【永島編集長の”他流試合” 】発見!木村健悟の謎!~現品川区区議会議員の木村健悟氏!

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永島編集長の“他流試合”
発見!木村健悟の謎!~現品川区区議会議員の木村健悟氏!
(以下、永島編集長は永島、木村健悟氏は木村)
2016-05-23_他流試合_木村健悟
永島「今日は宜しくね、健ちゃん!」
木村「こちらこそ宜しくお願いします。去年の後楽園ホールで一緒でしたけどゆっくりと話せなかったですね。」
永島「そうだよ。某雑誌社の仕事で新日本プロレスの観戦だったよなぁ。ところで洋子ママは元気なの?」※木村氏の妻
木村「えぇ。お陰様で元気にしています!」
永島「それは良かった!健ちゃんとはもう40年来の付き合いだよなぁ。初めて会ったのは俺が東スポにいて、プロレス担当取材記者になっての初仕事の時。懐かしいよなぁ~。」
木村「そうそう、永島さん、うちに泊まったんですよ。」
永島「担当記者になって直ぐで、右も左も解んないのに、いきなり『パラオに出張に行け!』だもんなぁ。プロレス知らねぇ。もちろん、まだ猪木も知らねぇ。何も知らねぇ。ひでぇ話だ。ガッハッハッ(笑)」
木村「その頃、私は井の頭線の久我山に住んでいて、永島さんがうちに近かったでしょ。それで泊まってもらって、次の日、空港まで送って行ったんですよ。」
永島「いやぁ、ありがとね!あの時、やたら親切な人がいるもんだなぁ、て、思ったよ。お互い、よく知らないのに。そう言えばその頃にはもう洋子ママ一緒だったよなぁ」
木村「えぇ。女房とはまず同棲してましたからね。私がアメリカへ行く前ですから22才の時ですねぇ。」
永島「よく出来たいいカミさんだねぇ。一目惚れかい?」
木村「そうなんですねぇ。いやぁ、照れるじゃないですかぁ。実は私、倍賞美津子さんの大ファンでして、その頃、女房が倍賞さんに似てましてねぇ。惚れちまったんですねぇ。(笑)だから猪木さんが倍賞さんと別れた時、『何で別れちゃったんだろ?』って、思ってました。」
永島「ワッハッハッ(爆笑)健ちゃんなりにショックだったんだぁ。」
木村「ですねぇ」
永島「そう言えば、アメリカで洋子ママとロスのディズニーランドに行こうとしたら、デニーズに着いた、って話しはホントなの?」
木村「ホントですよ(笑)車で標識に向かって走ってたんですね。『着いたぞぉ』って、あたりを見たら『あれぇ?何かおかしいぞぉ』て、なんとそこはデニーズでね。『D』で始まっての看板と色使いがとっても似ていたんですよ。」
永島「ガッハッハッ!天然だねぇ!笑えるなぁ!その後、無事にディズニーランドに行けたの?」
木村「お陰さまで!でも何で永島さんがそんな話、知っているんです?」
永島「まぁー、いいって事よ!健ちゃん逸話の一つだからなぁ。プロレスラー木村健悟の素顔、ってとこかな。」
木村「その前は相撲取り、力士でした。小さい時からやんちゃで悪ガキだったんですよ。親にも周りにも迷惑ばっかりかけていました。中学時代に野球をやっていて、甲子園に出たくって野球の強い高校を受験したんですけど落っこいちゃいましてねぇ。もう何もかもが嫌になっちゃって、愛媛の新居浜から15才で着の身着のまま家出しちゃいました。」
永島「ほう、15才でねぇ。で?どうしたの?」
木村「小銭しか持っていなくって、ホームレス。心細いし、腹は減るし。ただ、不安ななか、夢と希望があったんで何とか耐えれたのでしょうね。それから流れ着いて、「宮城野部屋」に16才の時新弟子で入門させてもらいました。」
永島「おぉ、そうそう、健ちゃん力士だったんだよねぇ。」
木村「そりゃ厳しかったですよ。封建的な縦社会で新弟子は大変な思いをしましたね。」
