2014年に引退した元・女子高生レスラー勝愛実が再デビュー決定

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 3日(木)JWPが赤坂・ふらっとんcantinaで記者会見を開き、2014年7月に引退した勝愛実の現役復帰を発表した。会見には勝とコマンドボリショイが出席し、これまでの経緯を説明。再デビュー戦は4・3後楽園ホール大会で行なわれる。

 まずJWP代表を務めるコマンド・ボリショイより「2011年4月3日、後楽園ホールでデビューし、2014年7月13日に引退した勝愛実が復帰することになりました。JWPでは引退というものを決して軽く考えてるわけではありません。引退した経緯、そして復帰に至る気持ちなどを聞いて頂けたらと思います」と挨拶し勝を呼びこむ。

 勝「皆様に大切なご報告、およびご説明させて頂きたいことがあり、このような場を設けさせて頂きました。私、勝愛実は3月1日付けでJWPの所属となり、4月3日JWP後楽園ホール大会にて再デビューさせて頂くこととなりました。現在は道場で練習のほうを再開させております。引退から約1年半、再デビューに至った経緯をお話しするにはボリショイさんや団体含め、誰にもお伝えしていなかった引退の理由を説明させて頂く必要がございます。私は幼い頃から母子家庭で育ってきました。自分がプロレスに興味を持ちJWPのプロレス教室に通い、レスラーになりたいという夢を見つけたとき応援してくれたのが、私を苦労して育ててくれた母でした。その母が2013年の秋頃、重度の糖尿病と診断され、そのことをきっかけに寮を出て実家に戻りました。母の看病とプロレスを両立する生活が始まったのですが、しばらくして母が膀胱ガンを併発しまして介護にかかる時間が増えていきました。医者からは余命半年と宣告され、其の頃から引退を考えるようになりました。わずかな母との時間を大切にしていきたいと思い、2014年の4月に引退を発表させて頂きました。引退後は別の仕事をしながら母の看病を続けておりましたが、昨年の夏に母は亡くなりました。母のそばに居たいと思って引退したことについては後悔はしておりませんが、母の遺品を整理していたときにグッズやパンフレット、自分の試合のことが書かれた日記が見つかり、自分の中にあったプロレスへの想いというものが徐々に蘇っていきました。ですが1度引退というケジメをつけてボリショイさんはじめ団体、そして今まで応援してくださったファンの皆様に送り出して頂いた以上、そう簡単に戻れない。戻ってはいけないと自分の中でプロレスに対する気持ちをごまかしながら過ごしてきました。今年の2月、同期の(ラビット)美兎プロデュースの道場マッチにて特別レフェリーをさせてもらう機会があり、1年半ぶりにリングに立ったときに自分の中にあったプロレスへの想いがあふれ出てきてしまいました。道場マッチ後にボリショイさんからお声かけ頂いたのをきっかけに数日後、自分のほうからJWPで再デビューさせて頂きたいという旨をご連絡させて頂いて、現在道場で再開しております。以上が自分が引退を決意した理由と、再デビューに至った経緯です。本当の理由を言わずに引退してしまったことについて、自分を育ててくれたJWP、そして今まで応援してくださった皆様には本当に申し訳ないと思っています。すみませんでした」

 ボリショイ「愛実の決断は本当にすごく勇気のいることだと思います。手放しで喜ぶわけにはいきません。JWPは引退というものに対して軽い気持ちでいるんじゃないか? と思われてしまうかもしれませんが、愛実の覚悟を応援していきたいなと思っています。愛実を引退まで応援してくださった皆さん、ありがとうございました。そして復帰することについて、すみませんでした。愛実が復帰することに対していろいろ言われるかもしれませんが、これからの活躍で“復帰して良かったね”って、必ずそういう言葉が出てくると信じています」

――引退してからどのような生活を?
勝「ビジネスホテルの清掃ですとか、スポーツクラブでアルバイトをしていました」

――辞めてからもプロレスの情報は仕入れていた?
勝「やっぱりプロレスが嫌いで辞めたわけではないので、常に情報だったりとか同期の美兎とも連絡を取り合って、会ったりとかはしていました。最初は引退というケジメをつけたので、自分の中でも気持ちが整理できるんじゃないかなって思い込むようにしていたんですけども、やっぱり自分が心からホントにやりたいと思ったものがプロレスだったので…。そういった気持ちで居続けるのは難しかったです。美兎とも会えば自然とプロレスの話にもなりますし、そういった時間を過ごすことによって、戻りたいっていう気持ちがどんどん大きくなってきてしまったのが正直な気持ちです」

