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ザ・クレイジーSKBインタビュー【第1回】

ザ・クレイジーSKBインタビュー【第1回】

PREMIUM_ザ・クレイジーSKBインタビュー1

暗黒プロレス組織666と言えば、“バカ社長”ことザ・クレイジーSKBの過激な試合はもちろん、怨霊やラム会長の活躍、試合を見ていた観客が失神するなどのエピソードで旗揚げ当初から話題になっていた。
気付けば旗揚げから11年以上が経ち、いまや宮本裕向や忍は他団体でもメインイベンターとして大活躍。T○KI○山口達也さんの実弟であるKouzyをはじめ若手選手の数も増え、プロレス団体として着実に大きくなっている。
新宿二丁目プロレスやYOUNGプロレスわっしょい!など別ブランドの大会も好評だが、本興行は毎大会、新木場1stRINGが超満員。なかなか関東のファンしかライブで見ることが出来ないということもあり、当バトル・ニュースやニコプロの中継もかなり高いビュー数を叩き出している。
そんな666だが、ただいま大変な事態になっている! 666ファンの中には「微笑ましい光景」なんて思っている人もいるかもしれないが、10年以上も団体をやっていればいろいろと問題が出て来るのは事実だ。
そこで滅多にプロレスメディアに登場しないバカ社長を直撃! 666は大丈夫なのか、どうなっていくのかについて聞いたのはもちろんだが、そもそも音楽業界では超有名人のバカ社長が、なぜプロレス団体を11年もやってきたのか……その辺についてもまとめて聞いてみた! 今回はバカ社長以上にメディアに登場することがない、彼岸花毒美666代表と怨霊にも同席いただいた。バカ社長について、そして666という団体について語り尽くす! なお、たまたま近くにいた山田太郎も時々登場している。
【取材・文/佐瀬順一】

ーー社長は猛毒というバンド等でのボーカルとして音楽業界ではすでに有名人でしたが、2003年12月に突如、暗黒プロレス組織666というプロレス団体を旗揚げしたキッカケはそもそもなんだったんですか?

ザ・クレイジーSKB(以下社長)もともと怨霊選手と知り合いで、怨霊選手から「今度自主興行をやるので手伝ってほしい」って言われたのがキッカケですね。で、どうせ興行やるなら団体にしちゃったほうがいいんじゃないかってことになって。団体をつくるなら名前を決めなきゃってなったんですけど、英語3文字の団体が多かったんですよね。

怨霊 ……。

ーーああ、当時はUWFとかFMWとか。

社長 そうそうそう。それで数字が名前の団体はねえだろって。しかも数字で666ならイメージもバッチリだしってことで「トリプルシックス」でやろうってなりましたね。

ーー怨霊選手はいわゆる怪奇派レスラーでしたから、確かにイメージ的にはしっくりきますね。

社長 自分と怨霊選手のイメージがしっくりくるのは、やっぱりちょっとオカルト寄りだし、そういうドロドロとした感じのプロレス団体って当時はまだなかったんで、これはやる価値があるかなって。

怨霊 ……。

ーー怨霊選手は当時すでにキャリアも知名度もある選手でしたが、社長からすればいきなり音楽業界からプロレス界に飛び込んできたわけですよね。

社長 自分の場合、プロレスは物心ついた頃からずっと見てきていて、プロレスラーになりたくて柔道とかマーシャルアーツとかやったんだけど、身長とかが足らなくて断念したんで。バンドをやりはじめたときに、バンドでプロレスを表現すればいいやって感じでやっていたんで。だからその頃からリングには上がってないけど、ステージ上では自分はプロレスラーだと思ってましたよ。

ーーなるほど! じゃあ、いわゆる社長の火炎放射CG(笑)とかのルーツはプロレスから?

社長 そうそう。小学生の頃からプロレスごっこは毎日にようにやってて。中学のときにはもう結構エスカレートしていて……もう時効だと思うからアレだけど(苦笑)、ホームから線路に落としたり、火炎放射やったりとか、フォークで刺したりとか。

ーーじゃあ、当時から好きだったのは、やっぱりザ・シークとか(アブドーラ・ザ・)ブッチャーとか?

社長 うん、どっちかというとヒール寄りですね。ストロングスタイルは好きじゃなかったな。全日本だったらブッチャー、シーク。新日本だったらタイガー・ジェット・シン、上田馬之助みたいな感じで。国際だったらアレックス・スミルノフ、オックス・ベーカー、ジプシー・ジョー!

