【激白・第4章】投資話の破談で一度は全てを失ったと思った夏すみれに、2年ぶりの復帰を決意させた言葉と新たに目指す生き様
欠場中に心身にダメージを負った2年間。投資話も破談に終わり、すべてを失ったかに見えた夏すみれに射した一筋の光はファンの反応だった。
回復に向かう彼女に一つまた一つと声が集まり、ついに夏すみれは復帰を決意する。
ノンフィクションの最終章は、リスタートに向けてこの2年間との決別宣言へ。
■当時の私は“リングを離れたOL”なんです
――noteがバズってから、夏すみれ待望論がプロレス界にも多く出てきたと思います
「ありがたいですね。あと、自分の試合を見てデビューしてくれた選手の存在も大きくて。その当時って、さっきも言った通り『自分はなんのためにプロレスをやって来たんだろう』って思ってた中で、プロレスの情報を遮断してたから、業界内での出来事を何も把握してなかったんですよ。伊藤記者から『夏すみれの試合を見てプロレスラーになりたいと思った女の子がいるんだよ』っていうのを教えてもらって、P.P.P.TOKYOさんのちゃんよた選手のデビュー会見の記事を読ませてもらったときに、思わず涙が出て……。『私のこんなプロレス人生でも誰かに影響を与えられたんだな』って本当に嬉しくて。当時はプロレス会場には一切近寄ろうとしてませんでしたが、ちゃんよた選手のデビュー戦だけは見ておかないと今後後悔する気がしたから、急遽こっそり会場に行かせてもらいました。そもそもその時点でプロレス会場も1年以上ぶりに行ったわけですよ。だから、余計に情緒がおかしくなっちゃって、なぜか私、“バブリー”力さんとゴージャス松野さんの入場を見て泣いたんですよね(笑)」
――その2人の入場で号泣するというのは、一体どういう感情なんでしょうか・・・?
「なぜか2人の入場を見てるだけで『あぁ!選手が入場してる!』みたいな気持ちになっちゃったんですよ。その状態でちゃんよた選手のデビュー戦を見させてもらったときに、『いい新人だな』じゃなくて『いい選手だな』って感じました。『こんないい選手が、なぜ私を見て?』って思いましたけど、嬉しいじゃないですか。私の試合見てデビューするんで、てっきりイロモノ的な選手が『夏すみれがやってるんだから私にも出来るっしょ!』みたいな感じなのかと思ってたんですよ。だけど実際に見たら正統派として試合をされてて、デビュー戦も本当に素晴らしかった。気持ちとしては欠場してメンタルが狂ってから、note読んだ人たちの反応とちゃんよた選手の存在が無かったら、多分私はまだプロレスに向かって気持ちが進なかったと思うし、その2つがあったから『もう1回頑張ろう』って気持ちになったんです」
――あのタイミングでちゃんよた選手のデビュー会見記事を見ていなかったら、プロレス界に帰ってきていなかったかもしれないと
「それは本当にあり得たと思います。ある意味認めてもらったような気持ちになって。でも、そのときはまだ具体的に復帰する気持ちにはなれなかったんですけど、どこか今までの活動を認めてもらえたみたいな。noteに関しては今までの生き方を認めてもらえたような心境でした」
――プロレスラーになる前の卜部夏紀としての人生がnoteで認められ、プロレスラーになってからの夏すみれの人生がちゃんよた選手の誕生で認められたと
「本当に、救われたなって思います。ただ、当時はそういうのを経てちょっとずつ前向きな気持ちになってはいたけど、現状の私はまだ“リングを離れたOL”なんですよ。その仕事をしないと生活が出来ないから、すぐには行動できないわけじゃないですか。さらには投資云々が破談になったあたりから心療内科に通ってたんですね。夜中にメンタルが崩れて喚いたり、すぐマイナスの方向に行っちゃったりだとかっていう自分の精神状況を自覚していたけどどうすればいいのか分からなかったので、寝てるときだけが唯一平和だったんで。だからメンタルが崩れたら寝ようと。でも私は今までそういうお薬を飲んでなかったから、何が身体に合う・合わないって、長い付き合いをしないと分からないじゃないですか。私も何がいいのか分からないまま、お医者さんに言われてるままに、OD(薬の大量摂取)とかもせず処方された通りに飲んでたんですけど、秋くらいから目が開かなくなってきたんです」
■徐々に生きることに対して消極的な気持ちになってた
――眠くてとかではなく物理的にですか?
