上に重いものはありませんので、プロレスだからどうこうの問題では収まらない。また、収めてはいけないと思います。」

ーー田中選手はこれまで試合でのケガによる長期欠場といったことはなかったと思いますが。
田中「そうですね。でもデビュー5年目で新日本プロレスに上がり始めたころ、脳震盪はしょっちゅうでした。でも今は厳しいから脳震盪を起こしたら休んだりするじゃないですか。あの頃はツアー中に開幕戦で(脳震盪を)やってもずっと試合をしてたんですよ。1シリーズに2,3回記憶が飛んだとかあったんで。
怖いですね。ああいう時って団体側の判断で脳震盪を起こしたかどうかを(決めていた)。まぁ今は大丈夫なんですけど、次の日からしばらく試合に出さないとか。そうやっていかないと危ないと思います。」

ーー昔は「脳震盪は起こした方が悪い」と言われたと聞いたことがあります。
田中(苦笑しながら)「むちゃくちゃな時代ですね(笑)。大きいケガはないんですけど、(亡くなられた)福田選手も(事故の時には)同じ会場にいて、同じ年の選手だったんですけど、そういうのがあるから。
ちょっとした脳震盪とか、脳震盪を起こす前にサインがあると思うんですよね。頭痛があったりとか。
積極的に・・・休むのも勇気だと思うんですけど、ちょっと前にツイッターで格闘技のプロモーターの方なのか、たとえ目玉カードだとしても、当日のチェックで問題があれば、そのカードでチケットが売れているのだとしても、その選手は出さないらしいです。それくらいの勇気を持たないといけないんだって思いましたね。
でもプロモーター側からするとそれで出場する予定だった選手が「出れません」というのも言いづらいと思うんですけど、それも勇気だと思うんで。」

ーー田中選手は現在フリーランスの立場で出場されているのですが・・・
田中「休むとその収入がなくなるわけじゃないですか。ちょっと無理してでも、という気持ちだったり、もらった仕事を断りたくないんで。必要としてもらって、それを断りたくないんで。ダブルヘッダー、トリプルヘッダーは平気でやるんですよ。トリプルヘッダーの1試合目でちょっとケガしてしまって、次の試合は難しいかなと思っても出てしまったり。それで結局その翌日は動けないくらい痛かったりというのはあるんですけど。
本当はよくなんいですけど、それがケガだったからいいってわけじゃないんですけど、頭(へのダメージ)だったらなおさらで。
例えば三試合やる時の一試合目でやってしまったら、ギャラがなくなるとしても休む勇気を持たないと。
・・・とは思いながらもやっぱりそのなかなか休む勇気を持てないじゃないですか、フリーだと。団体に所属していたら、団体は本当はもう定期的にMRI撮ったりとかを義務付けられたらいいとは思うんですけど。
ただどこの団体もそこにお金をかけるのは厳しいと思うんで。」

ーー田中選手は現在40代ですが、見るからにコンディションのいい体を維持して、最前線で最先端の戦いを見せてくれていますが、これまで大きなケガなく続けて来られたのはどこに要因があるとお考えでしょうか。
田中「年齢的なものはあると思うんですね。回復が遅くなったりとか、昔だったらしないようなケガをするとか。ケガしても翌日には治っていたのが回復が遅かったりとか。
・・・できるだけケガをしないように昔だったらストレッチもいいかげんにやっていたのを、入念にするようになったりとか。そう言うところしか気をつけられないんで。」

ーー睡眠や酒量については・・・
田中「もともとそんなに飲まないんで、そこは助かってるところです。食事も昔みたいにドカッと食わないようにしたりとか。
とにかく太り過ぎないようにしていますね。中身のことを言えば血がドロドロになるとか、体が重くなる、息がキレやすくなるとかがあればそこからケガが始まると思います。
試合中の後半でもしっかり体を守ろう、受け身を取ろうと思ったら、疲れてきたらそこで集中力がなくなるとか、そういうのは気を付けますね。
コンディションがいいんで試合中に息がキレるとかはないんですけど、困った時にちゃんとしたきれいな受け身が取れるか、だいぶ体とか頭を守れるかどうかは変わってくると思うんで。」

ーー練習の内容が若いころから変わったという点はありますか?
田中「時間を短くしましたね。デビューしたころは一日10何時間とかしてたんですけど。
朝1時間走って3時間合同トレーニングやって、合計して11時間くらいやってたんですけど、この年齢でそれをやったら逆に体を壊すじゃないですか。
コンディショニングに重点を置いて、食事も野菜をしっかり食べるとか、好き嫌いなくバランスよく食べるとか。そういう風にしないと、この年齢になって好きなものばかり食べてもいいコンディションはキープできないと思うんで。
体の見た目をかっこよくするのがきっかけだったんですけど、それでもコンディションがよくなるんで、きっかけは何でもいいと思います。見た目をかっこよくしたいでもいいから、それで食事を気をつけるようになったら、それで結局コンディションにつながると思うんで。
あとはさっき言ったみたいに頭痛とかあったら積極的に休んだりとか、興行の責任者に言える勇気を持ってほしいですね。それを若い子が自分から言いやすい空気を作ってあげるようにしてほしいなというのがありますね。
今日の話もSNSや各メディアで広まっていけばいいですね。」

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