ーーやっぱり社長はレスリングで魅せる選手よりも、プロレス特有の凶器とか反則攻撃を使って魅せる選手が好きなんですね。

社長 そうですね。たぶん根っこからそういうものが好きなんだろうね。

毒美代表がバカ社長に怨霊を紹介したのをキッカケに666旗揚げへ

ーーなるほど。怨霊選手と気が合うのも分かりますね(笑)。そもそも怨霊選手と知り合ったキッカケはなんだったんですか?

彼岸花毒美(以下毒美)私が怨霊をライブに連れていったんですよ。社長がプロレスを好きだって聞いたんで。

社長 そうそう、もともと代表にイベントを手伝ってもらったりしていたんだけど、そこで代表に怨霊選手を紹介してもらって。

毒美 怨霊の出で立ちがパンクっぽいんで、パンクスなんかじゃないかと思って。

社長 ズタボロの作業服着て、白塗りで、きっとハードコアとか好きなんだろうなと思ったら、実際は全然(音楽のことは)分からなかったっていう(笑)。

怨霊 ……。

怨霊

ーー社長は毒美代表から怨霊選手を紹介されたとき、怨霊というプロレスラーは知っていたんですか?

社長 知ってましたよ! (レッスル)夢ファク(トリー)で死神選手とやってる頃から知ってましたよ。W★INGとかFMWとかは結構足を運んでいたし、インディーのそういう選手をライブに呼んで、バンドとプロレスの融合が出来るんじゃないかって当時から演奏中に乱闘したりしてましたよ。最近はそういうのやる人も多いけど、その頃は結構センセーショナルだったと思うし。

ーーかなりプロレスと近い距離にいたとはいえ、実際にご自身がリングに上がってプロレスラーになるってことには、結構覚悟が必要だったと思うのですが……

社長 最初は怨霊選手の悪徳マネジャーの予定だったんですよ。

ーーええ! KY若松的なポジション?

社長 そ、そうですね(苦笑)。どっちかと言うとポール・ベアラー(※ジ・アンダーテイカーのマネジャー)とかそっち系を狙っていたんだけど、「社長、出ちゃえば?」って言われて「そう? じゃあ、やるやる」みたいな軽いノリで。でも、そこからいざやるとなったら基礎から覚えないといけないんで、結構練習行ってましたね。

ーーどの辺でどんな練習をしていたんですか?

社長 当時のJWP道場で、受け身とかひと通りやりましたね。当時は所属選手は自分と怨霊選手の2人で、スタッフも(毒美)代表くらい。とりあえずこの3人で666を立ち上げて、あとは他から手伝ってもらって。で、レギュラー参戦していた中に宮本(裕向)とかがいたのか。

毒美 いまでこそ当たり前ですけど、学生プロレスの試合も入れたんですよ。当時は666が一番最初だと思いますよ。

社長 学生プロレスって言えば、学生プロレスでは当たり前だった場内実況&解説をやるスタイルを導入したのもうちが一番最初だし、凝った映像を流して、それに噛み合わせたプロレスをやったのも当時はうちくらいでしたからね。

ーー今でこそどれもポピュラーな感じですもんね。

毒美 学生プロレスを出すことが、そもそも絶対NGだったんですけど、怨霊が学生プロレス出身だったんで、「うちは関係ないよ。面白いから出そう」って言って。映像も当時はWWEはやっていたけど、日本の団体でやっているところはあまりなかったから。試合(を撮影するの)とは関係ない映像とかは、セーラーチェンソーっていう映像集団が社長の知り合いでいたんで。

社長 テレビのパロディとかどんどん取り込んでやってたね。

ーー社長が長年の音楽活動で作った人脈とか演出やアイデアを666に取り込んでいったんですね!

社長 そうそう。

毒美 逆に怨霊以外にプロレスと接点のある人間が全然いなくて。裏方をやる人もいなかったから私が(団体の)代表になって裏方も全部やってましたね。

ーーすごい少数精鋭での旗揚げだったんですね。

メチャクチャだった旗揚げ戦! 大成功だけど赤字に…

社長 (旗揚げ戦を)やる場所どうするって話になって、竹ノ塚のバトルスフィア東京になって。団体カラーを全面に出したかったんで、鯨幕を会場全体に張って、スタッフは喪服着て、お線香をガンガン焚く。とりあえずプロレスのタブーな部分をガンガン突いていこうと思ったんですよ。で、試合で花火とかガンガン使ったら、案の定お客さんからも他団体からも大ブーイングというか、「あんな奴をリングに上げるな!」と言われましたよ(苦笑)。

ーーいまでこそ芸能人とかがリングに上がっても、プロレスを舐めていなければそう叩かれることはないですが、当時は……

社長 最初の頃はすごい言われましたよ!