「はい。当時の私の仕事は、家の中でパソコンを見て、お客様の注文している内容を見たりとか、記録に残すような仕事だったので、細かい文字を見なきゃいけないんですよ。最初はドライアイかと思ったんです。でも目薬を注しても治らないし、どんどん症状も重くなっていって、最終的にはずっと片目を閉じている状態でした。外を出歩くときも目が開かないから、そうなると出歩く気すら起きなくなる。当時の私は唯一お笑いライブに行くことだけが楽しみだったんですよ」
――唐突ですね。現地に見に行っていたんですか?
「渋谷のヨシモト∞ホールに行って、大体2週間に1回とかのペースで休みの日にお笑いライブを見て帰るっていうのが唯一のお出かけ。たまたまYouTubeでレインボーっていうお笑い芸人さんの動画を見てハマって、生で見たいと思って。当時は、外に出るときは病院に行くときか、お笑いライブを見に行くかの二択で。でも、目が開かなくなってからはお笑いライブにも行けなくなっちゃって。チケットを買ってても当日になると目が開かないから身体を起こす気力も湧いてこなくなっちゃって結局行けないみたいになって、再びメンタルが落ち込みました。『なんで目が開かないの!?』って。そのときは、感情の振り幅が大きい時期を抜けて、ずっと低空飛行しているような状態だったんです。それに加えて目が開かない身体症状が出たことによって、徐々に生きることに対して消極的な気持ちになってた。自分の目の症状をなんとかしようと眼科にも行ったし、ネットで調べて首コリから来ているという記事を見たら接骨院に行ったり、色々試したけど何やってもダメで。それで、たまたまネットで見かけた記事の中に『睡眠薬の作用で目が開かなくなることがあります』っていうのを見たんです。ベンゾジアゼピン眼症というらしいんですけど、自分でも以前に睡眠薬が原因なんじゃないかと思って、メンタルクリニックの先生に相談したんですが、「急に薬を変えると余計に気分が落ち込むかもしれない」と言われてその時は何も改善されず様子見ということになった。だけどベンゾジアゼピン眼症の記事を見た時、絶対にこれだと自分の中で確信したから、今度は先生に強く薬を変えるよう要望して、処方薬を変えてもらいました。そしたらものの見事に3日で目が開くようになったんです。今までずっと目が開かなかったのに、『目、開くじゃん!』って思ったら気持ちが前向きになって」
――自力で解決策にたどり着けて良かったです
「元々の薬は体に合わなかったみたいで、今振り返ると夜中に意味のわからないツイートを連投していたり、なんかおかしくなってましたね。翌朝気付いてすぐにツイ消ししました。それが2021年の年末に差し掛かる時期かな?その時点では、まだ例の企画について出演選手に対して宙に浮いた状態にしてしまってました。だけど身体症状もなくなって冷静に考えることもできるようになってきてから、みんなもう期待もしていないだろうけど、自分の口から改めてちゃんと経緯を説明をした上で『出来ません』という答えを伝えておかないと、もしまだ頭の中で期待が残ってたら今後の活動に支障をきたしてしまうかもしれないと思って意を決して久しぶりに皆に連絡を取ったんです。各選手にお話をして、コトの顛末を全部説明して、『ごめんなさい』と謝ったら、周りは『もっと早く言ってくれてよかったんだよ』『むしろごめんね』みたいな感じで。結局は自分で自分を追い込んでただけでした。『自分たちは自分たちで今後も活動できるし、気にしなくていいよ』『夏がまたプロレス界でなにか活動したくなったら声かけてね』『今はまだダメなら、時が来るまでゆっくりしてて』って言ってもらいました。結局私の中のモヤモヤって全部そこだったんですよ。周りに対する申し訳無さとか、嫌われたくないって気持ちから全ての悩みが来ていたので、そこがクリアになったら心のモヤモヤが一気になくなったんですよね。そこでやっと、ちゃんと前に進もうって決めて、なんとなく『来年プロレス業界に戻ろう』と思いました。そのときはまだガッツリ契約社員として昼職をしていて拘束時間も長かったので、中々プロレス活動を再開することは難しかったんですよ。だからある程度まとまったお金を作ったら昼職を離れてプロレス界に戻ろうって決めたときに見つけたのが、当時女子プロレスの中でフリーランスが大量に生まれるっていう記事でした。その記事を見て『あ、フリーだけで興行出来るじゃん』って思って発案したのが、NOMADS'の始まりです。やっとNOMADS'までたどり着いた!ここまで長かったな~!(笑)」