――JWPではなくフリーとして復帰しようという考えはなかった?
勝「まったくなかったです。やっぱり自分を一から育ててくれたJWP以外での復帰は考えていなかったので。JWPで失ってしまった信頼ですとか、そういったものは自分の手でJWPで取り戻していきたい気持ちが常にあったので…」

――JWPの先輩たちに復帰の意思は伝えた?
勝「ボリショイさんにご連絡させて頂く前に、春山さんにご相談をさせて頂いて“勝が決めたことだったら応援するよ”と言って頂いて、そこで自信をもらってボリショイさんに直接ご連絡させて頂きました」

――ほかの選手たちの反応は?
勝「正直どういう心境なのかはわからないですけど、やっぱり快く思わない人も中にはいるんじゃないかと感じてますけど、再デビューするからにはJWPで頑張っていくという強い決意を胸に持ってるので。周りの反応とかはあまり気にしないようにはしています」

――後輩だったライディーン鋼や藤ヶ崎矢子よりも、プロレスラーとしての実働時間は短くなるが。
勝「キャリアとしては美兎と同期でスタートさせてもらうんですけども、そういった扱いに甘んじることなく1番下から這い上がっていく気持ちで。いずれは自分がトップに立てるような存在になっていきたいと思って。今は1からというよりマイナスからのスタートだと思っているので。もう毎日が闘いというか、自分との闘いに勝てるようにトレーニングに励んでいきたいと思っています」

――練習をしていてブランクは感じる?
勝「そうですね。やっぱり1年半何もしていなかったので体力的な面ではもちろん衰えも感じていますが、要所要所で体は覚えているんだなっていうのを実感することができました」

――復帰戦のカードについて
ボリショイ「これからです」
勝「やっぱり同期の美兎とやり合いたいというのはあります」

――JWPの中に拒否反応は?
ボリショイ「まったくないです。変な被害妄想を持ってるかもしれないけど(笑)。私が勝から話を聞いて、みんなに言ったら喜んでたので。私だけ“これから大丈夫かな?”って(笑)。やると決めたからにはやってもらいたいし。愛実が引退するときに“お母さんのそばにいてあげたい”って言ってて、詳しい病状は言ってくれなかったんだよね? 子供だから詳しい病状わからないのかと思ってて…(苦笑)。お母さんのそばにいてあげることはできなくなったから“プロレスもう1回できるんじゃないの?”っていうようなことを道場マッチの後にちょこっとお話しさせてもらって。もっと早くに思ってたんだけれどもなかなか会う機会がなくて。これもラビット美兎プロデュースの大会に愛実が出たことが何かの縁だと思うし、そこで快く引き受けてくれたこと、そして何か引き合うものがあるのかな? って。JWPで女子高生としてデビューしたのも勝が初めてだし、引退してしっかり見送ったはずなのに、こうやって“もう1回やりたいです”って、すごい勇気のいることで戻ってきてくれた。まだまだ若いですしチャンスを与えてあげたいなと思って…すごく縁を感じる選手だと思います」

――会見を開くのに緊張した?
勝「もともと人前に立つのがあまり得意ではなかったのもあって。会見というのもあまり得意ではなくて…。上手く自分の言葉で伝えられるかな? っていう不安を持ってたから表情にも出てしまったんだと思います(苦笑)」

――JWPとの縁について。
勝「もともと2011年の4月3日にデビューしまして、再デビューが5年後の2016年4月3日ということで…自分では狙ってるわけではないんですけども、たまたまデビュー日と再デビュー日が同じ日ということで…」
ボリショイ「そしてJWPの旗揚げ記念日ね。そして今日、記者会見が3月3日」
勝「3月3日はプロテストに合格した日で…(笑)。これからはJWPに不可欠な選手となっていけるように、頑張っていきます!」

(記事・写真提供/JWP)

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