【インタビュー】REBELS.53でライト級王座決定トーナメント決勝戦を行う良太郎がベルトへの想いと波乱万丈の格闘技人生を語る!「こんな経験をしてる選手は他にいないでしょうね」

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 11月24日(金)、REBELS.53(東京・後楽園ホール)にてREBELS―MUAYTHAIライト級王座決定トーナメント決勝戦に出場する良太郎(池袋BLUE DOG GYM)。
 リングに上がれば喧嘩上等、バチバチの殴り合いで会場を沸かせる彼には「もう二つの顔」がある。ある時はK-1やKrushで活躍する「闘うビッグダディ」闘士のトレーナー、またある時は千葉県鎌ケ谷市にあるteamAKATSUKIで選手の育成やマネジメントを手掛ける日暮良太郎(本名)代表。
 リングネーム「藤良太郎」時代は黒星先行の選手だったが、今やチームからはプロ選手を何人も輩出し、自身も「REBELSの激闘男」として「メジロジムの豪腕」ピラオ・サンタナ(オランダ・メジロジム)とタイトルを賭けて戦うまでに成り上がった。ここに至るまでは紆余曲折、波瀾万丈だ。

「こんな経験をしてる選手は他にいないでしょうね…」

 良太郎が「数奇なキック人生」を語った。

チームアカツキにて。左から安達浩平、良太郎、濱田巧、佐藤レイナ

▼年中無休、朝10時から夜10時の内弟子生活
「キックは中3から、地元の柏ジムで始めました。喧嘩が強くなりたくて始めて、当時は魔裟斗さんがバリバリな感じだったから『すぐイケるっしょ』と(笑)。入門2日目にリングに上げられてトレーナーの人にボコボコにされましたよ(苦笑)。和式便所に座れないぐらいボロボロにされて、逆に『面白いな』と思って(笑)。次の日、足を引きずりながら『もう1回やらしてくれ』って。それを繰り返すうちに『コイツ、面白いな』と認めて貰えたんです。
 今の立場になって分かるんですけど、とんがった子は一度潰して、ほとんどの子はそこで終わるんですけど、中には『もう一度』って来る子がいる。そういう子は跳ね上がるし、変わってくる。そこで査定されてるんですよね」

 キックを始めるまでは喧嘩に明け暮れていたが、そんな生活に嫌気が差していた頃だった。

「見た目通り、元気が有り余ってたタイプです(笑)。学校にも散々ご迷惑をおかけしたんですけど、僕らの場合、外で1対1で喧嘩しても次は1対3、こっちが5を出せばあっちは10来るで、どんどん果てしない道になるんですよ(苦笑)。だけどリングは関係ないじゃないですか。1対1でやり合って、終わったらノーサイドで。トレーナーの人には『殺し合いをして、終わったらノーサイドで抱き合うなんて、こんなスポーツは他にないだろ?』って」

 転機は高校卒業時に訪れた。

「そのトレーナーの方は、元藤ジム総本部の一番最初の内弟子だったんですよ。その人が『独立する』と藤ジム千葉県支部を設立したので、僕は高校を卒業してそのまま内弟子に入ったんです」

 藤ジムの加藤重夫会長は、極真空手では松井章圭館長の師匠であり、キックボクシング藤ジム設立後は魔裟斗を育てたことで知られる。良太郎は加藤会長から直接、魔裟斗が若手時代にいかに努力したかを聞ける恩恵に預かったが、内弟子生活は厳しいものだった。

「道場には朝10時から夜10時までいて、飯は40秒で食わなければいけない(苦笑)。それで月給〇万円で、食費は出ないので生活は苦しかったです。会員さんには僕がジャブから全員教えて、中にはアマチュアから10連勝して、J-NETのスーパーライト級4位まで一瞬で駆け上がった子もいました。
 僕はアマチュアなしで、いきなりプロデビューです。加藤先生に『試合決まったぞ。体重は適当に決めとく』ってスーパーライトでデビューして、その後はスーパーライトかライト。どっちの階級になるかは先生の気分次第です(苦笑)。僕は一度も申告したことがないので」

 デビュー戦で負けて、その後も勝てない日々が続いた。毎日道場で練習している良太郎を見て「あんなに練習してるのに負けてばかり」という陰口も聞こえてきた。

「だけど、そこでサジを投げたら何も残らない。僕は意外と楽観的で『俺は大器晩成型なんだ』と(笑)。でも内弟子だから、結果が出なくて練習を変えようにも出稽古にも行けないんですよ。僕がいないと道場が回らないから。で、減量法も僕が実験台になって選手たちに教えてたんで、たまたまテーマが『減量方法』だった土居(進)先生の勉強会に行かせて貰ったんです。それから土居先生の勉強会はすべて出て、運動生理学を勉強しながら走り込み(スタミナトレーニング)も始めて。そこでブルードッグジムの人と会ってパイプが出来て、僕が練習時間を決められるようになると、空いた時間にブルードッグジムへ出稽古にも行けるようになったんです」

