佐藤光留がデビュー20周年記念試合で鈴木みのるに流血の末玉砕!「鈴木さんに『20年前と同じだな』って言われました(笑)」
27日、東京都・新木場1stRINGにて、ニコプロpresentsハードヒット『KING of HARD HIT tournament決勝戦』が行われ、佐藤光留が自身のデビュー20周年記念試合で鈴木みのると対戦した。
佐藤光留は1999年にパンクラスに入門し、2000年2月にデビュー。パンクラシストとしてキャリアを積み重ねてきたが、当時DDTが主催していたハードヒットでプロレスデビューし、その後プロレスへ本格参戦。全日本プロレスなどのメジャー団体からインディー団体、さらには女子団体などあらゆる団体で活躍し、一時はメイド服+ネコミミ姿の“変態”として名を馳せた。
後にDDTからハードヒットの権利を譲り受け、現在進行系のUWFとして「格闘技としてのプロレス」を掲げ今日まで団体を率いてきた。
光留は自身のデビュー10周年記念大会でもみのると対戦している。当時の光留はまずみのると組んでのタッグ戦に臨むも敗北。しかし、みのるが持ち出した祝儀袋の中からは「エクストラスペシャルボーナスマッチ、60分1本勝負。鈴木みのるvs佐藤光留。ゴングを鳴らせ!」と書かれた紙が入っており、両者のシングルマッチが開始。
その際には光留がメイド服を引きちぎられ、口から大出血するほどの張り手を被弾。朦朧とする中でスリーパーホールドからのゴッチ式パイルドライバーを食らい3分5秒で完敗を喫している。
それから10年が経過し、この日の試合は打撃禁止のグラップリングルールで実施。試合開始直後にはみのるが平然と光留にローキックを見舞い、猛抗議する光留に和田京平レフリーが「打撃ダメなの?」とルールの確認をするなどコミカルな場面もあったが、すぐに空気は一変。
みのるはアキレス腱固めを始めとした足攻めや藤原喜明が得意とする腹固めなどを繰り出し、その激しさにグラップリングマッチにも関わらず光留は額から流血。終盤は熾烈なアキレス腱の取り合いとなり、最後はみのるが足を取ったまま立ち上がり、急角度の逆片エビ固めに捕らえて勝利。
勝利したみのるは本部席から勝利者賞の祝儀袋を奪うと、すぐに中身を確認。今後は中から何かを取り出すこと無くニヤリと笑い、そのまま倒れ伏す光留に背を向けて去っていった。
試合を終えた光留は「昨日も午前3時まで仕事して、朝6時に起きて、で自分は20周年で鈴木さんを迎え入れてリング上にいて……たまんなかったですね。これに代わるものなんて無いんだよなぁ。コロナで大変なことになってても、人が本当に好きなもの、本当にやりたいことって生き残るんですよ。それが進化だと思うんですよ。『なんとかして生きよう』と思う気持ちと行動が進化だと思うんですよ」と熱く語る。
そして、「多分お客さんは『なんで2人であんなことしてんだろ』って思った瞬間があったと思うんですけど、俺と鈴木さんの21年前の1999年の9月、ネオブラッドトーナメントで美濃輪(育久)さんが優勝して、次の大会まで日があるときで誰も道場に来ないときにまだ欠場してた鈴木さんが『おい、スパーリングやるぞ』って。あんときの攻防、そのまんまだったっすね(笑)僕がテンパって攻めるのも『20年前と同じだな』って言われました(笑)まだ修行が足りないですね。1回、自分の鼻をへし折らなくちゃダメですよ」と懐かしそうに当時を振り返る。
そして、「僕と鈴木さんは互いにメインで闘ってるところでは同じリングに立たないじゃないですか。一緒にやるんじゃなくて、違う道で生き続けることが、鈴木みのるに対する『プロレスラーとして生きてます』って証明だと思ったんです。絆とか、師弟関係とか色々言われるけど、10周年でシングルやったとき、(鈴木さんは)『悔しかったら俺んとこまで来い』っつったんですよ。あれから10年生き残って、僕のところまで来てもらったんで。これは生き残った証明だなって。でも、時間ってズルいなあって思うのは、10年経ったと思ったら鈴木さんも10年分成長してんすよ」とみのるへの想いを語った。
一方、みのるは「俺に師はいるけど、弟子はいない。それだけだ」と、みのるなりの言葉で光留との間柄について語り去っていった。
ニコプロpresentsハードヒット『KING of HARD HIT tournament決勝戦』
日程:2020年12月27日(日)
開始:13:00
会場:東京・新木場1stRING
観衆:コロナに負けるな(主催者発表)
▼新太平洋運輸(株)presents佐藤光留デビュー20周年記念試合 グラップリングマッチ 20分1本勝負
○鈴木みのる(パンクラスMISSION)
11分50秒 逆片エビ固め
●佐藤光留(パンクラスMISSION)