リング☆ドリーム原作者でいしろうインタビュー[第1回]女子プロレスを題材にした『リング☆ドリーム』のはじまり
プロレスを題材にしたゲームといえば、ひと昔前なら『ファイヤープロレスリング』、最近ならば新日本プロレスの親会社でもあるブシロードが発売している『キング オブ プロレスリング』が有名だ。
だが、1993年にコンプRPGの付録にて女子プロレスを題材にしたカードゲームとして登場した『リング☆ドリーム』をご存じのプロレスファン、ゲームファンもたくさんいるだろう。女子プロレスを題材にし、約20年もの歴史がある『リング☆ドリーム』だが、2014年からはDDTプロレスリングとコラボ企画をスタートさせ、男色ディーノや飯伏幸太ら男子選手を“美少女化”していることも話題になっている。
では一体、この『リング☆ドリーム』というゲームはどういう人物が考え、作っているのか……『リング☆ドリーム』ユーザーでもあるバトル・ニュースのつばさ記者が、原作者のでいしろう氏を直撃した。
【取材・文/執事記者つばさ】
――まず、なぜ約20年前(1993年)に『リング☆ドリーム』という作品をつくろうと思ったのでしょう?
でいしろう 最初は(ゲーム会社の)『ウルフチーム』から独立して『すたじお実験室』というゲーム会社ができ、その時に編集者として手伝いをしていて、それと同時に絵描きがウチにいっぱいいたんで、ブリザードYukiの安西真(西安)とか、ガープス・リング☆ドリームやクロノクルセイドの森山大輔とか、その絵描きの仕事を探しに富士見書房の担当さんの所に行って話をしたら「絵描き単体だと仕事にならないから企画と一緒だったら」という話になり、咄嗟にいくつか企画を作ったうちのひとつが『リング☆ドリーム』だった。
――それは当時女子プロレスが流行っていたから出た企画ということですか?
でいしろう いや、当時は男子プロレスだった。22年前で、当時は鶴藤長天(かくとうちょうてん=ジャンボ鶴田、藤波辰爾、長州力、天龍源一郎の頭文字を取って、当時そう呼ばれていた)の人たちを応援していた。最初は男子プロレス持って行ったんだけど、編集長が乳が好きで、とにかく乳がある企画書を持ってきてくれと。当時女子プロレス全然詳しくなくて、いくつか戦隊ものを女戦隊ものにしたり、男子プロレスをそのまま女子プロレスにしたり、ファンタジーものをヒロインばっかりにしたような企画書をいくつか持っていって、得意ジャンルはプロレスだったので推し進めたのが一番最初のリング☆ドリーム。最初のリング☆ドリームは男子プロレスっぽい感じで、当時の女子プロレスで一番大きいのが三田英津子さんとか174cmぐらいだったのに、平気で177cmとかガンガン出しちゃって(苦笑)。最初カードゲームとして出したのが始まりで。
――コンプRPGの付録のカードゲームですね。
でいしろう そうそう。さらにもっとこう脱げば脱ぐほど強くなる当時のガイナックスの要素を足したらどうかと言われて、それはさすがに行き過ぎだろうという感じのどっちかというとギャグチックな始まりだったのかな〜。当時、最初は男子プロレスですよ。僕の当時のイメージがクラッシュギャルズの頃の阿部(四郎)レフェリーとか、すっごい何これみたいな頃で、それで(本誌に)出したところ、アンケートですっごい悪かったので。悪くて担当さんと「やったー! アンケートの悪いトップだ!」と。好きなほうもそこそこにはいたんだけど、反応ないよりあったほうがいいんで(笑)。それがキッカケで連載が決まって。アンケートの結果が悪かったから連載決定というすごいスムーズな流れでした」
――出版界にありがちですね(笑)。
でいしろう 反応があったら勝機という。
――その時から『ガープス・リング☆ドリーム』がはじまるのですね。
でいしろう 当時まだド新人だったので、いきなり一本丸々任せられないんでガープスというシステムに乗せられるんだったら連載できるよということでグループSNEさんと一緒に作ることになって。その時に本格的にやるならもうちょっと本格的に女子プロを研究しなきゃなと思ったのが……カルチャーショックのはじまり(苦笑)。
女子プロレスを見た衝撃がリング☆ドリームに
――当時のクラッシュギャルズを見てですか?
でいしろう いや、豊田真奈美選手とか井上京選手子とかブル中野さんやアジャ・コング選手。最初にカードゲーム作った時の資料が、もうなんだか忘れたけど見せてくれた人が「女子プロに偏見あるだろ!」ってチョイスで持ってきたんで(苦笑)。多分だけど、LLPWあたりの前座試合をビデオで見せられて「女子プロレベル低いじゃん」と思ったのがカードゲームのはじまり頃。その後じゃあって角川さんと一緒に全女行って、デビュー前の府川唯未選手を見てちっちゃいなーとか思ってて、そのまま興行行って見たら「ホゥォー!?」って感じ(笑)。なにこれ、こんなスゲーのと!
――当時は男子に負けず劣らずの迫力とエンターテイメント力でしたからね。
でいしろう カードゲームが男子プロレスっぽく偏見持って作ってしまったので「とんでもないものを作ってしまった…」と。
――でもそこからはずっと女子プロレスですよね。
でいしろう そうそう。女子プロレスのビデオかき集めて研究して、全女さんの興行に、当時まだ若かったロッシー小川(現スターダム社長)さんとかに「取材してもいいですか?」と聞いたら「いいよ〜」と軽く言われて車で巡業付いて行って。たまにリングの撤収とかも手伝ったりとかしながら、担当さんが「普通そんな取材しないよ」ってとこまで密着して作っていったのがガープス版のリング☆ドリーム。
――当時は見ていて誰が好きでした?
