【インタビュー】3月3日にデビュー33周年を迎える船木誠勝が初代タイガーマスク&新間寿とともにトークショーを開催!33年間を振り返り想いを語る!

  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

 船木誠勝が3月3日(土)午後3時3分より、デビュー33周年を記念するトークショーを大阪(道頓堀角座)で開催する。
 このイベントには、船木がプロレスラーをめざすきっかけとなった初代タイガーマスクと、タイガーのデビューやアントニオ猪木vsモハメド・アリの異種格闘技戦などをプロデュースした過激な仕掛け人、新間寿が“特別参戦”。この3人によるトークは初めてだけに、どんな話が飛び出すのか興味津々だ。「闘宝伝承2018前哨戦~甦ったサムライ船木誠勝デビュー33周年記念~船木誠勝×初代タイガーマスク×新間寿スペシャルトークショー」と銘打たれたイベントを前に、船木にインタビュー。
 なぜ33周年なのか、さらには2018年のテーマなど、話を聞いてみた(聞き手・新井宏)

――船木選手にとって2018年はデビュー33周年にあたります。
「33年が経ちましたね。つまり、3年前が30周年だったわけですけども、そのときはWRESTLE-1に所属してまして、その前の年が武藤(敬司)さんの30周年だったんですよ。自分よりもデビューがちょっと早いですから。自分は年をまたいで次の年にデビューしてますので。自分はちょうど半年ずれてて、武藤さんの30周年が先にあって、その年に自分はWRESTLE-1を退団してフリーになったんです。30周年をやるきっかけもなくなってしまったんですよね」

――フリーに転向したのが2015年でしたね。
「ハイ、その年にちょうど大阪に行きまして、大阪に住んで3年経ってようやくなんか安定してきたというか、そろそろこのへんでなにかやろうと。今年3月13日に49歳になりますけども、まだ身体が元気なうちに、50歳手前で一回記念(イベント)をやりたいなと」

――遅れてきた30周年記念、みたいな感じですか。
「そうですね」

――30周年をちゃんとしたかたちでできなかったので、33周年のいま、あらためてということですね。
「そうです。なぜ33なのかと不思議に思われると思うんですけど、そういう経緯で決まりました。ちょうど3月3日がデビュー戦だったんですよ。ですから33周年となる3月3日にまずイベントをやろうと。それでできあがったのが、今回のイベントになりますね」

――トークショーというかたちですね。
「ハイ」

――33周年を迎えるにあたり、昨年はどんな一年だったかお聞きしたいのですが。
「昨年は、フリーになって一番試合が多かったですね」

――あらゆる方向のプロレスをしましたよね。
「ええ。その前の年も試合は多くなったんですけども、昨年のほうがもっと多かったですね。かなり試合をした記憶があります」

――さまざまなスタイル、あらゆる方向のリングに上がっていましたよね。
「そうですよね。フリーになって最初の3年間は、オファーされた試合は全部出ようと思ってたんですよ。昨年がそのピークだったですね」

――それこそ、UWFあり、FMW、デスマッチありと。
「右から左まで全部やってしまった感じがしますよね。今年、年が明けてちょっと振り出しに戻したいなという気持ちもあります」

――デスマッチを体験していかがでしたか。
「刺激がありました。刺激があったんですけど、正直、自分のスタイルじゃないなというのは感じました。でも、一回経験しておいてよかったとは思います」

――プロレスラーとして、より幅が広がったと。
「そうですね。自分の土俵じゃないなというのは、わかりましたけどね」

――自分の土俵以外でも闘うのがプロレスラーでもありますからね。
「そうなんですよ」

――さまざまな団体に上がるなかで、主戦場と言えるのはリアルジャパンだったと思いますが。
「ええ、一番しっくりきましたね。フリーになってからは、その年が終わる前に必ず平井さん(リアルジャパン代表)から翌年のスケジュールを出してもらってるんですよ。それをまず入れてからその年のスケジュールが決まっていくという感じですね。それがいまの日常になっています」

――リアルジャパンでは昨年、レジェンド王座を奪回、スーパー・タイガー選手に明け渡すことにもなりました。常にタイトル戦線にいた印象があります。
「自分で言うのもなんですけども、チャンピオンベルトを取ったことからレジェンド王座の活性化につながったような気がしますね」

――事実、船木選手がリアルジャパンのリングに上がるようになってから、レジェンド王座の価値がどんどん上がっていきました。
「いろんな選手がベルトに挑戦して取ったり取られたりだったじゃないですか。そういった流れがこの3年ですごくできてきたような気がしますね。自分がちょうど3年前、フリーになってすぐにスーパー・タイガー選手から取って、昨年の暮れに取られてという、その2年間はホントにいい感じでベルトを中心に回ってたと思いますね」

