手が届かないところまで
去る6月13日は三沢光晴さんの三回忌だった。
筆者はいまさらながらプロレスが大好きだ。運良くうまその大好きなプロレスの仕事をさせてもらっている。まぁ仕事をしていれば、楽しいことも嫌なことも山ほどある。
そして辛いのは、やはり訃報だ。筆者が携帯サイト(バトル・ニュースの前身であるバトル三昧)の記者になって、ほぼ最初の取材が"破壊王"橋本真也さんの訃報会見の取材と葬儀の取材だった。
ご多分に漏れず新日本プロレスの東京ドーム大会やG1クライマックスなどを、欠かさず会場に観に行っていた筆者にとって、橋本選手は平成新日本の強さの象徴であり、新日本プロレス最後の切り札だった。
さらに編集者になってから、運良く武藤敬司と蝶野正洋にはインタビューする機会があり、あと橋本選手と仕事をする機会があったら、個人的には闘魂三銃士コンプリートだったのだ。そして、実は橋本選手が亡くなる2005年頃、筆者にはある出版社から「橋本真也の自伝を作るという企画があるんだけど」という依頼があった。
つまり、もう三銃士コンプリートは目前だったのだが、突如橋本さんは亡くなってしまった。自伝もまだ企画段階だったため、一切執筆などはしておらず、当然その後出版されることはなかった(何でも橋本選手の前妻が近々本を出すらしいが......)。
そんなこともあって、何だかもうよく分からないまま橋本選手の葬儀などを取材したのをよく覚えているが、逆に三沢選手には記者としても編集者としても、まったくと言っていいほど縁はなかった。
いまでもそうだが、プロレスリング・ノアが基本的に携帯サイトの取材を許可していないこともあり、ノアの会場に取材に行けないという部分も大きい。
だが、それだけにノア、とくに三沢選手に関しては、1プロレスファンとして純粋に見てきた思いが強い。
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