FMWが会見を開き、急逝したハヤブサさんと来年5・5川崎球場での復帰を目指していた事を告白

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 3月3日、ハヤブサさん(本名=江崎英治)が、くも膜下出血のため、急逝したことを受け、超戦闘プロレスFMWが5日、東京・港区のZERO1道場で緊急会見を開いた。

 会見には、ハヤブサさんの師匠である大仁田厚、FMW・山近義幸代表、音楽仲間で親交が深かった雷神矢口が出席。
 大仁田は「僕が最初に立ち上げた初期FMW(大仁田社長)、ハヤブサがエースだった新生FMW(故荒井昌一社長)、そして今ある超戦闘プロレスFMW(山近代表)は3つとも会社が違います。今のFMWは山近代表が選手を招聘して興行を行っている団体で、山近代表や高橋(英樹=現・現場監督)が、ハヤブサが戻ってくるリングをつくるためにできた団体です」と説明。
 会見では、「来年5・5川崎球場でのカムバックを目指していた。ハヤブサ復活というテーマで、発足した団体ですから」(大仁田)として、秘かにハヤブサさんの復帰プランが進んでいたことが明らかになった。山近代表は「『川崎で復帰してください』とお願いしていました。そのために、『リハビリ、練習してください、酒も控え目にしてください』と伝えていました」とコメント。

 「5・5川崎球場」といえば、1995年5月5日、大仁田は引退試合で愛弟子・ハヤブサと電流爆破デスマッチを行った。それと同じ日、同じ会場で、ハヤブサさんの復帰プランが進行していたのだ。大仁田によると、ハヤブサさんの体調は「車イスから降りて、自力で5メートルから10メートル歩けるところまで回復していた」というから、なんとも無念だ。
 追悼メモリアルマッチや追悼試合の開催について、山近代表は「ファンの皆様の意見を聞きながら、追悼メモリアルマッチなども考えていきたい。団体として、できるかぎりのことはしたい」と語ったが、大仁田は「ハヤブサの死を商売にするつもりはない。(FMWに参戦の)選手全員で話し合って、それを山近代表にぶつけたい。選手、フロントで話し合ってから」とコメントし、現時点で全く白紙の状態。

 愛弟子の急死に、終始沈痛な面持ちだった大仁田は「立ち上げたばかりのFMWに、熊本から、江崎英治、ミスター雁之助が入ってきた。1人の坊主頭の男(ハヤブサさん)は、細い体してたけど、ドロップキックがきれいで、『この選手は伸びるんじゃないかと思った』。ジャイアント馬場さんに、『良かったら使ってもらえませんか?』と頼んで、全日本プロレスの中では一部反対もあったらしいけど、『オマエがそこまで言うなら使ってみよう』と言ってくれて。(当時)メジャーにインディーの選手が上がる例はなかった。期待以上の活躍をしてくれて、業界の評判も良くて、素晴らしい選手に育ってくれた。僕のスタイルはデスマッチだけど、彼はメキシコに遠征したりして、ルチャリブレの路線で、僕とは正反対の選手。一時は僕の付き人してたけど、成長したらライバルになる。大仁田厚を乗り越えようとしてたんじゃないかな。永遠に心の中にハヤブサという名は残る」と、しんみり語った。
 ハヤブサさんと約10年前から、ともにライブ活動を行うこともあった矢口は「突然のことで、頭が真っ白。15年前、彼がケガをして3日目くらいの時、高橋さんとお見舞いに行って、そこから友情が生まれた。あさってもライブがあって、『ギター弾きに来てほしい』と言われて、『いいよ』って言ってたばかり。音楽をやっているんだけど、彼はプロレスをやってたんだと思う。FMWが復活して、俺がFMWで試合するのも不思議な縁。FMWを潰す潰すと言って・・・。大仁田との闘いは続くけど、ハヤブサの思いを伝えるために、彼の曲を1曲、3・27新木場で歌いたい。彼は立派なプロレスラーだったし、彼の遺志を継いでいきたい。俺はプロレスラーになる時に、いちばん好きな酒を断って、『引退したら酒を飲みたい』と言ったんだけど、酒が好きな彼は『だったら、いちばん最初に酒を飲むのは俺にしてくれ』と言ってくれて・・・。でも、俺は彼がリングに上がって相対したいと思ってて・・・。もう同じリングで相対せない、酒を酌み交わすことができないのが残念」と言葉を詰まらせた。
 2・26後楽園大会では、元気な姿を見せ、「お楽しみはこれからだ!」と恒例のマイクパフォーマンスをしたばかりだったハヤブサさん。あまりにも突然の、その死は残念至極。心より.ご冥福をお祈りしたい。

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