■悔しさが報われたような気持ちになり、泣きました
――インタビューが始まってからここまで3時間が経過しました。NOMADS'の構想を思いついてから、本格的にプロレス業界復帰を考えたと
「2021年末からフリー選手が大量に生まれるってニュースを見たとき、仲のいい選手からはもちろんフリー転向する旨は聞いてたんですけど、それ以外のことは本当に何も知らなかったんです。プロレス業界からずっと離れてたんで。記事を読んだときに思い出したのが、昔男子プロレスであったインディーサミットでした。インディー団体が複数集まってお祭りみたいなことをやるっていう。『それをフリーランスで出来るじゃん!』って考えたんですね。そして一番最初に高瀬にこの話をしました。今までのインタビューとかでは伏せてたんですけど、実は高瀬と雪妃の2人に声をかけた理由としては、去年やろうとしてたプロレスの企画に2人にも出演して貰う予定だったんですね。それが破綻して私の精神状態もブレブレになってしまって結局やるって言ってたことがやれないままになっちゃってたんで、それのお詫びじゃないですけど……いや、お詫びに近い気持ちもあったかな。どうしても2人と一緒に何かをやりたいって気持ちが残ってたんですよね。私には実現できずに頓挫させてしまった前科があるけど、もう1度チャンスをくれるなら、もう1度だけ話に乗ってくれないかって高瀬と雪妃に伝えました。2人は元々友人で、例の話も『もっと早く言ってくれてよかったんだよ』って言ってくれてたし、NOMADS'の話をしたときも『面白いことやりましょうよ』って。2人も新年からフリーになるってことで新しいことやりたいって気持ちもあったでしょうし、すんなり乗ってくれました」
――NOMADS’にはもう一人、山下りな選手が実行委員に入っていますが
「山下は去年の企画自体には関わっていなかったんですけど、フリーランスを集めてなにかやろうと言うなら、フリーランスとしてしっかり実績を作っていて、いろんな団体に呼ばれてる、フリーランスという存在に対する説得力がある人間が必要だと思ったんですね。山下はまさにその役にピッタリじゃないですか。しかも山下とはお互い同じ団体でデビューした同期で、昔から知っている仲だからこそ話もしやすい。大会自体に重みや深みが出ると思ったから、『4人でやりましょう』という形になりました。NOMADS’という大会は私にとって、プロレス業界で新しいことをしようっていう実験的な気持ちを持つ一方で、個人の話で言ったら、去年できなかったことを回収していく場でもありました。前回の大会で小林香萌選手が復帰してくれたんですけど、実を言うと香萌ちゃんの復帰も去年やりたかった企画の中の一つに組み込まれていたんです。映像内でね。彼女に対しても『復帰の場を作る』という約束をしていたのに、それを果たせなかった。だから形は変わってしまうけども、新たに大会をやるから復帰の場を作らせてほしいという思いがありました。映像制作という点に関しても、NOMADS'は毎回大会のプロモーション映像を作ってるんですね。試合の煽りVとかじゃなくて、大会自体のプロモーションビデオを作るのってビッグマッチ以外はあんまり無いじゃないですか。それを毎回作るのは、プロレスラーをプロレスラーとして撮るんじゃなくて、違う見せ方で映像に収めたいっていう、去年の企画でやろうとしていたことをやりたい思いがあって。前大会のPVを作ってくださったのは私がデビュー当初からずっとお世話になっているディレクターさんで、去年のゴタゴタもその方は全部知ってて、『そんな仰々しく映像会社さんに外注するんじゃなくて俺に言ってくれればやるよ』っていう風に快く言ってくださったので、撮影から編集まで全部お願いしました」
