永島勝司 ゴマシオ親父のつぶやきR[第23回]
- 2015-10-21
- ゴマシオ親父のつぶやき
我盟友、馳浩が事もあろうに安部内閣の文部科学大臣に就任した。驚いたね! 「浩」「オヤジ」と呼ぶ仲だっただけに驚きと歓喜に震えたね。
つい最近、ある雑誌社の企画で馳と対談をした時、あいつはその欠片も言わなかった。自民党本部の広報室長の部屋であった時にも、あいつはいつもの馳浩だった。あの発表を聞いた瞬間に俺は踊りあがって喜んだ。元々、オリンピックも決まったし、そろそろ浩の出番が来ると思っていたけれど、まさかまさかだよ。
今、色んな事を思い起こせば20年前かな。新日本プロレスが北朝鮮でプロレスを中心とした文化、芸能の平和の祭典をやった時だった。そりゃあ、俺と猪木はクタクタになるまで疲れたよ。そんな時、俺の背中を押してくれたのが馳だった。
イベント開幕日、メィディースタジアムに19万人という大観衆を集めて、まぁ、言ってみれば誰も想像できないイベントだったと思う。俺は出場者を代表して挨拶を馳浩に任せた。何も迷う事無く俺が馳を指名したんだけどね。威武堂々と約10分弱語り続けた。場内は、猪木よりも特別ゲストで招いたモハメッド・アリよりもしのぐ大歓声を浴びた。
俺は内心不安だったけどね。堂々とそれをやり遂げた馳に、俺も感動した。原稿は勿論俺が書いたけど、馳の平和を訴えるスピーチがこんな大声援を得るとは。馳が喋った後、万歳万歳という大声援を受けた時に、馳にやらしてよかったなぁ、と思った。
その時には、金正日(キム ジョンエル)も来ていた。この一つの事が、後に馳の国会議員としてのとんでもない大殊勲に繋がるとは思ってもいなかった。それだけ、彼のスピーチは北朝鮮の人達に大きな感銘を与えた。
そして、オリンピックの東京招致に関して馳が大きな勲章を得るとは。招致委員会の役員だった馳がどうしても欲しい一票を取った時、それが貴重な北朝鮮の張 雄(チャウン)IOC委員との繋がりだった。これは、馳が国会議員になってから、あっ、あの馳さんかと、無条件で、張 雄は貴重な一票を投じた。これは、馳のあの時のスピーチがそれだけ重かったんだろう。
馳は、張 雄と北京で会って話しをしたという。後日、俺のラインから総連を通じて入ってきた。あの馳さんの頼みだから、と、俺は聞いた。嬉しかったねぇ。それだけ、一介のプロレスラー馳浩が北朝鮮に残したメッセージの大きさがこんな時に役に立つとは。
この前、馳と会った時にも「オヤジ、ありがとうよ。」と、言われた時、俺は嬉しかったなぁ。あの北朝鮮のイベントをここまで、有効に使った男、流石、馳浩。そもそも、彼に代表メッセージを読ませる事を決断した裏には馳は、レスラーの前に専修大学文学部卒業で星稜高校の国語教師だった。これを、俺は重視した。何しろ、大観衆の前でスピーチをやり遂げたあいつが、よし、やった!という、俺の自負があった。
馳浩は元プロレスラーと言われているが、あいつは、それだけの教育的下地を持っていたんだ。それが、現在の馳浩の全ての下地になっていたと思う。アントニオ猪木には悪いが北朝鮮のイベントを間接的にも生かした事は大変な事だったよなぁ。
これから後も、彼が親分と称する石川県の大ボス、森善朗元首相の影を引っ張っていかなきゃいけない。大変なスキャンダラスな後を継ぐことになったが、曰く因縁付きの東京オリンピックに向かって様々な企画を打ち出してくれるだろう。馳なら、色々なスキャンダルを乗り越えながらやっていくだろう。
現役時代の馳の得意技だったジャイアントスイングのように政界をぶん回してやってくれ! 浩なら、必ず出来る。最も、もう浩と呼べないな。でも、浩だよ。必ず、やってくれる。負けるなよ、浩。お前には、あのパワーがある。19万人の、北朝鮮国民を熱狂させた、あのパワーが。
長生きして良かったなぁ。あいつが、大臣になるとは...。俺は3日3晩祝杯をあげた。これからも色々な障害はあると思うが奴なら、きっと乗り越える。万歳、馳浩!
追伸
先日、当コラムで書いた大仁田厚の千葉県袖ヶ浦市の市長選挙に立候補の件は、俺が危惧(ドタキャン)していた通りになった。まあ、大仁田の事だから邪道魂で今後も活躍する事を願いたいね!