現役生活30年! ダイナマイト関西が圧巻の引退試合!

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 12月11日(日)、OZアカデミーは東京・後楽園ホールで『ダイナマイト関西引退興行』を開催。メインイベントで関西が尾崎魔弓と時間無制限1本勝負で対峙した。激しいシーソーゲームの末、終盤、関西は急角度で持ち上げてからのバックドロップを12発。ダイビング・フットスタンプ、スプラッシュ・マウンテンからフォール。32分25秒、エビ固めで押さえ込み、引退試合を勝利で飾った。

 試合は正危軍の乱入があり、みかねたMK4が応戦もしたが、尾崎は堂々と?いつも通りの尾崎で対峙。それに対し関西は、病気で引退する選手とはとても思えないほどのパワフルさで対抗。正危軍を蹴散らし、関西より体重の軽い尾崎を軽々と何度も持ち上げた。高い位置で急角度にしてから角度を戻していくバックドロップは、プロレスの中で見せることができる“限界の技”のひとつと言える。それを連打されても受け切れる尾崎も見事で、この2人が見せられる、2人ならではのクライマックスへの導きのシーンだった。

 引退セレモニーではナンシー久美、神取忍、風間ルミ、立野記代のほか、この日に合わせてアメリカから帰ってきた山崎五紀もリングへ。キューティー鈴木はプラム麻里子の写真と一緒に、花束を手渡す。そのほか関西とゆかりのあるOG、現役選手も続々と登場した。

 最後にリングインした尾崎は「OZアカデミー卒業証書」を読み上げる。「あなたが引退発表してから今日まで、毎日のように今日がこなければいいと思っていました。大変な病気を乗り越えて、つらいこと、苦しいこと、たくさんあったけど、今こうしてたくさんの人の前で、何一つ悔いを残さず去っていくあなたの姿を、プラム麻里子と一緒に拍手しながら見届けたいと思います。智恵ちゃん、30年間、最高にかっこ良かったよ」

そして関西が尾崎に書いてきた手紙を読み上げる。
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「一緒に暮らした(ジャパン女子プロレスでの)寮生活から始まり、JWPの旗揚げ、団体対抗戦、OZに入団。特に対抗戦時代は忘れられません。尾崎が仲間でいたから乗り越えてこれたと思います。そして麻里子の事故の時、俺達ボロボロになったよな。特に尾崎、お前が一番ボロボロになって、つらかったよな。あの時、尾崎が変な事を考えないか、お前がもうダメになるんちゃうかとか、色んな事を考えて、毎日不安で仕方なかった。俺に何ができるのか、何をしてやれるのか。何もできずにただそばにいるだけ。ただそれしかできませんでした。それなのに反対に尾崎から力をもらい、みんな前に進むことができた。考えてみれば、お前から力をもらった事の方が多いな。自慢の親友、尾崎魔弓です。今のあなたに頑張れとは言いたくないけれど、もう少しだけ踏ん張って、女子プロレスを引っ張っていってください。大好きやで、まーたん。智恵ちゃんより」
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 1986年8月、ジャパン女子の一期生として旗揚げ戦に参加し、プロデビュー。30年間のプロレスラー人生をまっとうした関西。今年の3月に年内での引退を発表、十数年前から膠原病になり、2012年には肺がんで左の肺の半分を摘出していたことも明かされた。デビュー戦から取材していた者として、30年後の最後の最後、全盛時代を思わせるような堂々としたプロレスを見せてリングを降りる関西の姿を見れたことは幸せだ。

 対抗戦時代の口火を切った、92年11月26日・川崎市体育館の関西&尾崎VS山田敏代&豊田真奈美は、忘れられない激闘だった。引退セレモニーでは山田&豊田もリングに上がったが、この時客席からは大きな拍手が沸き起こった。客席を埋めていたファンの記憶にも、対抗戦時代に関西達の前に立ちはだかった全女の2人の姿が、焼き付いていたのだろうか。

 尾崎もヒールの選手たちも、最後は選手としてのキャラを脱ぎ捨てて、共にプロレスというリングで青春を燃やした仲間として、リング上で言葉を交わし、関西を送り出した。観衆は2100人(超満員・札止め=主催者発表)。立ち見も出る盛況ぶりで、たくさんのファンが会場に詰めかけてくれたことは、何より良かった。関西のこれからの人生に、幸あれ!

(写真・文/フリーライター安西伸一)

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