永島「初土俵は、どうだったの?」
木村「四股名、『木村山』で割と早く初土俵させてもらったんです。入門した同じ年の1969年7月に。」
永島「凄いじゃない。良かったじゃない。」
木村「それがですねぇ。一年経たないうちに、私はもう止めたくって、止めたくって仕方なかったんです。」
永島「何で?イヤイヤ病かい?(笑)」
木村「回しのですねぇ。この此処(ここ)ん(ん)所(とこ)、締め込み部分(腰を触りながら)が擦れて痛くってたまんなかったんですね。結果『腰椎(ようつい)分離症(ぶんりしょう)』になっちゃいましてねぇ。」
永島「腰やったら大変だよなぁ。俺も去年『ぎっくり腰』やって辛かったぜぇ」
木村「でしょう?新弟子だから投げられてばかりで、当たると痛いんですよね。で、止めさせてくれないから・・・。」
永島「で???」
木村「マゲがあったんで、夜中に包かぶりして、泥棒みたいにコソっと部屋を抜け出し家出したんです。」
永島「ハッハッハッ!その姿、想像しただけで面白いやぁ。まるでマンガじゃねぇか(爆笑)」
木村「いやぁ、本人は必死ですから(笑)着物に下駄履き、頭はマゲでしょ!まず家出して床屋に飛び込みましたね。」
永島「着の身着のまま、着物のまんま。てか?」
木村「そうそう、上手い事言いますねぇ(笑)その後、そば屋の出前持ちや色んなアルバイトをやっていて、72年に日本プロレスに入団しました。」
永島「プロレスラーになるキッカケは何だったの?」
木村「力士時代に、休憩時間に皆でTVのプロレス中継ばっかり見ていたんですよ。皆、プロレスが大好きでねぇ。『プロレスラーになりたいなぁ。プロレスの世界に入りたいなぁ。』なんて、漠然と思っていました。」
永島「(笑)それがきっかけなの?ホントに?日本プロレスに知り合いでも居たのかい?」
木村「いいえ、誰も居なかったです。」
永島「ヘェ~!面白いねぇ、健ちゃんは!プロレスラー人生の原点はそこかぁ!」
木村「えぇ。それで72年の8月鹿児島の喜界島で、佐藤昭雄戦でデビュー出来たのですが、嬉しかったですねぇ。結果は負けだったんですけど、『リング』に上がった事がたまんなく嬉しくって、普段連絡を取らない親父に、思わず電話しましたよ。ズ~と、悪ガキで親不孝していたので、何だかとっても親孝行した気分になりましたねぇ。」
永島「いぃ話じゃないかぁ。」
木村「それからも出場していたプロレスがTV放映されていた事もあって、地元に帰るとちょっとした有名人。スター気分でねぇ。今まで、後ろ指刺されていた悪ガキの私に、皆、ニコニコ笑ってくれるんですよねぇ。あの時の嬉しそうな親父の顔がたまんなかったなぁ。思い出すなぁ~」
永島「いぃねぇ、いぃねぇ。ますます泣けるじゃないかぁ。で、その後すぐだっけ?新日(新日本プロレス)に行ったのは。」
木村「えぇ、坂口征二さんと73年に新日に移籍しました。」
永島「そうだったねぇ。猪木が新日を立ち上げた年だったよなぁ。健ちゃんと言えば『稲妻レッグ・ラリアット』この技の誕生秘話、聞かせてよ。」
木村「一流の選手になる為には、何か得意技が欲しかったんですね。例えば、猪木さんなら卍固め、延髄切り。ハンセンならウエスタン・ラリアット。みたいな代名詞になる技をね。ず~うっと、何かないかなぁ?って、考えていたんです。それで、ある時フッと、ウエスタン・ラリアット、かっこいいなぁ・・・そうだ!それを前からやってみたらいいんじゃないか!て、思いついたわけです。」
永島「おぉ、発想の転換をした、って事か!」
木村「えぇ、まぁ。その技を、谷津さん相手の試合で初めて使ってみたんですね。これがまた、見事、綺麗~に決まってねぇ。顎(あご)めがけていったんですが、相手の鎖骨に当って、動けなるくらいうずくまってしまったんです。」
