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朱里ロングインタビュー【第1回】

朱里ロングインタビュー【第1回】

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2013年12月にラ・コマンダンテを破り、WNC女子王座、REINA世界女子王座、そしてCMLL-REINAインターナショナル王座の三冠王者となった女子プロレスラー・朱里。
その後、2014年1月には第二の故郷であるフィリピンで大会を開催、2月には自身がエースとなる新生REINA女子プロレスの旗揚げ戦を行い、3月には立ち技格闘技イベント『Krush』の王座決定戦で勝利し、初代Krush女子王者となり、プロレスの三冠と合わせて四冠王となった。
さらに4月には舞台に出演して主役を演じた直後、メキシコに渡ってメジャー団体CMLLのアレナメヒコ大会にチャンピオンとして出場した。
プロレスの王者としてアレナメヒコでタイトルマッチをやるまでの選手でありながら、キックボクシングでもいまだ負けなしでチャンピオン(2014年5月現在)……これだけの偉業を成し得た選手が、あのファイティング・オペラ『ハッスル』出身なのをご存じだろうか? レイザーラモンRGに「KG(カラテガール)」と命名され、ミニスカポリス風のコスチュームでハッスルしていたあの選手だ。朱里がなぜKGとして『ハッスル』でデビューすることになったのか、まずはそこから聞いてみることにした。
【取材・文/佐瀬順一】

ーー朱里選手といえば、元々は『ハッスル』でKG(カラテガール)としてデビューしたわけですが、空手はいつ頃からやっていたんですか?

朱里 そうですね。小学校1年から中学までやっていて、一応黒帯を取って全国大会まで出場しています。

ーーその頃ってプロレスに興味はあったんですか?

朱里 まったく見たことなかったです。テレビでもやっていなかったし、プロレスがどういうものかも分かってなかったですね。

ーー『ハッスル』に出るようになったキッカケは『ハッスルオーディション』ですよね? なんでまったく興味もなかったプロレスのオーディションを受けようと思ったんですか?

朱里 当時は舞台とかイメージモデルの仕事をやっていたんですけど、事務所の人から「ハッスルオーディションっていうのがあるんだけど、まあ受けてみなよ」って言われたんです。でも「ハッスル? プロレス? なんですかそれ」みたいな感じだったんですけど、「とりあえず行きなよ」って言われて。それでオーディションを受けてみたんですけど、アピールポイントみたいなところで空手の型を見せたんですね。

ーー何も知らずに受けたプロレスのオーディションで、小さい頃にやっていた空手がアピールポイントになるとは。何が起こるか分からないもんですねぇ。

朱里 はい。そのときはまだ公のオーディションじゃなくて、その前の段階で。いろんな事務所からタレントの子がオーディションを受けに来て、私を含めて何人かのタレントの子が合格したんです。

ーーハッスルはインリンさんは別格としても、海川ひとみさんとかも参戦して話題になっていましたね。それを見てタレントをハッスルに出そうとした芸能事務所はたくさんありそうですね。

朱里 私のときは7人くらい合格したんですけど、どんどん辞めていっちゃって。結局、自分だけ残ったんですけど、3か月くらいでデビューしたんですよ。

ーーあ、デビューまでそんな早かったんですか。プロレスの練習は誰に指導してもらったんですか?

朱里 TAJIRIさんですね。あとはKUSHIDAさんや\(^o^)/チエさんにも教えていただきました。

ーーでもプロレスをまったく知らずにとりあえず受けてみたオーディションに受かって、プロレスをすることになったというのは、当時タレントだった朱里選手的にはどういう心境だったんですか?

朱里 芸能をやりたかったんで、ハッスルに受かって自分の名前がそこで売れれば嬉しいなって思ってましたね。

ーーじゃあ当時はまだ芸能活動の1つみたいな感じ?

朱里 そうですそうです。

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KGはアイドル的要素も担いながら、空手殺法に加えてルチャ的な動きも見せ、大会前半の“ストロング・ハッスル”を盛り上げていた

「何でこんなことやってるんだろう」と思いながらも辞めなかったのは…

ーーKGは当時人気絶頂だったレイザーラモンのお二人と絡むことが多かったですよね。まあハッスルはプロレスというか、まさしく“ファイティング・オペラ”という独自のものだったけど、やっていてどうでした?

朱里 やっぱり最初はいっぱいいっぱいでしたね。プロレスのことも知らないし、どんなふうにやっていいかも分からないし。しかも一番下っ端なんで雑用とかもすごくて。高田延彦さんとか天龍(源一郎)さんとか川田(利明)さんとか、基本的には上の選手しかいないところに入っちゃったので、コスチュームからタオルからシャンプー、リンスまで、全部私が用意しないといけなかったんです。もうそれが本当に大変で……

ーー朱里選手1人でやっていたんですか?