――初回の5月大会PVは4人のプライベート感(?)があり、今回の8月大会PVは水着で撮影されてました。NOMADS’をやると決めたことで仲間が集まってきたわけですね
「ディレクターさんの家で、出来上がった映像を4人で見たんです。その帰りにみゆ姐と話をしてて。去年のことは残念だったけど、結果的にまたもう一度プロレス業界に戻って映像制作も実現出来て、『なんか結果オーライでしたよね』って言われたときに去年の感じていた悔しさが報われたような気持ちになり、泣きました。私がもっと周りに頼ったり、周りの意見を聞いて慎重に物事をすすめていれば去年起きた出来事は回避できたかもしれない。でも今こうやって協力してくれる友人やスタッフさんがいて、去年できなかったことを今やれてるんだっていうのが、心に染みました。去年の出来事は、私自身の自業自得な部分が大きいと思うんです。自分自身のことなのに、あまりにも無責任に他人任せに考えすぎてた。それが招いた結果だと思うから、そこは反省してます。でも気持ちとしてまだちょっと許せてない気持ちもあるんですよ。しんどい思いをしたのは事実だから。だから、『去年のああいうことがあって良かった』とは言えないですけど、結果として自分たちが満足行く形でNOMADS'をやれているのであれば、去年の事から繋がって得たものなのかなって今は思いますね。このインタビューで欠場期間に起きたこと全部言おうって、前々からずっと思ってて。この件で伊藤さんにもすごいお世話になったというかご迷惑をおかけしてしまって、当時の本当に一番精神的に病んでいた時期を知ってくださってる人だからこそ、取り上げて欲しかったんですよね。それは取材してもらうことによって『私こんなつらかったんです!』ってことが言いたいわけではなくて、この取材で自分の気持ちにケリを付けたいなって。」
――このインタビューがゴタゴタの供養になっていただけたのなら良かったです
「NOMADS'は去年やりたかったことを回収する場でもあるとお話しましたが、だからといってこのまま今後もNOMADS'を進めてしまったら結局は私のただの憂さ晴らしの場でしかなくなってしまう。でも、NOMADS'っていうのは、運営4人、そして参戦してくれるフリーランスの選手みんなのものとして機能させたいし、ファンの方だったり、マスコミの方がここまで注目してくれるとは最初は思ってなかったけど、期待を込めてくれる方がこんなに沢山いるんだと知ったら、私だけのものにしてしまったらもったいないと感じました。NOMADS'をもっと大きく広げていきたいから、過去に決着を付けた上で、前だけを見た状態でもう1度リングに上がろうっていうのが今の心境です」
――結局、夏選手がやりたかったことは、A氏がいなくても夏選手たちの力だけで実現できたわけですからね
「出来ちゃいましたね(笑)出来ちゃいました(笑)結局、お金なんていらなかった。無理に背伸びをしようとしても上手くいかないんだなってことを学びました。自分の出来る範囲のことを、身の丈に合ったもので、でもちゃんと信念や情熱を込めて取り組めば、反響として返ってくるし、ただ派手にお金だけかけてやっても、『最終的にケツ拭くのあの人でしょ?』って気持ちが残ってたら何の中身も詰まってない、誰からも支持されないものが生まれていたと思うので。やっぱり、自分が最後はケツを拭くんだって覚悟が去年は足りなかったのかなと思いますね」
――だからこそ、小林香萌選手も夏選手がそうやって作った場で復帰できたことが嬉しかったと思います
「そこに対しては、私に対してなにかを感じてくれなくていいと思ってますね。彼女も色んな気持ちを持って復帰するって決めてくれたわけで、そこは彼女の問題なので。あくまで、自己満足として、香萌ちゃんもデビュー当時からの友人だし同期だし、大事な仲間なので、選手としてまた同じ場で活動できるっていうことが嬉しいですね」
――仮に、当時A氏から“プロレス業界の常識からはかけ離れた金額”をもらって企画を実現出来ていたとしたら、今のNOMADS'よりも良いものが出来ていたと思いますか?
