格闘技レフェリーの芹沢健一が都内に進出し3つ目の"セリケンジム”を開設!「かつての格闘技の熱をもう一度日本に取り戻したい」
12月某日、都内練馬区のセリケンジムにおいて、ジム内覧会が行われた。
セリケンジムは、元格闘家で現在は多くの団体でレフェリーを務める芹沢健一氏がオープンした3番目のジム。芹沢代表は地元・静岡県にすでに2つのジムを開いており、多くの選手を育てている。今回、ついに東京に進出した形だ。
内覧会には、レスリング時代の愛弟子・佐藤大紀さんとその家族をはじめ、中井祐樹、北岡悟や、和術慧舟會の仲間が駆けつけ、賑やかにオープンを祝った。
セリケンジムは西武池袋線「中村橋」駅から徒歩30秒。駅の斜め向かい側のビル6階にある。これだけ駅近であれば、会社帰りや帰宅前など、気軽にジムに通うことができる。
中に入ると、まず「広い!」と思った。ここなら、寝技の練習も何組もが同時にできるだろう。大きな窓からは光がたくさん入り、非常に明るい雰囲気だ。
フロアの広さだけでなく、サンドバッグやマシンなども充実。さらには酸素カプセルまであるから驚きだ。
もちろん更衣室やシャワールームも完備されている。さらには、大きな鏡と明るい照明のあるパウダールームもある。これなら、汗をかいたあと、しっかり身だしなみを整えてから帰ることができる。現在は女性会員が多いというが、それも頷ける充実ぶりだ。
ワイルドなイメージの芹沢代表だが、実はかなりの清潔好き。少しの汚れも放っておけない。また、凝り性でもあるので、全て自分の手で修正する。文字通り、寝る間も惜しんで作り上げたジムなのだ。
さて、芹沢代表は、なぜ3つ目のジムをオープンさせたのだろうか。
「東京なら俺の能力を発揮できると思ったから。というのは、これまで静岡でジムをやってきて、それなりにプロ選手も育ててきたんですよ。でもね、いいところまで来たと思うとパッと抜けられちゃう。やっぱり静岡は田舎なんだなということです。
俺は、自分は選手を育てるのに向いていると思ってます。東京ならじっくり選手を育てられるんじゃないかと思ったんです。
静岡って、人口減少率が日本で5位の県なんですよ。これではいつかダメになる。だから、どうしても東京にジムを出したかった。それでも、1年探してダメだったら、縁がなかったと諦めようと思っていました。いくつか候補はあったんですけど妥協できなくて、最後にここが見つかりました」
選手のジム移籍は珍しいことではないが、地方のジムにおいては死活問題とも言える。東京に比べて選手人口が少ない中、有力な選手に抜けられるのは大きな痛手となるからだ。
強い選手を育てたい—芹沢代表は、その一心で物件を探してきたという。
芹沢代表が現役だった頃の和術慧舟會は、「ジム」ではなく、まさに「道場」だった。新しい会員が入ってきても、優しく教えるなどということはなかった。いきなりしごき、翌日も来れば「こいつ、根性あるな」となる。
「もう、道場に残って欲しいとかいうより、振るいにかけていたようなもんですよ。でも、それくらいじゃないとプロとしてやっていけないし、今みたいに趣味で入ってくるなんていうのはほとんどありませんでしたね」
そういうハードな環境の中で、和術慧舟會黄金時代の名だたる選手たちが育ち、活躍してきた。しかし、残念だが、スパルタ式はいまの時代には合わないやり方になってきている。
「今は、厳しくしたら辞めちゃいますからね。今はいろんなことを選べる時代だから。逆に、格闘技に興味のない人が入ってくるのも当たり前です。ちょっと身体を鍛えたいとか、ダイエットしたいとか。それでも、ここに通うことで少しでも格闘技に興味を持ってもらえればいい。東京にはとにかく人がいっぱいいますからね。
今いる女性の会員さんで、試合に出てみたいなと言う人もいたりするんで、焦らずにやっていきます」
芹沢代表が育てたいのは「人から尊敬される格闘家」だ。
「格闘家って、やっぱり世間一般ではまだまだ乱暴なイメージが拭えてないんですよね。だから、元格闘家が事件を起こしたりすると、必ずニュースになる。引退して何年も経っていたって、やっぱり元格闘家が事件を起こした、格闘技はやっぱり乱暴だ、みたいな論調にされちゃうんですよね。俺は、それが悔しいんです。格闘技が好きな人なら、みんな同じ気持ちなんじゃないですか。
だから俺は、格闘技のスキルだけじゃなくて、人間としてのスキルも磨かせていきたいんです。ジムの外では穏健な人間であれと。これは、レスリングや空手の時代から言っていたことです。格闘家は、“普通にいい人”じゃ足りない。“普通以上に穏健で立派な人”でなければいけないと思う。強くて、優しくて、礼儀正しくて。そういう人間こそが、格闘家であってもらいたい」
PRIDE、HERO’S、DREAMなど国内の大きな大会が消滅して以降、格闘技ブームは鳴りを潜めてしまい、日本人選手の目は海外に向くようになった。現在はRIZINがスタートし、再び大会場での大会を開催しているが……
「かつてはあんなに盛り上がっていた格闘技の熱は、どこに行ったのかと思いますよね。そして、形は違っても、あの頃のような熱をもう一度と望むなら、日本国内の格闘技が盛り上がらないといけないと思います。今はRIZINがスタートしましたね。もちろん、外国に出るのが悪いわけじゃない。でもやっぱり日本に引き寄せたい。そのためにもこのジムで、強い選手、いい選手を育てたい。東京ならダイヤの原石に出会う確率も高いだろうし、焦らず俺流にやっていきたいと思っています」
選手を育てるのは大変なことだが、現在、安心してジムを任せられるスタッフも入ってくれたという。時代に沿ったやり方を模索しながら、選手育成を目指す芹沢代表の格闘技愛は熱く深い。近い将来、セリケンジム所属選手が誕生し、活躍してくれることを大いに期待したい。
(写真・文/佐佐木 澪)