永島勝司 ゴマシオ親父のつぶやきR[第8回]

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甦れ、新怪物、橋本真也!
とは言っても、俺の放蕩息子があの世に旅立ってから7月11日で、早、10年が経った。いつも俺に悪態を尽きながら裏では親父、親父とじゃれついてきた真也。彼が今、もしこの世の中にいるならば日本のプロレス界の地図は大きく変わっていただろう。アメリカナイズされた武藤、ヒール的要素をうまく取り込んでストロングプロレスを続けた蝶野。それと比べて、真也は憧れで尊敬するアントニオ猪木の後ろ姿を追いながら、そればっかり追及してきた。言ってみれば猪木プロレスの申し子は真也だ。

俺と真也の付き合いは、彼がアメリカでぶらぶらしているとき、突然「日本に帰って来い」と、俺が指令を下した時から本格的にスタートした。それは、平成元年新日本プロレスが初めて東京ドーム興業を開催した時である。
その前から、俺と猪木はソ連のアマチュアレスラーのメダリストをプロに転向させるべき、人が信じられないような大博打をやっていた。その時も、ブルジュア州ゴーリーで行ったレスリングの選手達の合同練習に、マサ斉藤、長州、馳とともに、俺は指導員として真也を指名した。

「象牙で当地のワインを腹いっぱい飲ましてやるから黙ってついてこい」と真也に言ったものだ。奴はよく我慢したなぁ。ある時には、途中から倍賞が日本から持参してくれた米に七転八倒の大騒ぎ。持ち込んでいたボンカレーであっという間に、2升の飯を平らげた。恐るべき信也。あのパワーがあったら、何でも出来るぜ。俺は長州と異国ゴーリーでニンマリしたのを今でも覚えている。

真也のプロレス感は豪快そのもの。猪木の剛柔自在なプロレスと違い、当たって砕けろの肉弾爆弾そのもの。まあ、真也が猪木を必要以上に尊敬していたことは先日雑誌の企画であった三銃士のひとり、蝶野が証言している。
「ブッチャー(橋本)はとにかく、猪木さんを尊敬していてその参謀であった永島さんとはいつも一緒にいたかったんだ。それがいろんな言葉になり、永島さんを刺激したりしたとも思うが、俺ら選手は発言の意味を皆解っていたさ。それほど、永島さんのことを好きだったんだろうね」

この蝶野のコメントは、俺にとってはくすぐったくてしょうがないよね。でも奴があの世に行って10年、日本のプロレス界は様々な変化をとげ、現在に至っている。もし、真也が生きていたら、蝶野、武藤という先輩を無理やりでも引っ張って、猪木イズムを踏襲させようと躍起になっていただろうな。
それに今のプロレス界はどう答えられるか。それは解らない。だが、しかし、橋本真也の持っているプロレス魂は決して半端なものでは無い。トリッキーな奴の性格もあるが、没後10年という区切りを今一度思い返してもいいだろう。それが俺が冒頭に書いたメッセージである。

合掌

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