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のの子インタビュー【第1回】

のの子インタビュー【第1回】

PREMIUM_のの子インタビュー第1回

現在プロレス界で独自の存在感を発揮している“のの子”というプロレスラーがいる。オパイェ、手ぶらツイスト、パイフライフロー、ボインメーカー……と、どこかで聞いたような独自の技を使い相手を倒していく姿は一見コミカルだが、このスタイルで東京女子プロレスのエースの座まで登り詰めた。さらにこののの子の試合スタイルが話題になり、東京女子プロレスという団体自体の注目度が高まったと言っても過言ではない。

さらにのの子はプロレスラーだけではなく、KカップアイドルとしてDVDを発売するなどマルチタレントとしても活躍。
だが、それだけ“売れっ子”ののの子だが、風呂なしアパートで貧乏生活している様子が、地上波のテレビ番組や東京スポーツで取り上げられ、試合後のコメントでは常にタニマチを募集している。
色々と謎に包まれているのの子とは一体何者なのか? プロレスデビューする前からのの子選手のことを知る記者が満を持してのの子にロングインタビューを行った!
【取材・文/執事記者つばさ】

――まずのの子さんとは何者なのでしょう?

のの子 Kカップアイドルレスラーです♪

――それにしてはマルチな活動をしてますよね。

のの子 マルチですよね〜。元々小さな頃から児童劇団に入って子役修行をしていたのが、今になってものすごくためになってますね。だから将来芸能の仕事をした人は、私は小さい頃から児童劇団に入るべきだなと思いましたね。言葉のキャッチボールとか〜、児童劇団入ったらまず“ういろう売り”を覚えさせられる所から始まるんですよ。ういろう売りはなんかあった時とか、滑舌良くなったりとか話を誰かにする時とかすごく役立つから、本当にういろう売りは覚えておいて損はないなと。その時は「えっ、なにこれ!?」って思いましたけど、今思うとういろう売りは人生一回覚えとくべきだなと思いました。

――今もそれがためになっていると?

のの子 アニーとかのオーディションとか受けてますからね私。

――リアルですね。その時は事務所などに所属されてたんですか?

のの子 その時は劇団●●●にいましたね。ひ●わりさんに行きたかったんですが入所金が高くて……

子供の頃ののの子

――今まで本当に様々な活動をしてきたと思いますが、色々振り返ってみましょうか。

のの子 子役から活動してて。ほんとずっと、この間以前いたユニットのオーディションがオーディション雑誌に載ったんです。月刊オーディションとか月刊デビューとか。その雑誌をずっと買ってて、ず〜っと毎月のようにコラムを読み、オーディションを探し、夏とかになると、事務所一斉オーディションとかに送って、ずっと落ちてました(笑)。ずっと落ちてました!

――学生時代もですか?

のの子 中学生ぐらいまで(履歴書を)送ってました。ちょっともうこれ無理なんじゃないかと思って、中高ぐらいはミュージカルの専門学校行きつつ学校も行っててという感じで、ミュージカルをやろうと思って。歌って踊って芝居がしたくて。欲張りだったんですよ、歌って踊って芝居がしたくて、ミュージカルの方に行って、タップとかジャズとか、そういうの習いながら音大付属の教室に通ってました。そこで、その後に私はもう劇団員になるんだと思って、青年座と大人計画と文学座を受けて、これもまた全部落ちて(笑)。

――全部落ちるんですか!?

のの子 全部落ちて(笑)、ずっと落ち続けてました。もう一回諦めてバイトしようと思ったんですよ。普通に仕事しよって思って、仕事ないかなって思った時にメイドカフェ(笑)。

――なぜ!?

のの子 いやなんか、面白い仕事したいと思って。ちょうどその時、怪しい仕事特集とかが載ってた雑誌に初級編としてメイドカフェが載ってて、これなら「おかえりなさいませ」って言うだけだし可愛い服着れるし、いいなーって思って(履歴書を)送ったらそこで初めて合格したんですよ〜。

――バイトですしね!

のの子 今まで散々落ちてたのにね〜。

――その後、僕も知ってるメイドアイドル時代が始まるわけですね。

のの子 メイドユニットやってメイドアイドルやって、その流れで胸おっきいからグラビアっぽいことやらないかと言われて。かつ現役メイドでってなったら付加価値が付けられいいんじゃないって。そういうお仕事をいただき、グラビア事務所に入り、そこで初めて事務所に入ったんですけど、あんまり芽が出ず……

――DVDを出していた時代ですかね?

のの子 ユニットで出してました! 私、ソロでは売れない女だったので、3人組で過去にDVDを2枚ぐらい出してます。事務所がいろいろ変わっても、マネージャーさんについて行ったんですけど、その間にも時間は経過してるわけで。結局色々あって事務所を辞めてフリーになって……

――ホームページにもある食ドル時代は、フリーになってからだったんですね?

