WWEネットワークの散歩道 22回目
- 2017-7-26
- WWEネットワークの散歩道
WWEネットワークにある膨大なアーカイブでは数多のスーパースターたちの試合映像があり、そして本当の意味で星になってしまった選手たちももちろん含まれています。この連載では偉大なレジェンドたちの残してくれた名勝負の数々を、亡くなられた月ごとに紹介していきます。直に試合を見ている人はもちろん、映像ですら見ていない人もこれだけの試合をやっていた選手がいたことを知ってもらえればうれしいですね。
7月に亡くなられたスーパースターの中で今回紹介するのはアドリアン・アドニス(1953年9月15日~1988年7月4日)、テリー・ゴーディ(1961年4月23日~2001年7月16日)、そしてブルーザー・ブロディ(1946年6月18日~1988年7月17日)の3人。3人が3人ともプロレスに大きな変革をもたらしたと言える存在です。
まずはアドリアン・アドニス。そもそもタッグチームによる連携プレイが今のように複雑な合体技が出るようになるまでは、せいぜいロープに振ってのカウンターのキックやエルボーパッドくらいだったのですが、それに変革をもたらしたのがアドニスとボブ・オートンJrだったのです。
新日本のリングでの合体パイルドライバーやバックブリーカーで固定しておいてのエルボードロップ。そして極めつけはバックドロップの体勢で抱えた相手にコーナートップからのネックブリーカー・ドロップという革命的技の数々が一挙に披露されたことから急速に進化を遂げることになったのです。
ここからさらに進化の階段を上っていくのは、みちのくプロレスを席巻した海援隊DXがメキシコから凱旋してからになるのですがそれはまた別の話で。
今回紹介するのはその2人がAWAでミッドナイト・ロッカーズを名乗っていたころのショーン・マイケルズ、マーティ・ジャネッティと対戦した時の試合です。アドニスが事故で亡くなる数か月前の試合ですが、34歳でこの太り具合はまずいだろう・・・という感想はさておき、タッグマッチの進化のイノベーターたちの片鱗を十分に感じさせる狡猾さも見せてくれています。
AWAスーパースターズ:1988年2月28日
アドリアン・アドニス、ボブ・オートン対ショーン・マイケルズ、マーティ・ジャネッティ
http://network.wwe.com/video/v532578183/milestone/533886683/?contentId=&contextType=wwe-show&contextId=
日本人がイメージするアドニスへの暴走狼というキャラクターにはこちらの試合の方が近いですね。新日本プロレスではおそらく対戦していないであろう、ダイナマイト・キッドとのシングルマッチです。WWEでも巨漢たちの中で世界タッグ王者として活躍したキッドが、体格差をものともせず高速ブレーンバスターで叩きつけるなど見どころの多い試合です。
WWE レッスルヴィジョン・クラシック1985:1985年11月7日
ダイナマイト・キッド対アドリアン・アドニス
http://network.wwe.com/video/v31327261/milestone/31346067/?contentId=&contextType=wwe-show&contextId=
次は14歳でプロデビューを果たし、アメリカではファビュラス・フリーバーズ、日本ではハンセン、ウィリアムスのパートナーとしても数々の名勝負を残しているテリー・ゴーディ。
日本ではパワー・ボムの元祖という呼ばれ方をしていますが、昔はスタンプ・ホールドとか変形のパイルドライバーと呼ばれていた技に、パワー・ボムという呼び名を定着させたというのが実際のところです。とは言えここからパワー・ボムが日本マットでは大流行するので、元祖というのもあながち間違いではないのかも。
ここで紹介するのは当時の日本マットでは新日本と全日本の外国人タッグのトップチーム同士の対戦という、超がつくドリームマッチであったスタイナー・ブラザースとの対戦です。つたない英会話能力で実況を聞く感じでは日本代表のような立場で出ているようです。
WCW ビーチ・ブラスト1992:1992年6月20日
リック&スコット・スタイナー対テリー・ゴーディ、スティーブ。ウィリアムス
http://network.wwe.com/video/v31312961/milestone/31343897/?contentId=&contextType=wwe-show&contextId=
もうひとつファビュラス・フリーバースでの試合も。こちらは全米を震撼させたカブキさんと飛行機事故で亡くなられたハル薗田さんのマスクマン時代のリングネームであるマジック・ドラゴンとの対戦。ドラゴンのフットワークを使ったスタイルが初代タイガーマスクの影響なのか、独自のスタイルだったのかはもうご本人から聞くことはできないのですね・・・。
WCCW 48:1982年11月11日
テリー・ゴーディ、マイケル・ヘイズ対ザ・グレート・カブキ、マジック・ドラゴン
http://network.wwe.com/video/v31314715/milestone/31345125/?contentId=&contextType=wwe-show&contextId=
最後に紹介するのはブルーザー・ブロディ。全米を股にかけるトップスターでありながら、独自の価値観によりメジャー団体に定着することはなく、WWEネットワークにも思ったほどアーカイブは残されていませんでした。ただその中でも友好的な関係を続けてきたフリッツ・フォン・エリックが主催するワールドクラス・チャンピオンシップ・レスリング(WCCW)でのケリー・フォン・エリックとのコンビでファビュラス・フリーバーズとの対戦は実現しなかったハンセン、ブロディ対フリーバースに思いを馳せる方もいるのではないでしょうか。
WCCW 79:1983年7月2日
ブルーザー・ブロディ、ケリー・フォン・エリック対テリー・ゴーディ、マイケル・ヘイズ
http://network.wwe.com/video/v1631487483/?contentId=1631487483&contextType=wwe-show&contextId=wccw
そしてブルーザー・ブロディと言えば、カードが発表までされながら実現しなかった対アンドレ・ザ・ジャイアント、対前田日明、そして発表直前のタイミングで幻となってしまった対スタン・ハンセンとファンに大きな未練を残してしまった罪深い選手でもあります。
ここではその中で唯一アーカイブが残っているアンドレとの対戦が見られる6人タッグを。WWEに出場する時にビンス・マクマホンSrから付けられたというブルーザー・ブロディを名乗り始めた時期に、コンディションのよいアンドレとの対戦は6人タッグながら幻だったはずの夢のカードが見られることにドキドキしました。WWEの所持するアーカイブにはまだまだとんでもないお宝映像があるのでは?と期待させてくれるカードでもあります。
WWE
ブルーザー・ブロディ、エクスキューショナー1号、2号対アンドレ・ザ・ジャイアント、チーフ・ジェイ・ストロンボー、ビリー・ホワイト・ウルフ
http://network.wwe.com/video/v1518303883/?contentId=1518303883&contextType=wwe-show&contextId=old_school