永島「あぁ、覚えてるよ。凄い迫力と華麗なるパフォーマンス!」
木村「成功したまでは良かったんだけど、私は私で“むこうずね”が欠けちゃった。いやぁ~痛かったなぁ~!それで、次から足にパットを付けて、これが人呼んで『稲妻パット!』
永島「なるほどねぇ。それから木村健悟と言えば『稲妻』。稲妻と言えば『木村健悟』。ときたもんだ!」
木村「実際、『稲妻』のネーミングは実況中継していた古舘さんが思わず言った言葉なんですけどねぇ。まぁ、ありがたい事ですが。人差し指を立てて『稲妻!』て、インタビューでも何でもかんでも叫んでいましたよ(笑)」
永島「ハッハッ、そうだよなぁ。何だか健ちゃんの人柄がにじみ出るような話だよなぁ。これまでのプロレス人生で、一番良かった事、一番嫌だったり、悲しかった事、って何?」
木村「良かった事は、さっき話しました“デビュー”してリングに上がれた事。それと、87年1月14日の後楽園ホールを超満員にしたワンマッチ興行。対藤波戦ですね!これは私にとって一番の自慢ですよぉ!」
永島「それにしても、対藤波戦は大成功だったよなぁ!プロレス史上に残る大偉業!俺も色んな企画やってたけど、あれはホントに大ヒット!してやったり!(笑)」
木村「エエッ!?ワンマッチ興行って、永島さんの企画だったんですか!いやぁ、今まで知らなかったなぁ。」
永島「あれは、俺だよ、俺。俺の企画。大ヒット興行の偉業!他人も認める自画自賛(爆笑)」
木村「そうだったんですねぇ。当時、永島さんの企画力は全部大成功でしたし、その影響力も凄い勢いでしたものねぇ。それと、もう一つの質問の嫌だった事、悲しかった事ですかぁ?・・・ウ~ン、特に無いですねぇ。」
永島「忙しすぎて、嫌な事とか考えてる暇が無かったんじゃないの?」
木村「ホントに思い浮かばないなぁ。今、心からプロレスやってて良かったなぁ、って思っています。今の木村健悟があるのはプロレスのお陰だもの。そして、私には偉大なる尊敬してやまない二人の師匠がいます。坂口征二さんと、A猪木さん。同じ時代にプロレスが出来た事は私の誇りですね。」
永島「歴史に残る、いい時代だったよなぁ。健ちゃんは素晴らしいプロレス人生を歩んできた、って事だね。で、どうなんだい?(品川)区議会議員の木村健悟は?」
木村「お陰さまで、去年二期目の当選をさせて頂きまして日々奮闘しています。まだまだ新人ですけど、区民と区政をつなぐ架け橋になって、明るい、元気な品川作りをモットーに頑張っています。一期目から続けていて今年で五年目になりますが、基本週一で、大井町駅や武蔵小山駅で街頭演説をさせてもらってます。皆さんからお声をかけて頂いたり、握手を求められたり、認知して頂き嬉しい限りですねぇ。」
永島「いやぁ、それは良かった。でも、身体はどう?手術した。って聞いていたけど。」
木村「ご心配かけて、申し訳ないです。何だか難病の一つの『黄色靭帯骨化症』になっちゃってねぇ。完治はしていないんですけど、上手く病気と付き合うよう努力をしている状態ですね。」
永島「そうかぁ。大事になぁ。間違っても俺より先に逝くなよなぁ(笑)淋しくなるじゃねえかぁ。」
木村「止めてくださいよ(笑)まだまだ大丈夫ですから。」
永島「まぁ、今日の俺の感想から言って、思っていた以上に元気だ!と、言う事は俺が先かぁ?(爆笑)冗談はさておいて、色んないい話が聞けて嬉しかったよ!ありがとよ、健ちゃん!これからも、宜しくな!」
木村「こちらこそ、久々に楽しかったです。ありがとうございました!」

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