 すべて「押忍」の内弟子生活は、終わり方も突然だった。

「2013年2月に『今月で支部を閉める』って言われたんです。僕はブルードッグジムに移籍できることになったんですけど『ウチの子たちをどうする?』ってなって。3月に試合の決まってた子もいて、それから1か月間、僕は死ぬほど動きましたよ」

▼ブルードッグジム移籍、チームアカツキ設立
 良太郎はスーツを着て、近辺の学校に「体育館を使わせてくれませんか」と頭を下げて回った。

「学校の体育館は『1つの団体に貸せるのは週1回』という決まりがあって、月曜日は小学校、水曜日は中学校、土曜日は自衛官の会員さんの口利きで自衛隊の体育館を使わせて貰えるようになったんです。それと並行して、藤ジム千葉県支部の撤去作業ですよ。業者に頼むとお金が掛かるから、僕がハンマーしょって、みんなでジムを壊しました(苦笑)」

 その後は、チーム設立の挨拶回り。教え子たちの活躍の場を作るべく、アマチュア大会を主催する格闘技団体に頭を下げて回った。
 当時、良太郎は24歳。プロ戦績は3勝7敗4分と、黒星の先行する選手である。
 ブルードッグジムへの出稽古や、土居進トレーナーの主宰する走り込みやウェイトトレーニングにも参加して、選手としては「いよいよこれから」という時期。「選手に専念したらどうか」という声もあったが、良太郎の答えは明快だった。

「知ったこっちゃないですね。何も背負わないで、のうのうとやってたらとっくにキックは辞めてます。なんかしょってやってるから、死に物狂いで、体に不具合があろうが週6日は必ず練習をやりますし、試合の翌日、僕は必ずジムに行ってミットを持ちます。逆に、僕が休んだら教え子たちが『入院でもしたんじゃないか?』と騒ぎますよ(笑)。
 薄いですよね。選手だけやって、勝った、わー、あそぼ―、なんて。クソほど面白くない人生だな、って思うんですよ、ハハハ。僕が変わってるのかもしれないですけど」

 「チームアカツキ」の由来を、良太郎はこう説明してくれた。

「よく『NARUTO-ナルトー』の暁、と言われるんですけど違います。僕の背中に入ってるタトゥーが『ルシファー』で、元々天使長だったのが神に反逆して地獄に堕ちて堕天使になるんです。その異名が『暁の輝ける子』。暁は英語に直すとドーン、夜明け。だから反骨心で、そこから成り上がっていく、という思いを込めて付けました」

 目標を決めたら一切妥協しない。チーム設立に当たり、良太郎は目標を決めた。

「フィットネスとかじゃなくて、僕も本気で教えるんで結果が出なかったらスッパリ辞めよう、と決めてました。僕の中の『裏プラン』として、1年でアマチュアのチャンピオンを作れなかったら辞める。2年で3本ベルトを取れなかったら辞める。3年目になって『5本、取ろう』と決めたら取れたんですよ。そのうち、選手のお父さんがこの場所を見つけてくれて、元々あった建物を改造して常設のジムにしたんです。電気と水道は通ってますけど、シャワーはないんで、僕は冬でも水をかぶってますよ(笑)」

 現在は週3日池袋ブルードッグジムで練習とクラスの指導、週3日はチームアカツキで練習と指導。その合間に、ShimokitaGYMでヌンポントーントレーナーのミットを蹴り、土居トレーナーの走り込みとウェイトトレーニングに参加。1日2部練、3部練は当たり前。
 取材日は土曜日だったが、良太郎は金曜夜の土居トレーナー主宰のスタミナトレーニングに参加し、翌土曜日は午前中からチームアカツキの選手たちと前日のスタミナトレーニングと全く同じメニューの走り込みをする。

「僕は態度で示すんで。自分が試合前の追い込みをせずに、選手に『やれよ』と言っても説得力がないじゃないですか。『お前ら、俺は数時間前に同じメニューをやってきたんだからな!』と言いながら、一緒に走り込んでいますよ(笑)」

 また、トレーナーとして闘士や時にMMA選手のミットを持っている。「トレーナー良太郎」は選手たちにも好評で、特に闘士は良太郎のミットを蹴るためにチームアカツキまでやってくる。

「僕に師匠はいないんですよ。ブルードッグジムでも自由にやらせて貰ってますし、しいていえばYouTubeです(笑)。世界中のトレーナーのミットを見まくって、キックやボクシングやいろんなトレーナーを参考にして、いつも研究しています。たまにMMAのミットを持ちますけど、みんな『こんなミットは経験したことがない』って言いますよ」