「出来てなかったと思います。あんまりこういうことは言わないほうが良いと思うんですけど、当時実現するために動いてたときふとベッドの上で『このまま話を進めたら私、数年後に自殺するな』って急に思ったんです。なぜか分からないけど。そのときから段々『本当にこのレールに乗って大丈夫か?』って疑念が浮かぶようになっていったので、パン工場行ったり、目が開かなくなったりとか散々なこと色々ありましたけど、結果的に乗らなくて良かったなって思います」
――A氏に対していつか何かしらの形でやり返してやろうという思いはありますか?
「でも騙されたとは思ってないんですよ。結果的にお金を取られたわけでもないですし、相手もプロレスが好きで、レスラーとしての私を見ていた上で善意で『夏に任せよう』って思ってくれたわけなので、そこに悪意があったとは私自身は感じてはいないです」
■全部含めて乗り越えた私をとにかく1人でも多くの方に見ていただけたらなと思います
――まだ、去年やりたかったことのやり残しはあるのでは?
「ありますね。実はもう1人去年の企画の中で復帰させてあげたかった選手がいたんです。去年の話が無くなってゴタゴタを目の前で見せてしまったので気持ちが離れてしまったと思いますが、前回のNOMADS’は見に来てもらいました。そのうえで、『もし万が一気持ちが動くことがあったら、もう1回私に付いてきてほしい』ってことは伝えてます。そこに関しては私からあまり強くは言えないですけど、もし彼女がもう1度プロレス業界に戻ってきたいと思って、その場としてNOMADS'を選んでくれるのであれば、今度は約束を絶対に果たしたいですね」
――周りの選手のことまで考えられるというのが、夏選手の包容力の現れだと思います。自主興行の『Forever』のときも、ある意味で大江戸隊のことを考えた大会でした
「開催当時は発表されてなかったので言えなかったですけど、葉月ちゃんや花月さんの引退とかで『最後に大江戸隊で何かをしたい』ってことでやった興行だったんで。結局のところ、私個人ではお客様を魅了するものは・・・ゼロではないですよ。ゼロって言っちゃうと私を応援してくれる方に失礼なんで。でも1つのビジネスとして動かせるほどの動員力があるかどうかで言ったら無いと思うんです。でも、周りの選手は違うわけじゃないですか。私は彼女たちの魅力を知っているし、魅力のある人は他の人にも見てほしいし、自分がその魅力を見てもらえる場を提供できるのであれば、それってすごいやり甲斐があることだなって感じてて。だから、私個人としては自分を裏方の人間だと思ってるんですね。目立ちたがり屋だから表に立って色々やっているだけで、素質という点では裏の人間だと思うんです。今すごく満たされているのが、復帰に向けてこうして記事にしてもらって表の人間として目立てる一方で、運営・裏方としてちまちましたことを重ねて、それが当日1つの大会として出来上がるっていう工程を楽しめているので、演者一本でやってるときよりは悩むことは多いですけど、精神バランスとしては今が1番ちょうどいいと思います。」
――ファンからは『今のプロレス界には夏すみれが足りない』と声が上がっています。どんなに自己肯定感が低いと言っていても、夏すみれは誰かに求められる存在です
「ホントに嬉しいですね。『今のプロレス界には夏すみれが足りない』って言葉は、私がちょっとずつSNSを開けるようになっていたときに、久しぶりにエゴサーチをしたときに、そうやってつぶやいてくれているファンの方がいて。私は自分のプロレス人生を振り返ったときに『何を残したんだろう』って気持ちがあった中で、『私自身を求めてくださっているんだ』って思ったら、表に立つ人間としてこんなに嬉しい言葉は無いなって。嬉しい、ありがたい以外出てこないですね」