――その間に関本大介選手や大谷晋二郎選手もベルトを巻きました。タイトル戦線が活性化して、大会のメインで組まれるのが当たり前になりましたよね。
「そうですね。それはよかったと思います。ベルトが甦った、みたいな。最初取ったときはベルトがものすごくキレイだったんですけども、いろんな選手が持ち歩いているうちにどんどん汚くなってきて(笑)」

――いい意味で汚れていったと。
「年季が入ってきましたよね。以前に全日本で三冠王座取りましたけど、ベルトがボロボロでしたからね。そうやってベルトは年季が積み重なっていく。いろんな人が巻くことによってそうなっていくんですよね」

――ベルトが動いている、活性化している証拠ですからね。
「そうなんです」

――リアルジャパンでは新間寿さんが納谷幸男選手のデビュー戦に激怒し、“原点回帰”をテーマとする大会を昨年12月7日に開催しました。船木選手も参戦しましたが。
「自分のなかではいつもいっしょ、いつも原点なんですよ。誰とやるにしても自分のスタイルを絶対に崩さないし、崩せないので、自分はデビューしてからずっと変わっていない気がするんですよね。ずっと同じかたちでやってるので。それはそれでどうなのかなって気もしますけど、“原点回帰”は自分では当たり前のことでした。むしろ自分のかたちにちょうどいいかなと、都合がいいかなと思いました。自分のスタイルにリアルジャパンが近づいてくれたような気がして、すごくよかったです」

――そういった意味でも、やはり今年もリアルジャパンが主戦場になりますね。
「そうですね。やっぱり憧れの人(初代タイガーマスク=佐山サトル)がつくった団体なので、そこに一番ハマってることが本当にうれしいですよ。だから今回のトークショーも、それこそ34、35年前、まだファンだった頃、プロレスラーになる前の自分に見せたら本当に最高だと思うんですよ。憧れてた人が、自分がメインのイベントに来てくれる。そんなこと、ふつうないじゃないですか。それは“少年”船木にとって最高だと思いますね。(当時めざしていた)その方向が間違ってないよって、言ってあげたいですよね」

――一度プロレスを離れ、戻ってきたからこそ、ですよね。
「そうです。初代タイガーマスクも一回引退してるんですよ。だから2人とも同じ感じで、いまこうして集結したような気がします」

――プロレス、格闘技を通じて似たような道を歩いてきたとも言えますよね。
「自分もそう思います。佐山さんがシューティングをつくって、自分がパンクラスをつくって、お互いがシューティング、パンクラスを離れて、それでプロレスに戻ってきてという、本当に不思議だなと」

――その格闘技は格闘技で継続されています。
「シューティングもパンクラスも日本の総合団体として残ってますから」

――それもまたうれしいことですよね。
「自分がつくったものがなくならず、本当によかったと思いますね」

――3月3日のトークショーには、初代タイガーマスク選手、新間さんが参加します。
「新間さんは、アントニオ猪木さんのマネジャーだったじゃないですか。本当に雲の上、そのまた雲の上の人でしたね。自分が新日本に入ったときはもうUWFのほうに行かれてて、まったく接点がなかったんですよね。だからここ最近ですよ。4,5年くらい前からリアルジャパンに来てくれて、自分の試合を観てくれている。“君の試合、ちゃんと観てるからね”と言われて、ちゃんと目に映ってるんだ、と思い感激しました」

――実際に会ったのは、ここ数年のことだったんですね。
「自分が16、17歳の頃、新日本のパーティーで一度だけチラッと見かけたことがあったんですけど、当時はそれだけでしたね」

――どんな印象がありましたか。
「やはり、新日本の全盛期をつくった方ですから、この人がいなかったら猪木さんもあそこまではならなかっただろうし、新間さんなしに異種格闘技戦は成立できなかったでしょう。実際、新間さんがいなくなってから新日本がちょっとずつ変わりましたからね。マシン軍団とか海賊男とか、そういう方向になってきたじゃないですか。あれは新間さんがいなくなったからだと思いますけどね(笑)」

――新間さんがプロデュースしてきた猪木さんの異種格闘技路線ですが、船木選手が継承している部分もあるのではないですか。
「結果、そうなってますよね。タイガーマスクに憧れて入った人間だし、そのときタイガーマスクはいなくなりましたけども、そこに関わっていた藤原(喜明)さんだとか、前田(日明)さんとか、高田(延彦)さんとかと自分は付き合ってプロレス人生を歩んできましたから、やはりそういう方向になってきますよね」