 週6日練習して、日曜日は教え子や仲間の試合に足を運ぶので休日はほとんどない。その上、他に仕事はせず、収入は格闘技の指導料とファイトマネーのみなので生活は苦しい。

「超ハイパーギリギリです(苦笑)。彼女? いや、僕の生活に付いてくる子がいたら頭おかしくなっちゃいますよ(苦笑)。現役を引退するまで結婚とかはないだろうし、今『子供が出来ました』ってなって、貧乏生活をさせるのも可哀想。教え子たちが活躍して、もっとジムが大きくなってから、ですね」

 良太郎の熱意に、教え子たちも応えている。
 10月29日のJ-NETでは、安達浩平が2017年バンタム級新人王トーナメントで優勝、濱田巧は同スーパーフライ級トーナメント準優勝。佐藤レイナは昨年10月のNJKFミネルヴァ・アトム級王座決定戦で延長戦の末に敗れたものの(公式記録はドロー)、ベルトまであと一歩のところまで来ている。

「教えてきた子が結果を出してくれるのは本当に嬉しいですよ。僕自身はやれK-1だなんだと憧れを抱いたこともないですけど、光輝くスターダムは僕の教え子たちが上がっていきます」

▼山口代表の作ったストーリーを僕が完結させます。
 指導者として教え子たちが順調に結果を出し、トレーナーとしての評価も高い良太郎だが、悩みは「選手・良太郎」のこと。
 11月24日のREBELS―MUAYTHAIライト級王座決定トーナメント決勝戦、ピラオ・サンタナ戦でも最大の課題がある。
 それは「殴られても、カチンとこないこと」だ。

「一発喰らうと『はぁ?』となって、殴り返しにいってしまうんです(苦笑)。僕はブルードッグジムに移籍してから、セコンドに褒められたことが一度もないんですよ。コーナーではいつも『お前、ふざけてるだろ!』って怒られてますし(苦笑)、僕も教え子が同じことをやったら『お前!』って引っぱたきますね。
 9月の大会で、僕が大谷選手に勝って、サンタナが津橋選手に勝ったら『リングに上がって』と言われて。メンチを切ればいいのかな、と思って咄嗟にメンチを切ったんですけど向かい合って驚きました。小さくて(笑)。こんなに身長差のある相手は初めてですし、しかもあのパワーですからね。
 真面目な話、5ラウンドあるんで普通にやれば後半勝負で勝てると思いますけど、サンタナのパンチはガードの上から喰らっても『カチン』と来ると思うんで。今はパンチを打って貰って自分を律する練習をしてます(苦笑)」

 良太郎には、REBELSに対する熱い思いがある。

「僕はマッチメイクもするんです。教え子たちには最速最短でベルトを獲らしたいんで『次はコイツとやって、勝ったら次はタイトルマッチで』と一番いいプランニングをして団体と交渉してます。そうすると大体そうなるんで(笑)。
 だから、REBELSのマッチメイクも予想できます。(山口)元気さんはビジョンがしっかりとあって、ストーリーを作っていくマッチメイクをするから、雷電さん引退を聞いて『ライト級トーナメントをやるな』と思ってたし、津橋君が反対ブロックに来るのも分かってた。でもサンタナというどえらいのを連れてくることまでは読めなかったです(苦笑)。
 最近も、いろんな会場で元気さんに会いますけど、僕が同じ立場ならああやって穏やかでいられるかな、と思いますよ。
 選手のために、強くなれる良い環境を作って、そうやって育った選手が『K-1に出たい』といえば、自分の興行があるのに快く送り出すんですよ。元気さんはリアル反逆者、まさにREBELS(反逆者たち)だと思うし、その裏でどれだけ頭を下げているか。僕はチームアカツキを作った時に、いろんなところに頭を下げて回った経験があるからよく分かります。クロスポイントの選手はもっと元気さんに感謝すべきなんですよ。
 REBELS―MUAYTHAIのベルトは僕が取ります。記者会見でも言ってますけど、REBELSで育てて貰った僕が、REBELSで2戦しかしてないサンタナに負けて、ベルトを持っていかれるわけにはいかない。このベルトを獲ってからの来年のビジョンも見えていますから。
 元気さんがせっかく作ってくれたストーリーなんで、僕が完結させます」

文・撮影:茂田浩司

○プロフィール
良太郎(りょうたろう)
所  属:池袋BLUE DOG GYM
生年月日:1988年12月21日生まれ
出  身:千葉県
身  長:178cm
戦  績:24戦10勝(4KO)10敗4分

池袋BLUE DOG GYM
東京都豊島区池袋2-62-10 武蔵屋第三ビル B1F
Tel:03-5957-0399

team AKATSUKI
千葉県鎌ヶ谷市粟野513
問い合わせはFacebook、インスタグラム、ツイッターにて。

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