25執念を迎えた怨霊が宮本裕向との血みどろ王座戦を制して無秩序無差別級王座を戴冠!30年来の師匠・MEN’Sテイオーへ涙の感謝!

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 27日、東京都・新木場1stRINGにて、『666vol.97~怨霊デビュー二十五執念記念大会~』が行われ、怨霊が宮本裕向から無秩序無差別級王座を奪取した。

 怨霊は東海大学在学中に学生プロレスを始め、同大学の先輩であったMEN'Sテイオーから指導を受けた。その後、SPWFの流れから1995年にレッスル夢ファクトリーでデビューした怨霊はFMW、WMFとインディープロレス界で活躍し、2003年に666を旗揚げ。
 その名の通り怨霊のような不気味な佇まいながらその実力は折り紙付きであり、スピードとテクニックを併せ持ったその流麗なファイトスタイルは無数のインディープロレスファンを唸らせてきた。

 しかし怨霊もデビュー25“執念”を迎えて「年を取って身体もボロボロで、若い頃の仲間も死んだり、引退したり、セミリタイアしていたり、『自分もそろそろ潮時かなあ』と思っていた」という想いを持っていたという。
 しかし、宮本裕向は怨霊のこの想いを見抜き、「怨霊さん、昔みたいに俺たちの壁になってくれないんですか?」と怨霊の奮起を促し、自らの持つ666の至宝・無秩序無差別級王座をかけた試合を提案する。
 怨霊がこれを拒否すると「アンタが俺たちの壁にならねえって言うなら、俺が怨霊の壁になってやる!」とその後の試合でも怨霊に発破をかけていくが、怨霊が裕向の気持ちに触発されて王座戦を要求すると今度は裕向が「やるわけねぇだろうが!」と拒否するなど互いに素直になれずにすれ違ったままこの日の記念試合を迎えた。

 この日の試合は怨霊vs宮本裕向のノンタイトルのシングル戦として発表されており、裕向は無秩序無差別級のベルトを巻いて入場するも早々に下げてしまう。しかし、ここで怨霊が持参した手紙を弥武リングアナが代読。

 怨霊は、約18年前に裕向がWMFの入門テストを受けに来たときのエピソードを「中々基礎体力の試験をクリアできない貴方を、ミスター雁之助は落とそうとしていましたが、出来なくても何度も挑戦する貴方を見て私は『ガッツがあるから採用しよう』と言いました。なのに、いつの間にか雁之助さんが『モノマネが得意で面白そうだったから採用した』という話に転換されていて、『自分が採用にゴリ押ししたのになあ』と寂しい気持ちでいました」と語ってから二人の歴史を振り返り始め、後輩の裕向がどんどんスターになっていったことにジェラシーを感じていたという想いも吐露。
 そして「『これが最後のチャンスかもしれない』と気持ちが変わってきました。現在のプロレス界で一番強いのは宮本裕向だと私は思っています。そんな貴方の壁に、私がなれるのならなりたい。でも今日は宮本裕向という壁を私が崩します。そして勝ってみせます」という熱い思いから改めて王座戦を要求すると、裕向もこれを快諾。


 急遽タイトルマッチとなったこの試合は、序盤こそ互いに積み重ねてきたレスリングテクニックを競い合う展開となるも、場外戦で怨霊がテーブルを持ち出すと空気が一変。
 テーブルを奪った裕向がリング上からダイブしながらファイアーサンダーでテーブルに突き刺し板で何度も頭を殴りつけると怨霊は頭部から大流血。それでも怨霊は怯まず攻め込み、滅多に見せない奥の手のエメラルド・フロウジョンも解禁。裕向もジャーマンスープレックス、蒼魔刀、ムーンサルト・プレスと必勝パターンに持ち込んでフォールするも、怨霊はマッドハンドでレフリーの手を掴んで3つ目のカウントは叩かせず。
 裕向は卍コブラで絞り上げるが、怨霊は死の灰を噴射して脱出し怨霊クラッチからの66ロックに持ち込むと、裕向はギブアップせずに耐えるものの、試合続行不可能と判断したレフリーが試合を止めた。

 勝利した怨霊にはベルトが贈られるが、怨霊はベルトを無造作に掴むと、倒れたままの裕向の足元にこれを置いて「今日は宮本からピンフォールもギブアップも奪ってない。レフリーストップですよ。宮本に勝ったと言えないよ。だから、ベルトはまだ宮本が持ってろよ」と戴冠を拒否。
 しかし裕向は「俺はこの無秩序無差別級を巻くためにトーナメント優勝しようと必死に頑張って、666を背負おうという気持ちを持った。今、全日本(アジアタッグ王座)とかZERO1(NWAインターコンチネンタルタッグ王座)とかでベルト巻いてるけど、この気持ちがなかったら僕は絶対ベルトなんて巻けませんでした。だから怨霊さん、俺から勝ったベルト、しっかり腰に巻いてください!」と叫んで怨霊にベルトを手渡す。

 怨霊は「怨霊、25執念。SPWFを入れると26年、学生プロレスを入れると30年。18歳で東海大学に入って、MEN’Sテイオーこと大塚さんに受け身を1から教えてもらって……もう、30年も、経っちゃった……もう、これしかないんで……」と最後は涙ながらに語り、解説席に座るMEN’Sテイオーと見つめ合う。そして最後はファンの大歓声を受けながらベルトを腰に巻いて退場していった。


 バックステージに戻った怨霊は「宮本はインディーの中でも一番試合数多いし、他団体に出て負けて、強くなっていって、宮本がやってることが正しかったなって思いました。『巡業があるとキツいからいいよ』とか断って、単発で(オファーを)貰ってるだけで、宮本と差が開いていくのは当然ですよね。今日宮本からピンフォールもギブアップも取れなかったから、悔しいです。また宮本を目指してがんばりますよ」と新王者となっても後輩の裕向へのリスペクトの意を語り、MEN'Sテイオーと笑顔で記念撮影をして去っていった。

 対する裕向は「真剣勝負で負けたので何も言うことはないです。壁になって、もらえるかな……。怨霊さんがこれからの666の選手も含め、他団体の選手にも壁になってほしいと思ってます」と穏やかな表情で語った。

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