――ベルトでも技でもなく、 “夏すみれ”そのものに魅力があるからちゃんよた選手のように夏すみれに憧れてプロレスラーになったり、夏すみれがみたいからプロレスを見続けたりという人が大勢いるのだと思います。『何を残した』という話で『夏すみれを残した』と言える稀有なレスラーの1人だと思います
「嬉しいですね。私は欠場前からレスラーとしては失格かもしれないんですけど、プロレス業界における目標って無かったんですよね。『あのベルトが欲しい』とか『誰々に勝ちたい』とか、全くそういう欲が無くて。やり残したことって、イギリスに居る(大江戸隊時代のチームメイトの)マルティナ("セッション・モス"マルティナ)とかジェイミー(ジェイミー・ヘイター)とか、友人たちと日本ではなく彼女たちのホームで一緒に試合がしたいっていうのと、ちゃんと引退をしたいっていう、その2個だけだったんですよ。プロレス界でやり残してることって。その目標って本来は自分次第でいつでも達成できるじゃないですか。実際、コロナが無かったら自主興行の売上全部持ってイギリス行く予定だったんです。2020年にイギリスに行って、2021年のうちに引退をして終わろうって決めてたんですよ。それが欠場であったりとか、その後のゴタゴタとかで先行きが見えなくなったときに、何の欲もない、高望みもしてない、ほんんのちょっとの些細な希望すら叶えられないんだって思っちゃったんですよね。何がダメだったんだろうって思ってたけど、今はファンの人からの声もそうですし、復帰を発表してからも『待ってたよ!』って言ってくださる声が聞こえています」
――そんな多くの人から求められている夏すみれの復帰戦である『NOMADS' vol.2』が超満員札止めになれば、また“夏すみれ”という存在が認められた証になると思います。復帰に向けての意気込みをお願いします
「お客様の声を聞いてたら、改めてフェードアウトみたいな形でちゃんと挨拶もせずにプロレス業界から離れるっていうのは最大の不義理だなって感じたので、そうしないためにもまずは復帰をしないと。2年ぶりの復帰戦にはなりますけど、私にとってはこの復帰戦で去年1年間の鬱憤ですとか、そういうものを全部晴らして、今後のNOMADS'をより広めていくための大会にしたいって気持ちもあるので、紆余曲折ありましたけど、そういうものも全て含めて乗り越えた私をとにかく1人でも多くの方に見ていただけたらなと思います」
――やはり、札止め以外は成功じゃない?
「札止め以外は成功じゃないです!(笑)とは言いつつも、今回は動員数よりも大会内容で皆を沸かしたいです。会見でも言った通り、感傷的な試合になるかって言ったらそんな試合をする気はサラサラないので、今まで見せてきた夏すみれをより増幅させた上で新たな夏すみれを見せたいと思います。だから観戦に来てくれるお客様にも、余計なことは一切考えずに楽しんでもらいたいですね。特に男性のお客様は私に狂わされにきてください(笑)ギラギラした目でご覧いただければと思います!」
『NOMADS' vol.2』
日程:2022年8月5日(金)
開始:19:00
会場:東京都・新宿FACE
▼シングルマッチ
雪妃真矢
vs
櫻井裕子(COLOR‘S)
▼6人タッグマッチ
真琴/小林香萌/関口翔
vs
安納サオリ/本間多恵/尾崎妹加
▼シングルマッチ
水波綾
vs
網倉理奈(COLOR‘S)
▼夏すみれ復帰戦 タッグマッチ
夏すみれ/高瀬みゆき
vs
[galaxyPunch!]SAKI(COLOR‘S)/清水ひかり(COLOR‘S)
▼タッグマッチ
山下りな/優宇
vs
高橋奈七永/松本浩代