朱里 途中でチエさんとKUSHIDAさんがハッスルから抜けてしまったので、下っ端が私1人になっちゃったんで。本当に泣きそうになりましたね。一度サポーターを忘れてしまったことがあって、そのときはもう「死にたい!」って思いましたね(苦笑)。もう本当に怖くってヤバかったですね。試合に集中したいのに、雑用が多過ぎて。試合でもいっぱいいっぱいだし、もう精神的に追い詰められたし。給料は1年10か月くらい未払いだったんで、深夜バイトしなくちゃいけなくて……そのせいで体調悪くなるし。

ーーおー、出て来る、出て来る(笑)。それだけキツイ状況で、よく逃げ出さなかったですね。

朱里 もう本当にそれは思いますね!(苦笑)もう交通費も出なかったので、帰るお金もなかったから一度道場に泊まったことがあるんですよ。

ーーハッスルの道場? いまZERO1の道場になっているところですか?

朱里 そうです。真冬だったし、あそこ倉庫だから変な音がするんですよぉ! めっちゃ怖くって。3〜4人で泊まったこともあったんですけど、もう一人では無理だなって思いましたね。そんな状況の中でも朱里っていう名前を売れる場所、応援してくれるお客さんがいるってことが本当に嬉しかったし、それがあったから辞めないでいられたと思いますね。もう「辞めたいです!」っていう言葉は喉まで来てましたから。

ーー下積み経験はそのときがはじめてですか? 空手やっていた頃とか学校の部活動とかは?

朱里 元々体育会系だったんである程度は経験ありますけど、ハッスルのときは度が違いましたね(笑)。

ーーまたハッスルは特殊でしたからね。レジェンド級の大物がいたり、芸能人がいたりするごちゃ混ぜの環境の中、ハタチそこそこの女の子がすべての雑用をやるっていうのはね……

朱里 そもそもプロレスラーになりたくて入ってきているわけではないので、「何でこんなことやってるんだろう」っていう思いはありましたね。

ーーそれでも辞めなかったのは、芸能活動をしていたころはなかなか味わえなかった、リングというステージ上でスポットライトを浴びて、自分への声援がたくさん飛ぶ、ある種レスラーとしての快感みたいなものを味わったからですか?

朱里 そうですね。やっぱり芸能をやっているときに花開かなかったので。それでハッスルに入ってキツイ部分もいっぱいあったんですけど、両国国技館とかさいたま(スーパー)アリーナとか大きなところでやらせていただいて、リングに上がれる、たくさんの人に応援してもらえるっていうのはすごい自分の中でデカかったですね。やっぱりハッスルがあったからこそいまの自分があるし、あの時すごいキツイことを味わったからこそ、ちょっとしたキツイことなら乗り越えられるっていうのはありますね。

ーーそういうキツイ下積み経験をしながら、ハッスルではKGとしてアイドルレスラー的な一面もあったけど、試合に関してはどうでしたか? 空手とも違うし、わずか3か月の練習期間でデビューしたっていうのもあるし、相手は女子選手限らずその頃から男子レスラーと対戦したりもしてましたが。

朱里 うーん、ハッスルだったってこともあるかもしれないですけど、プロレス=会陰ターテインメントっていう思いが自分の中にあって、舞台と同じだなって。練習して身に付けたものをリング上で出すって部分は、役者のときと一緒かなって。まあその当時はネットでいろいろ書かれて凹みましたけど(苦笑)。いまは全然気にしないですけど、あの頃はいろいろ考えたりしましたね。KGのときは空手の型とかもしましたけど、ルチャっぽいクルクル回る動きもやっていたので、いまとまったく違いますね。

ーーでもKGの注目度もちょっと上がってきて、これから面白くなってきそうなところでハッスルが活動休止になってしまいましたが、そのときは不安とかありましたか?

朱里 うーん、何かプロレスをやるのと平行してキックボクシングの練習もやっていたんですね。キックのジムにも行っていたのにプラスして、(総合格闘家の)小路晃さんに総合格闘技のことも教えていただいていたんですね。フィジカルトレーニングとして小路さんを担ぎ上げて階段昇ったりしてましたね。

ーーあー、ファイアーマンキャリーで担いで階段の昇る練習とかしてましたね!

