永島勝司、平成30年・節目の決断!「WJプロレスにケジメのイベントを」
- 2018-3-1
- 永島編集長の他流試合
先日も俺が書いたが、今年が平成30年という「節目」のトシであり、俺が平成元年プロレス界で初めて東京ドーム公演を実現してから早いもので30年になるのか・・・・今思い出しても、この30年いろいろあったよな。中でも汚点というか、悔しいというか、心に大きな傷跡を残した出来事が「WJプロレス」の2年間であった。言ってみれば触れたくない「事実」だが、俺の周囲の友人達は言う。「今だから、一つの区切りというか、解散というケジメをつけておくべきだろう。その方法はいろいろあると思うが、永島が納得いく形でやってみてはどうかな。一つのイベントにすることだと思うのだが・・・」この言葉は俺の隠したがっていた部分を突き刺したな。
WJプロレスの顛末は俺の著書「地獄のアングル」に詳しく書いたが、人生というのは、どんなに順調に進んでいても、たった一つの出来事がすべてをぶち壊してしまう恐ろしさを秘めている、ということだ。
突き進む勢いのまま走っていても、フト立ち止まって現状を見ることは必要なんだ。特に俺のように「お人好し」は、その落とし穴にはまりやすい、ということだろう。俺の75年間の人生を「ジェットコースター人生」という人がいる。全てその通りで、新聞記者時代には、若くして部長になり頂点に立ったと思ったら、局長と大喧嘩をして7階級降格のヒラ社員に。そして二年後に今度は運動部長に昇進と、まあ忙しい人生だね。そして猪木に誘われ新日本プロレスに入った。
急カーブでの上下スロープは、いかにも俺らしいと言う人もいるが、誰もすき好んでジェットコースター人生を送っているワケではないが、それなりに楽しいこともあるもんよ。これは強がりではなく、その時どきに体験する出来事は、また新しいモノを生むことにつながるんだ。まあ、だからジェットコースターとなるんだけどね。
猪木やガッツ石松という親友と知り合えたのも、俺なりの人生だから、と言えるのかもしれない。40年の付き合いが続いているのは凄いな。
今回、30年という節目にあたり、俺なりの軌跡というか、周囲の人達に感謝のメッセージを送りたいと思っている。俺の人生の中で、「WJプロレス」は貴重な1ページだった。単なるスキャンダルで済ましてしまうレベルのものではない。今だから、直接会ってとことん話をしてみたいと思う人もいる。そんなチャンスを作るのにも周囲の人達の協力なくしては成り立たない。イベントをやるにしても「いつ、どこで、何を、誰と」をこれから決めなければならない。実は先日、強力な助っ人が現れたんだ。まだ、その人の名は伏せておくが、タイミングが合った時に公開するよ。昔は自分で何から何までやり抜けたが、さすがに今は不可能だ。でもエネルギーはまだあるよ。皆さんもいいアイデアをどんどん出して下さいよ。楽しみにしているよ。