のの子 フリーになってすることがなくて、『ジャイアンナイト』(お笑い芸人のダイノジが主催するDJイベント)にどっぷり入ったんですよね。学ぼうと思って、自分の中では養成所だと思って、そこで結構DJ活動とかやらせてもらって。「コンテンツを見つけろ」って言われて……。「料理上手いから料理やればいいじゃん」って(ダイノジの)大谷さんに言っていただき、食ドルをやりますということになったんです。

――その後、小島よしおさんとカレーを作る企画などありましたね。

のの子 でも「渡しは食ドルです」って言ってても、仕事に繋がるまでは2年ぐらいかかるんだなと実感しました(苦笑)。定着して広まるのに1年か2年ぐらいはかかるから、絶対それを考えて、みんなも始めたほうがいいよと思うんですけど(笑)。パッとやっても仕事はすぐこねーんだよ!と。

――その辺りで色々露出がありましたよね。

のの子 カレーのカムイさんに話をもらってプロデュースしていただいて、その後小島よしおさんとトリプルコラボとかさせていただいて。その時ニコニコ超会議とかで一番最初にフード募集とかあったんですよ。それで2回目の超会議の時にあったら応募したいと思って、宇宙人パスタ考えてたんですけど、2回目の時にフードの一般募集がなくて! 実はアレ、超会議のために作ったものだったんですよ。そのレシピを放置してたらひとり歩きしてしまって、ひとりで『めざましテレビ』とか出て、私のもとを去っていった(遠い目)。そんな感じでDJは続けてはいたんですけど、『ジャイアンナイト』と『アニソンディスコ』(吉本芸人BANBANBAN率いる踊れるアニソンDJイベント)が分裂することになって、アニソンディスコについて行って。

――その頃に中島翔子とは出会った?

のの子 いや、まだ中島さんはいないですね。『アニソンディスコ』が始まって、私達が抜けた後に『ジャイアンナイト』に入ってきた新人の女の子が中島さんだったんですよね。当時「アニソンが好き」って言ってて、『アニソンディスコ』にたまに来てたのは覚えてます。「後輩が入ってきたんだよ」って紹介されたりして、私は『ジャイアンナイト』には挨拶しにいったりとか顔は出してたので、その時にご挨拶してたりとかしてました。そんな感じで『アニソンディスコを』やってて。ある程度『アニソンディスコ』やってたら、やっぱり歌がやりたくて。DJって他人の曲じゃないですか? DJも好きですし、アニソンも好きなんですけど、やっぱり歌ったりとかする活動をやりたいと思ってたときに『夏の魔物』のオーディションがあるっていうのを見たんです。

ーーなるほど。

のの子 1回全てやめて『夏の魔物』オーディションを受けて、きゃりーぱみゅぱみゅのような顔で、ももクロのような世間とプロレスをやるアイドルユニットだって言ってたんでオーディション受けたんですけど、なんかほとんどの審査員がDDTの関係者で(苦笑)。その頃DDTを知らなかったんですけどね。そこで「プロレスをやらないか?」と言われて、誘われたら即やるタイプなので、即「やります」って返事してプロレスラーになってしまったという。

――その審査員にいた今成夢人が過去のDVDを見ていたという事でしたが。

のの子 そうなんですよ! 今成さんが救ってくれたんです! 私は本当は落とされる予定だったんですけど、あのときに今成さんが「なんでこの子を落とすんだ!」ってすごい怒ってくれて〜。「この子はずっと頑張ってきたんだ!」と言ってくれて、「今成さんが合格なら合格でいいですよ」って事で合格したんですけど、なぜか「のの子ちゃんは女優部門で」って言われて。え、女優部門って何?って思いながら、「俺が監督だー!」って感じで今成さんの女優枠で合格したんですよ(笑)。その辺が全く報道されてないから、まったく知られてないんですけど……。しかもその時、パブリシティ用に今成さんとラブラブって、ハートを手で作った写真とか、なんか色々撮ったはずなんですけど、それも一切載ってないから……私の存在は結構謎なままなんですけど。

――あれは今成さんとのそういうストーリーだったんじゃなかったんですね。DVD見てたとかも。

のの子 ほんとに偶然らしくて! グラビア事務所に入ってた時に、本当に初めて載った『本当にデカップ』っていう巨乳の子しか載らない雑誌があったんですよ。そういうピンポイントな雑誌があって、それが私が唯一載れる雑誌で、それを今成さんが愛用されてたらしくて。猫耳つけてずっと「お兄ちゃん♪」って言ってる付録DVDが事務所に入って、一番最初の仕事だったんですけど、今成さんはそれをずっと見てくれていたみたいで。しかも今成さんの中では何かあったときに励ましてくれたDVDらしいですよ(笑)。