毒美 鳥インフルエンザの時なのにニワトリ出したりしたし、豚の生首とかも……

山田太郎(以下山田)旗揚げ戦はメチャクチャでしたねぇ。僕、お客さんとして観に行ってましたけど、お客さんの一人が社長の試合中に失神してましたから(苦笑)。

社長 自分は子供の頃からプロレスが好きで、プロレスラーにもなりたかったら、プロレスを舐めたことなんてない。でも体は小さいし、キャリアもないけど、出るからには勝たないといけないっていう気持ちだったんで、もう本気で●すつもりで行きましたからね。

ーー社長の試合は毎回鬼気迫るものがありますが、あれは「どんな手を使ってでも勝ってやる!」っていう勝利に対する執念みたいものが強いんですね。それが旗揚げ当初は見ている側になかなか伝わらなかった。社長としてはリングに上がる前からある程度、批判されるのは想定内だったんですか?

社長 もう「素人をリングに上げるな!」とか何年か言われましたよ! プオタからほかの団体の選手、スタッフ……あらゆる人に最近まで言われてましたよ(笑)。でも、もうシメシメと思いましたね。叩かれまくったほうが逆にこっちも燃えるし、話題にもつながるんで。

ーーじゃあ、旗揚げ戦から狙いが的中というか、大成功だったんですね。

社長 ……まぁ、はい。でも団体的にはリングが燃えちゃったりとかで大変なことになっちゃった。

毒美 超満員札止めだったし、ブーイングする人もいれば、大絶賛する人もいて、それは(旗揚げ戦としては)よかったんですけど、リングのマット代で結局赤字になったという……

社長 そこからバトルスフィアの社長とガチな抗争が始まったんですよ! リングのマットを燃やしちゃった時点で、次やらせてもらえない状況だったんで。

毒美 バトルスフィアのリングマットを燃やしてしまったんですけど、こちらで弁償して「次からはやりませんので」ってことで、どうにか旗揚げ2戦目もバトルスフィアでやらせてもらえることになったんですよ。

(注)CGです

ーーでも社長としては、いざ試合になってしまうと、そういうことが頭の中から吹っ飛んでしまうと……

社長 スイッチ入っちゃうと止められないんで、事前に会場側と「ここまではいい」と決めていたことから大きくはみ出しちゃう。それでまた(会場側と)揉める。そのせめぎ合いというか、抗争が初期の裏メインでしたね。

毒美 でもそれは社長とライブハウスもそうなんですよ! 誓約書まで書いたのに、結局ライブでそれ以上のことをやっちゃう。

社長 でも誓約書を書くときは、本当にすみませんってつもりで書いてるんすよ。でも現場でスイッチが入ってしまうと、もうどうにもならない自分がいるんです(笑)。

ーーそんなこんながあって、なかなか厳しい状況の中、旗揚げから1年が経ち、初のビッグマッチであるディファ有明大会が2004年12月26日にディファ有明で行われたわけですが……

毒美 それが社長が一番歯止めの利かない大会になっちゃった!

社長 ハハハハハ

ーーまあこの大会はプロレス界でも伝説というか、ディファ側から使用禁止っていう……

社長 まあ当然ですね。自分が(会場の)管理人だったら絶対そうしますもん!

【第2回につづく】

ザ・クレイジーSKB

ザ・クレイジーSKB

日本一危険なインディーズ・レーベル「殺害塩化ビニール」の社長であり、暗黒プロレス組織666の社長。通称「バカ社長」。QP-CRAZY、猛毒、恐悪狂人団、ハイテクノロジー・スーサイド 、怪奇!!動物アジテーターのボーカル。殺(KILL)のノイズギタリスト。
2003年12月13日に怨霊と666を旗揚げし、同大会でプロレスラーデビュー。現在、バカ社長の試合は様々な事情により、バトル・ニュースでもニコプロでも報じることが出来ないので、バカ社長の試合が見たければチケットを買って会場まで行くしかない。

殺害塩化ビニール
暗黒プロレス組織666

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