「生まれ変わってもまた“ブル中野”として生まれたい」“女帝”ブル中野が日本人女子初のWWE殿堂入りを果たし涙のスピーチ!

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 日本時間6日、ブル中野が日本人女子として初めてWWE殿堂入りを果たした。

 ブル中野は1983年に全日本女子プロレスでデビュー。師であるダンプ松本の誘いを受けて【極悪同盟】入りを果たして大ブレイクし、【クラッシュ・ギャルズ】ライオネス飛鳥&長与千種との抗争を経てその人気は頂点に。その後は"女帝"の名を冠する女子プロレスのアイコン的存在となっていった。
 ブルの活躍は日本国内にとどまらない。WWF(現:WWE)でも活躍し、マジソン・スクエア・ガーデンでの試合も経験。1994年にはアランドラ・ブレイズ(メデューサ)を破ってWWF女子王座を戴冠を果たすなどアメリカンプロレス史に名を刻んだ。

 ブルは1997年に現役を引退したが、現在も後輩レスラーたちを見守り、STARDOMの解説やYoutube『ぶるちゃんねる』での情報発信の他、海外女子団体『SUKEBAN』のコミッショナーとしてプロレス界に関わり続けている。

 こうした様々な貢献が認められ、ブルは日本人女子レスラーとして初めてWWE殿堂入りを果たすことが決定。
 男子も含めれば、アントニオ猪木さん、藤波辰巳、獣神サンダー・ライガー、グレート・ムタに続く5人目の殿堂入りだ。

 プレゼンターはブレイズが務め、「ブルさん」と親しみを込めて呼びながら「彼女はただの競技者ではなく、革命者。彼女のカリスマ性、歌舞伎のようなアイコニックなフェイスペイントは日本の伝統でありながら世界にその価値を認めさせた。ブルさんの最先端のファイトスタイルは今もWWE女子に影響を与えている。彼女は変わることの無いアイコン。彼女の存在がまた次の“ブル中野”を生み出している。ブルさんと私はただの同僚ではなく、戦友として“女子プロレスとは何か”をともに体現してきた。女子でもタフな試合が出来るんだということを見せてきた。ブルさんは、ホール・オブ・フェイマーというくくりでは語り尽くせない。彼女の人間としての魂が輝いている」と称えた。

 ブレイズに呼び込まれたブルさんは、当時のフェイスペイントを施して登場。

 ブルさんはすべて英語でスピーチ。
 「お久しぶりです。殿堂入りの名誉を本当に嬉しく思います。ずーっと、ずーっと待っていました。ここWWEで1994年、最高の経験をしました。30年前です。私は26歳でした。WWEでの生活は本当に大変で、プロレス以外何も知らなかった私はとてもつらい思いをしました。1ヶ月に28試合。本当にタフな期間を過ごしました。なによりも大変だったのは、会場への移動です。なぜなら、私は英語が話せませんでした。レンタカーを乗り継いで、ホテルも自分で探して。携帯電話も無い時代だったので、私たちは公衆電話を探しました。とてもとても大変な日々でしたが、たくさんの友人に助けられました。皆さんの手助けもあり、遠征を続けることが出来ました。日々の試合はとても楽しかった。英語が話せなくても、プロレスで語り合うことが出来る。それで私は『生きている』と感じることが出来ました。1日目は夢のようでした。私の魂をかけて闘いました。心を貫きました。一緒に闘って下さったことを、ここで感謝したいと思います。もちろんメデューサにも!本当にありがとう!たくさんのスーパースターと試合が出来たことを感謝しています。この素晴らしい機会をいただいたことを感謝しています。そしてなによりも、WWEユニバースの皆さん、ありがとう!ブル中野を受け入れてくれて、ありがとう!私たちは永遠にプロレスを通してつながっています。もし生まれ変わることがあれば、また“プロレスラー・ブル中野”として生まれたいです。そしてWWEのリングに戻ってきます!皆さんとまたお目にかかれることを楽しみにしています。この賞は私の宝物です。ありがとうございました!」と涙ながらのスピーチを行い、場内は総立ちで大歓声を贈った。

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