――そういった意味でも船木選手の33年のキャリアにとって、初代タイガーマスク、新間寿、このお二方は欠かせないですよね。
「ええ、そうです。初代タイガーマスクは憧れですから。見た目もそうですけども、飛んだり跳ねたり、それにプラスして強いというのが一番。それもただの強さじゃないなと、子どもながらに思ったんですよ。本当にこの人は余裕で飛んだり跳ねたりしながら、極めるときは極めるんだなと、そういうイメージがありました。その強さの部分で、関節技があり、その先生がカール・ゴッチさんであり、藤原さんだと。そういうのをファンの頃から聞いていましたので。それがないとドロップキックまでたどり着くこともできないんだと、後からわかりました」

――ドロップキックにたどり着けない?
「ドロップキックがすごくキレイで、やってみたかったんですよね。自分も飛んだり跳ねたりしたいなと思ったんですけども、まず新日本に入ってすぐにやらされたのはスパーリングなんですよ。セメントという名の練習。グラウンドで相手を極めたり絞めたりする練習なんですけども、そのとき本当になにもできなくて。柔道とか空手もやってなかったですし、ただの中学生がみんなといっしょにそういう練習をやってもなにもできないんです。毎日、毎日、ボロボロにされて、この状況を脱出しなければドロップキックまでたどり着かないんだと思い知らされました。実際、ドロップキックの練習なんて誰もしないですからね。しないんですけども、巡業についていって試合を観ると、みんなポンポン飛んでるんですよ。いつやってるんだろう、いつ練習してるんだろうって不思議でした。練習の場所ではやらないのに、みんな試合で出すんです。最初は不格好なんですけども、毎日やっていくうちにキレイになっていくんですよ。むかしの選手はそうやって、自分の技を磨いていったんですよね」

――試合も練習の場であると。
「そうです。だから前座レスラーが巧い試合をするはずがないんです。きたない試合から徐々に徐々に上がっていくのがむかしの新日本の前座だったんです」

――試合で出す以前の基本中の基本を道場で学ぶ?
「ハイ。まず闘いの練習ですね。極め合いの練習。それだけです。それと基礎体力。強い身体をつくって、あとは極める技の練習しかしていないです」

――ということは、リング上で披露し、魅せる技というのは、リングで学ぶと。
「リングで出して、徐々に自分のものにしていきました」

――若手時代の船木選手といえば、ドロップキックの印象が大きいのですが。
「そうでしょうね。ドロップキックはデビュー戦が決まってからの合同練習の最終日にたった10発、ダミー人形に向けてやっただけですね。そのときはキレイに飛べてるのかどうかわからないですし、ぶっつけ本番でやるんですけども、結局は相手の胸のところまで(脚が)上がらないんですよ。デビュー戦のときに星野(勘太郎)さんに、怒られましたね。“ドロップキックをどこに当てた?”と。自分ではわからない。ノドのあたりだと思うですけどと言ったら、“バカヤロー、腹だぞ。腹に当たったのではダメだ”と。もっと高い位置に当てろということなんですね、胸の上の部分まで。そこから自分は高く飛ぼうとばかり考えて、最終的に顔にいってましたね。顔に当てて先輩のアゴの骨を折ってしまいました(苦笑)。とにかく当時は怒られて、怒られて。もっと高く、もっと高くと。そのうちに顔になって、アゴの骨を折ってしまって。アゴの骨を折ったときからですね、ドロップキックの船木と言われるようになったのは」

――そのくらいの破壊力を得るまでにならないと…。
「自分のものにならないということなんです」

――最初は、初代タイガーマスクの飛び技に憧れたのですか。
「その前に、ミル・マスカラスですね。マスカラスがすごい好きでした。そのときはまだ新日本プロレスにそういうマスクマンがいなかったんですけど、タイガーマスクがデビューした。そのときに、日本人じゃないかという感じから親近感が沸いたんですよ。マスカラスはメキシコ人じゃないですか。タイガーマスクは日本語をしゃべってるので、もっと身近に感じて、それでいて飛ぶし、強いし、そこからファンになりました」

――タイガーマスクのようになれるのではないか、なりたいと思ったのでしょうか。
「なりたいと思いました。引退されたときに2代目になりたい、2代目になろうと思って入りましたから(笑)。だけど、2代目になる前に片付けなければいけない練習がセメントだったんですよ。まずそこをクリアーしなければレスラーにもなれないし、ましてやマスクマンとか、飛び技をする選手にもなれない。そんなの10年早いと。そういう世界ですよ。それでいざデビューしてみたらドロップキックは高く上がらないし、マスクマンになるなんて、まったく見えてこなかったですよね」

