10・29名古屋で最後の電流爆破 大仁田と青柳館長が健闘を誓い合った!
- 2017-10-27
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- 超戦闘プロレスFMW
29日に愛知・名古屋国際会議場(さよなら大仁田実行委員会主催)で開催される「さよなら大仁田 最後の電流爆破 in 名古屋」で、“最後の電流爆破デスマッチ”を闘う大仁田厚と青柳政司(誠心会館々長)が、その健闘を誓い合った。
26日、大仁田と青柳が同席し、東京・千代田区のプロレスショップ「闘道館」で記者会見を開き、最後の闘いに向け、思いの丈をぶちまけた。
同大会で大仁田はKAIと組み、青柳、ミノワマン組と異種格闘技ランバージャック電流爆破デスマッチで激突する。
大仁田と青柳は、1989年7月2日に後楽園ホールで開催された「格闘技の祭典」で初対決。青柳は大仁田のイス攻撃で大流血に追い込まれ、両軍のセコンドが入り乱れた大乱闘に発展。この闘いがきっかけとなり、大仁田はFMWを設立。同10月6日の名古屋・露橋スポーツセンター、同8日の後楽園での旗揚げ2連戦で、二人は激闘を展開。この一連の闘いは後に語り草となるほど、伝説として残っており、青柳の存在なくしてはFMWの成功はなかった。その後、月日を経て、FMW、超花火マットで電流爆破戦も闘った両者だが、初対戦から28年余の年月が経ったとあって、もはや二人の間には、わだかまりなどない。
終始にこやかな表情で会見に臨んだ両者だが、青柳がリングに戻るまでの道のりは平坦なものではなかった。2015年5月、バイク事故で右ヒザから下の36箇所を複雑骨折し、一時は右足切断の危機もあった。しかし、不屈の闘志と、「もう1度大仁田を蹴りたい!」との思いでリハビリに励んだ青柳は、ようやく自力歩行できるまで回復。昨年からは「魔世軍総裁」として、ファイヤープロレス、リアルジャパン・プロレスのリングで、悪徳マネジャーとしてらつ腕を振るってきた。
だが、試合をするのは事故後初。すでに、15年10月にはプロレスリング・ノアのリングで引退式も行っており、この日が“一夜限定復帰”。当然ドクターストップが掛かっており、担当医からは「右足で蹴ったら、再度複雑骨折する可能性あり」と断言されている。
それでも、青柳は「大仁田さんがいたから、今の自分がいる。初対戦から約30年、人生の半分くらい経つ。離れていた時期もあったけど、頭の中には常に大仁田さんのことがあった。最後の名古屋となれば、相手はボクしかいないでしょ。引退の花道に、ボクの右足を贈ります。リングに上がる以上、右足で蹴ることを考えています」と覚悟のコメント。
大仁田は「28年前にFMW旗揚げのとき、名古屋で青柳館長と対戦して、2日後に後楽園があった。ふしぎなもので、今回も名古屋の2日後に後楽園がある。名古屋を乗り越えなければ、後楽園はない。これも運命。リングに上がったら、敵同士。右足がバラバラになっても仕方ないですよ」と決意。
青柳は総合格闘家のミノワマンという強力なタッグパートナーを帯同するが、「彼は岐阜の出身で、昔、空手をやっていて、ボクが主催する大会にも出てたんです。格闘家だけど、心はプロレスラー」と話した。
当日は、電流爆破バット3本が用意され、青柳は電流爆破レガースを着用するという。初対戦から実に約29年の月日を経て、大仁田と青柳の闘いが10・29名古屋で完結する。