――やっててよかったですね〜。その後、『夏の魔物』では色々ありましたね。

のの子 女優枠って言ってたんで、今成さんとドキュメント撮ろうってちょくちょく撮ってたんですよ。自分でカメラ持ってちょいちょい喋ってたりはしてたんですけど、2013年の秋ぐらいですね。DPGにも入れなくてずっと悩んでて、ほんとは映画を撮ろうみたいな感じになっててあったんですけど、その後、結局ブラックDPGに加入することになったのでそれもなかった事になりましたね。あれから数年後の最近になって『のの子キャノンボール』って形で映画みたいなものは実現しましたけど(苦笑)。結局、女優枠合格はなかったことになったんで、ブラックDPGを頑張ってましたね。

画像の説明

――ブラックDPGは蝶野正洋さんとコラボしたPVや曲も良かったですよね。

のの子 曲もPVもすごく好きですね。良い体験をさせてもらって。只野菜摘さんも私達の気持ちとか見てくれて詞を書いてくれてるので、ほんとにキャラクターソングみたい。自分たちの声で感情を歌ったオリジナルソングだったのですごい好きでしたね。};

――ブラックDPGはメンバーの出入りはなかったんでしたっけ?

のの子 坂崎ユカちゃんが総選挙の前に抜けて、総選挙でシャドウとかと入れ替えがあって。それ以外は抜けたりとかはなかったですね。

――DPGとの仲はどうだったんですか?

のの子 そりゃあ悪いですよ。ね? ライバルですからね。でも、DPGは(ケンドー)リリコちゃんとかもそうですけど、DPGで跳ねなかったからブラックって場所ができた。私達の居場所だったから、別に比較するとかじゃないですけど、どっちかって言われたらブラックDOGは私達の中では一番良い場所だったし、自信を持っていられた場所でしたね。

――そのブラックDPGからも3月に卒業されましたね。ブラックDPGはどういう存在でした?

のの子 私の昔からやりたい事が全部詰まっていた、歌って踊って闘って芝居してみたいな、全部の要素が入っていたのでものすごく好きでしたね。面白かったですし……やりたいことが全て詰まってたので。ただやっぱり1年やってみて感じたのが、ものすごく体感スピードが早いんですよ。ほんとにたった1年なのかって思って。精神的とか肉体的とか費やしたものは3年ぐらいはやってたんじゃないかっていうぐらいなんですけど……すごく好きだし、やっぱり好きだからやってたのが一番あって。でもたぶん私はブラックDPGでの役目が終わってしまったのかなって部分を感じて……

――それはどこに?

のの子 ちゃんともっとこう…すごくユニットに甘えてる部分が多くて、皆で頑張ろうというか、ユニットってみんなで輝くものじゃないですか? たぶんそれをする時期ではないなと私は思ってしまって、もっとこう……なんだろうな〜? すごく好きで、私がもっと出たての頃だったら、ここで3年ぐらい頑張りたかったんですけど、色々やってきた上でのユニットだったので。たぶん私はここにいてしまったらぬるま湯に浸かってしまう、もっと私は一人で頑張らなきゃいけないと思って。それを周りが与えてくれたチャンスの中で頑張らないといけないから、そのタイミングとしては今じゃないと。

ーーなるほど。

のの子 恩があるわけですよ色んな人に。色々お世話になってて、それでも頑張ってるからって見守ってくれてる人達が多いので、その人達にやっぱり恩返しじゃないですけど、売れることが恩返しなので。有名になったりとか、プロレスももっと頑張んないといけないし、そういった中でみんなでやるよりも、今はもっと一人で闘わないといけないものが大きいのかなって思って。この先のことを考えて今やれることを考えていたら、ちょどいいタイミングで大手芸能事務所のサンミュージックプロダクションさんに入れましたし、また一人でイチからになってしまうけど、あと3年後のことを考えると今から作っていかないとって思って。だから今年はまずその第一歩ですかね。

【第2回につづく】

のの子

のの子_プロフィール用Photo

歌う事・踊ること・表現することが好きでエンターテイメントの世界に憧れ、演劇とミュージカルを学ぶ。アニソンが好きでアニソンDJ 活動、ライブ活動、料理が得意なので食の情報アイドルとしても活動。更なるエンターテイメントを追求し、DDTプロレス内ブランド、東京女子プロレスにて旗揚げと同時にデビュー。 東京女子プロレスの最胸レスラーとしてKカップを武器に活躍中。

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