――非常に高いハードルだったわけですね。
「そうですね。結局セメントの練習しかしてないので、セメントの技が自分の技になってしまうんですよ」

――憧れた初代タイガーマスク選手と、そのデビュー戦もプロデュースした新間さんがトークショーのゲストとして参加しますが、どんなことを聞いてみたいですか。
「やっぱり佐山さんの思想をもっと知りたいですね。これからやろうとしていることとか。この先のプロレスのかたちとか、格闘技のあるべき姿とか、そういうのをちょっと聞いてみた。いまの佐山さんのアタマのなかにどういうものが見えているのか。そういうことを聞いてみたいですね」

――こういう話をあらためて聞くことは…。
「ないです。たまに会見のときとか2人になって、むかしの話を聞いたりはしますけど、思想の話はまったくないですね」

――新間さんから聞いてみたいことは?
「自分の口からは聞けないですね(苦笑)。でも、アントニオ猪木さんの裏話とか、ちょっと聞いてみたい気はします。猪木さんの全盛期に一番近い存在だったと思うんですよ。だからいろんなことを知ってるんじゃないかと思います」

――この3人でトークをするのは初めてになりますよね。
「もちろん初めてですよね」

――ちょっとあり得ない顔合わせですから、貴重な機会になりそうですね。
「ハイ、そうですね」

――このイベントが33周年のスタートになると思うのですが、その後について考えていることはありますか。
「うまくいったら第2弾、第3弾をやりたいですし、今年中に大会とかできたら本当にうれしいですよね」

――記念大会?
「ハイ。1大会くらいはやってみたいなと思いますね。自分のケジメとしても、(デビューから)30年以上経ちましたし、50歳の手前ですから、最後にもう一勝負というか、実力を測る試合をしてみたい、残したいという気持があります。佐山さんからも言われたんですけども、50歳になるといきなりくるっていうんですよ」

――というと?
「いままで通りにいかない、肉体の衰えというんですかね、突然くるらしいんですよ。あの運動神経バツグンの佐山さんがそう言っているので、おそらく本当だと思
うんです。だからその前に現役として(大きな勝負を)やっておきたいんですよ」

――船木選手はまだまだというふうに見えますが。
「自分もそう思うんですよね。そう思うんですけど、くるよって(笑)」

――突然くるかもしれないからこそ、早いうちにやっておきたいと。
「ええ。本当ならば時間も迫ってますから。そういう意味でも今年なのかなって気はします」

――33年のキャリアは大きく分けて前半と後半に分かれると思いますが。
「ハイ。新日本時代、UWF、藤原組、パンクラス」

――ヒクソン・グレイシー戦から一度引退して…。
「ちょっとあいて、復帰してからの全日本。WRESTLE-1。そしてフリー。30年もやってるので、いろんなことがありましたね」

――ある意味、今年は集大成としての一年になりそうですか。
「そうですね。ちゃんと動けるなかで(大きい勝負を)一発やりたいなという気がします。相手を探している最中です」

――大会開催にふさわしい選手を?
「ハイ。相手を探してます」

――見つかればその大会を実現させたいと。
「そうですね。たぶん、自分にちょうどいい選手がくると思ってます。なんとなくですけど、ふさわしい選手がくるような気がします。こないのであれば、もっと先かもしれないです。そうなると、もっと息が長くなるかもしれないし。いずれにしても現われると思うし、そういう選手とやると思うんですよ。それが今年なのか、もうちょっと後になるのか。今年こないようなら、もうちょっと自分の動ける時代が長引くのかもしれないし」

――今年は、その選手を見つけるような闘いになっていく感じになりそうですね。
「ハイ。引退とか、そういうのではないですけどね」

――大きな意味のある相手ということですね。
「ハイ。現役として動けるなかで、それはもしかしたら若い選手かもしれない。バリバリの選手とやってみたいですね」


闘宝伝承・2018前哨戦~甦ったサムライ船木誠勝デビュー33周年記念~
『船木誠勝×初代タイガーマスク×新間寿 スペシャルトークショー』
日時:2018年3月3日(土)
開始:午後3:03
会場:道頓堀角座(大阪府大阪市中央区道頓堀1-4-20)地下鉄「なんば駅」14号出口 徒歩5分

  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

関連記事

サイト内検索

日別

2024年11月
« 10月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

月別

ページ上部へ戻る