朱里 もう死ぬかと思いましたよ(苦笑)。そういうトレーニングをしていたので、キックの試合も出たいなとは当時から思っていたんですね。でもTAJIRIさんからは「プロレス一本でやってほしい」みたいなことを言われて。小路さんは(キックの試合を)やらせてもいいんじゃないかって言っていて、私にとっては結構ストレスになっていたんですね。

ーー雑用やら練習やらある上に、さらに間に入って板挟み……

朱里 ちょうどそのときにハッスルがなくなってしまって……。で、小路さんに「このタイミングでキックの試合に出てみよう」って言っていただいたんで、JEWELSに初めて出させていただきました(2009年12月11日、JEWELS 6th RINGでのシュートボクシングルールでのASAKO戦)。

TAJIRIさんがいたからプロレスラーになった。だからSMASHへ

ーーそのほぼ同時期にSMASHが設立されましたね。

朱里 そうです。TAJIRIさんからいまパンクラスをやられている「酒井(正和)社長がSMASHっていうのを立ち上がるから一緒にやろう」って言っていただいたので、またプロレス出来るんだって思いましたね。

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SMASH設立会見の際、女子の所属選手は朱里だけだったが、その後真琴やリン・バイロンらが加わっていった

ーーハッスルが大きな規模でやっていた頃も知っている朱里選手としては、当時はまだ勢いのあった格闘技に専念するっていう考えはなかったんですか? SMASHは酒井代表の会社がスポンサーとしてついていたとはいえ、ハッスルと比べると人数や規模はどうしても小さくなってしまいましたし。

朱里 まあそうですね。でも自分の中でTAJIRIさんっていう存在がデッカくて。やっぱりTAJIRIさんがいたからプロレスラーになったというか……。自分が最初のオーディションを受けたときに、ほかの審査員の方は「あの子はそんなに良くないだろう」って言っていたらしいんですけど、TAJIRIさんは「あの子は良くなる」みたいなことを言ってくださって、自分をプロレスラーに育ててくれたっていうのがあるので、やっぱりTAJIRIさんについていきたいっていう気持ちがあったので。あとKGとしてプロレスラーを2年くらいやっていたんですけど、辛いこともいっぱいあったけど、いまここで辞めちゃうのはもったいないっていうのもありましたね。

ーーなるほど。師匠への信頼を感じさせますねぇ。その辺からプロレスとキックの二足のわらじが始まるわけですが、出たかったキックの試合も出られたし、ストレスも減ってうまく両立出来たんですか?

朱里 それがキツかったんですよ!

ーーおぉ、意外!

朱里 TAJIRIさんはやっぱりプロレス一本でやってほしかったようで反対していて、自分の中でもプロレスの対する自信が、KGとして2年やってきたっていう部分しかなかったので、格闘技と平行してやるだけの技量がないなっていうのは感じていて、すごい悩んだんですよ。で、最終的にこのままじゃダメだと思って、1年間キックボクシングにオサラバしたんですよ。

ーーあ、そんな時期があったんですか!

朱里 はい。SMASHの時期、1年間はプロレスの専念して、営業もやったし、試合も練習もプロレスに集中してやっていたら、プロレスに対して自信がついたんですよ。試合で魅せるっていう部分でも1年間みっちりTAJIRIさんに教えていただきましたし、だいぶ自信がついたなって思った頃にまた格闘技の練習を始めたら、これなら2つ出来るなって思えたんですね。

ーーSMASHになってからはリングネームも朱里になりましたし、いまのスタイルの原型が出来てきたというか、旗揚げ戦の里村(明衣子)戦をはじめ、華名選手、さくらえみ選手、米山香織選手、セリーナ選手など強豪選手とガッチリ当たっていましたよね。

朱里 ちゃんと女子プロレスラーと関わり出したのはその辺からですね。ハッスルのKG時代は確かにありますけど、いわゆる“プロレス”をやったなぁと思えるようになったのはその辺からですね。

第2回につづく

朱里(しゅり)
神奈川県出身。2008年10月にファイティング・オペラ『ハッスル』で「KG(カラテ・ガール)」としてデビュー。ハッスル活動休止後はSMASHに移籍し、リングネームを「朱里」に改名。2009年12月にはJEWELSに参戦し、シュートボクシングルールの試合に出場。
2012年1月からは立ち技格闘技イベント『Krush』に参戦。同年4月にSMASHからWrestling New Classicに移籍。2013年11月にWNCがREINAと提携したため、WNCとREINA女子プロレスの二団体所属に(キックボクシングの際はボスジム所属)。

緊急決定!
2013年7月23日に東京・後楽園ホールで行われる『Krush.43』で、Krush女子王座の初防衛戦を行うことが決定した朱里。
そこで今回のインタビューであまり詳しく聞くことが出来なかったキックについて、タイトルマッチを前にしての心境などを、急遽、朱里自身がコラムで執筆することになった。
タイトルマッチ前までの期間限定連載となるが、試合後の感想を綴った“ボーナストラック”も一応予定している。コラムは毎週金曜日更新、第1回は6月6日(金)更新予定なのでお楽しみに!

【期間限定掲載】

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