でいしろう 獄門党(=ブル中野を中心としたヒールユニット)。人気があったのは豊田真奈美選手や山田敏代選手だったけど、京子選手とかすごい器用だなとか、ブル様あんなとこから飛ぶんか〜とか、この身体張ってる感すごいなと。あとは一番最初にインタビューさせてもらったのがブル様だった。コンプティーク編集部にブル様にインタビュー来てもらう時に、編集者と僕と担当さんとその時の編集プロの人間が一階で4人で土下座して迎えたら「やめてください」と言われて(苦笑)。
――なんで土下座?(苦笑)
でいしろう ブル様が来るなんて恐れ多い! コンプティーク編集部にブル様が来るだなんて、当時はまだ女子プロのプライベートの顔というのもよくわからないんで、とりあえずレスラーのままのイメージでお迎えしたらなんかすごい普通に可愛い声で「やめてください」って言われて(笑)。
――その連載が何年ぐらい続いたんでしょう?
でいしろう 2年半かなぁ。ありがたい事に最初は嫌い票がメインだったのに後半アンケートのトップ3に入るぐらいまで人気にしていただいて。コンプRPGが潰れるまでそのまま走らせてもらった。
リンドリ休止! 泥士朗から別名義でフリーへ
――その後がレッスルエンジェルスですかね?
でいしろう 1回リング☆ドリームは置いといて、本当は第二部リプレイも出してもらうはずだったのに、受け継いだ担当さんがどっか行っちゃったので、そのまま出ずに終わって……。初代の担当さんから二代目に引き継いで、そのままどっか行っちゃって。イラストを失くされたりとかよくあるんですよ。出版界あるあるで。仲悪くないのでよかったんですけど、夜中に編集部でプロレス技かけあったりしてたぐらいには仲良かったんで。その後コンプRPGの次の雑誌の時に「看板で頼むよ」と、スニーカー文庫で後に出すライトノベルを連載することになったんですけど、こんな沢山いる中で看板が僕でいいのかと思ったら看板が僕しかないという!
――えぇ!?
でいしろう 小説、ライトノベルが僕でいいのと思ったら小説書くの僕とあと一人ぐらいしか居ない! 一応頑張ったけど、1年ぐらいで力尽きました。
――それは重たい……
でいしろう 読者参加企画とかそういったものばっかりで、ドラゴンマガジンが当時流行ってたんで「あれみたいなゲームと小説の雑誌になるよ」と言われてたんで僕以外にも居るのかと思ったらいないという!
――その頃は作品としてはプロレスから離れていたんですね。
でいしろう プロレスはずっと見ていたけど、少なくとも全女が崩壊してバラバラになったあたりまでは……
――AtoZとかアルシオンとか?
でいしろう そうそう。どっかのファンクラブの残ってると思うんだけど(※財布の中を漁りながら)、僕、色々ちょこちょこファンクラブ入っていて、ないかなぁ? …ネオレディースの最初の雪が降った興行に行ったりとか。あったあった(※ファンクラブの会員証が出てくる)。
――わぁ! これが当時の本物の……あるんですね。まだ世の中に。
でいしろう 家に帰ればアリスソフトの会員証とかもあるよ(笑)。覚えてるのが、ネオレディースの最初のパンフレットにピカチューが描いてあるの。
――え!?
でいしろう 井上京子版ピカチューが。オリジナルの人が描いてるの。ポケモン作った会社なんでしたっけ? いまは任天堂だけど……(編集部註:株式会社ゲームフリーク)。あのイラストレーターさんが井上京子カラーのピカチューを描いたの。パンフレットに。
――今、出したら訴えられるんですかね?
でいしろう オリジナルが出した寄稿だからいいんじゃないかな(苦笑)。今だと任天堂本部が許さないかもしれないけど。
――そんな時代……
でいしろう 色々ゆるゆるな時代。
――そのまま小説を書き続けて?
でいしろう しばらくフリーで活動していて、結婚して子供出来て、フリーでいつまで体力持つかわからないよねってことでどこか組織に所属しようと色々探していたらここ(サクセス)に引っかかったという。ほんとは秋葉原にあるギャルゲー専門のゲーム会社で、社長の下について色々専属でやってみたいな話が決まっていた所で、その前に面接受けていたサクセスから急に「人がいるから来ませんか?」って言われて、どっちにしようかなと思ってたら、ここの社長が「副業もいいよ」って言うのでこっちにした。
【第2回に続く】→https://battle-news.com/?p=3100
でいしろう
ゲーム会社ウルフチーム退社後、『リング☆ドリーム』でデビュー(当時は泥士郎)。その後、TRPGや読者参加ゲームなどの活動を経て株式会社サクセスに所属。現在『リング☆ドリーム 女子プロレス大戦』原作者でいしろうとして活動中。
リング☆ドリーム
1993年にコンプRPGの付録にて女子プロレスを題材にしたカードゲームとして世に出る。その後GURPSとしてTRPG化。2014年現在、株式会社サクセスによりYahoo!モバゲー、Mixiゲーム、ニコニコアプリ、スマホアプリ(女子プロレス烈伝)、台湾(擂台☆夢想〜女子職業摔角大戰〜)の5プラットフォームにてサービスを展開中。