永島勝司 ゴマシオ親父のつぶやきR[第7回]

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新日本プロレスのG1クライマックスが今年で25年目になるそうだ。
思い起こせば1991年、俺と長州は一発逆転の発想として企画したのはこの大会だった。当時、IWGPチャンピオンが存在し、それに挑戦する男として誰が一番ふさわしいのか決める大会があってもいいんじゃないのか。そんなテーマでいわゆる新日本プロレスの最強の男は誰なのか。それを決めようじゃないか。との発想だった。
  
と、言った時、テレビ朝日の古館アナが「新日本に二人もチャンピオンがいたらおかしいんじゃないんですか?」と、言ったのを今でも思い出すね。俺は言ったよ。「じゃあ、どっちが強いんだか、決めるものがあってもいいんじゃないか」

そこでスタートしたのがG1クライマックスだった。もともと、G1とは競馬のグレード1から俺が得たヒントで、最高級の戦いを『G1』とすることでファンの皆様に無言の訴えをしたんだよ。IWGP王者が最強に決まっているけれど、そこに挑む男が出で欲しい。当然IWGP王者がこの大会を制したら問題ないじゃないか。で、始まったのがG1クライマックス。
最初は地方の主要会場を廻りながら最後を両国国技館で締める単純なものだった。ところが俺は、2回3回とやるうちに相撲は両国15日間だろ。じゃあ、プロレスで最低7日間位出来ないだろうか?
そりゃあ皆馬鹿にしたよ。ただ、俺と長州は絶対やれると自信を持っていた。今から考えれば誰も信じられない事だよね。それで、第3回大会でそれをやってのけてしまったんだ。そりゃあ、人に言えないマッチメイクの厳しさがあったよ。その内容は後日、皆さんにお伝えするとして……。

俺が一番印象に残っているのは、1996年の第6回大会で両国5連戦をやった時。長州が初めて優勝した時だった。3日目に「親父、俺もうだめだ。身体も気力ももう持たない。もう止めさせてくれ〜!」と訴えてきた時、俺は思ったね。こういうスター選手でもプレッシャーっていうもんは凄いんだねぇ。
その時、この男が優勝しなければファンは納得しない。彼は、ゲエゲエ吐いてたよ。それぐらい凄いプレッシャーがあったんだよ。今の選手に教えたいね。結果は長州が全勝優勝して大変なフィーバーになった。俺のG1の歴史の中でこれが最高の思い出だね。

25年目に関して言わせてもらうとしたら、レスラーの皆さんは切磋琢磨して激闘のドラマを作り上げてもらいたいね。ただ、お客に媚びてはダメ。自分の歴史は自分で作る。それがG1クライマックスだ。

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