「2人で話したことは5分以下しかない」という長州と高田が、トークイベントで再会!両者の歴史を濃密に語り合う!
5日、都内でDVD付きマガジン『燃えろ!新日本プロレス』が100万部突破と創刊1周年を記念し、発売元である集英社が主催となって長州力と高田延彦の2人によるトークイベント『長州力×高田延彦~今こそプロレスのSOUL(魂)を熱く語れ!!』が開催された。
さすがにビッグネーム2人の共演という事もあり、イベント開始の2時間前にはわずかに用意された当日券もなくなり、会場は40代以上の団性ファンを中心に超満員470人の熱気が渦巻く空間となった。ちなみに今回MCを勤めた水道橋博士さんによると、高田は「2人で話したことは5分以下しかない」と語っていたとの事。詰めかけた470人のファンにとっては、まさに歴史の証人となれた時間であったろう。
イベントは博士さんの後輩であるオフィス北野の"時事芸人"プチ鹿島さんが登場して、サイパン焼け、黒いタイツ、白いリングシューズならぬ白いソックス姿の博士さんを呼び込んでスタート。『小沢一郎=長州力』説、『木嶋佳苗=ヒクソン・グレイシー』説などを持ちネタとする鹿島さんが書記として壇上でホワイトボードを使って補足される事や、博士さんが事前に用意されていた『最強のふたり』と題された長州、高田それぞれの年表をサブテキストとしながら進行される事が説明された。
年表順というところから高田よりも約10歳年長である長州が、ジャケットにノーネクタイ姿で『パワーホール』と共に入場する。ここで鹿島さんが『小沢一郎=長州力』説をぶつけてみたものの、苦笑いで「あまり関係ないですね」と一蹴。続けて博士さんが長州、高田共に少年時代は守備の要であるキャッチャーをやっていた事に、団体を背負うものとして共通するものがあるのかどうかを尋ねてみたところ、これまた「そういうアレはなかったですね」とこれまたあっさり一蹴されていた。
年表を辿りながら高田の誕生年になると、『トレーニング・モンタージュ』の中、ジャケットに白いTシャツ姿の高田が登場。大先輩である長州の横に座る事に「私がここに座ってもいいものか。自分では役者不足」と謙遜しながらも、「若手の頃に私が"おいた"をした時に何度『アイツを食らわせろ』と指示を出された事か」と長州に対してきつい牽制球を投げつけていた。ちなみに長州はこれを笑顔で完全否定していた。
10歳の年齢差、入門時期の7年のズレという事について長州は、「入門の動機は自分の場合『食うため』だったけれど、高田は憧れの気持ちからだろう。自分には憧れという感情は全くなかった」と世代の違いを指摘。また博士さんからの「ゴッチ教室の落第生」という過去の発言についてや、ローラン・ボックとの武者修行時代の対戦など、興味深い話はいくつも続いていく。一部のオールド新日本ファンの『ローラン・ボック最強説』については、ボックの強さを否定するわけではないものの、プロレスラーとしてその強さへの恐怖を感じた唯一の選手としてウィレム・ルスカの名前を挙げていた。
その憧れで新日本プロレスに入門した高田だが、博士さんは中学生の多感な時期に猪木が異種格闘技戦を連発していたことが、高田のDNAに「プロレスラーはあらゆる格闘家と戦うもの」という認識を刷り込んだのではないかという推論を披露し、これに高田も同意したものの続けて長州に対して、「この時期海外修行中で、格闘技戦の現場にいなかった事が、高田選手とのプロレス観の違いになっているのでは?」という推論については「あまり関係ないですね」とあっさり否定。さしもの博士さんも長州の牙城をなかなか崩せないでいた。その後も博士さんも『デスク吉田』という案で投稿したという、長州力のリングネーム公募についての話から、いよいよ高田のデビュー以降の話も語られていく。
当時の高田について長州がイメージするのは故・山本小鉄さんと練習後に道場の前でキャッチボールをしている姿だという。もっとも高田本人は大先輩である小鉄さん相手だったため、「気を遣うので楽しくはなかった」と述懐。またこの時期に長州に呼び出され、「お前はプロレスのセンスがないから辞めろ。山崎(一夫)はセンスがあるけど」と言われた事があり、それがこれまで話した5分のうちの数分なのだそうだ。もちろん長州はこれを完全否定していたが、このエピソードに限らず感情の赴くままに話しているので、あまりその時その時の言葉は覚えていないとも語っていた。
高田は若手の頃アントニオ猪木の付き人を勤めていたが、任命された時はとても嬉しかったものの、あまりにも多忙な猪木に付いている事の大変さをすぐに知る事になったという。特に大変な思い出がマッサージで、筋肉のやわらかい猪木にはかなり力を入れてもあまり効かなかったため、猪木がそのまま寝てしまっても勝手に止めるわけにもいかずにそのまま続けていた事などを軽妙に語っていった。
長州を一躍注目の人とした『かませ犬』発言について、記憶が定かではないのでマスコミが作ったものかも知れないが、それ以上の感情は持っていたとの事。全日本プロレス登場についてはインパクトを取るのは楽だった事や故・ジャイアント馬場さんと触れられた事が良かったと語り、故・ジャンボ鶴田さんとの唯一のシングルマッチについてはスタミナは全然向こうの方が上で、試合後にはもう2度とやりたくないと思った事などを告白。
また全日本マットで激しい抗争を繰り広げた天龍源一郎については「源ちゃんとやるのは楽。本人が聞いたら傷つくと思うけど」と語ると、天龍との対戦で年間最高試合を受賞した事もある高田は、「天龍さんは巧いもんね。自分がどんどん吸い込まれていく感じだった。全く接点がなかったので、いざやれるとなった時は迷いなく飛びついた。しっかり準備をして、自分自身よく反応できたので今でもやって良かったと思っている」と語った。
それ以降もTPGのこと、11・19蹴撃事件と言われる6人タッグマッチの事などが、実際にその場にいた両者の証言のように語られていく。しかしそれについても長州は「ああいう殺気が今のプロレス界に必要などという気持はない。選手は今の流れで頑張っているのだから」と後輩に対する思いやりを見せた。
ここから新生UWFの旗揚げ、1億円トーナメント、新日本プロレス対UWFインターナショナルの全面対抗戦についての思い出も語られていくが、ここでも長州は「プロレス界では高い波が来ても、それに乗れるのは1人しかいない。あの時の高田はまさにそうだった」と賛辞を送っていった。
イベントは当初休憩を挟み、ファンからの質疑応答も予定していたが、あまりにも濃密な歴史語りに2人の格闘技人生の半分も進行しないで終了の時間が来てしまう。シークレットゲストとして藤波辰爾ものまねの第一人者であるユリオカ超特Qさん、主催である集英社の週刊プレイボーイ誌で働いていた事もあるという長州の実娘である吉田ユリさんもエンディングに駆けつけ、ファンにとっては至福の時間が終わる事となった。
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