【会見全文】アントニオ猪木さんが旭日中綬章を受章!弟・啓介さんと孫・寛太さんが生前のエピソードを語る

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 23日、東京都・参議院議員会館にて、アントニオ猪木さんが位記・勲記勲章(位階:従四位、勲章:旭日中綬章)を受章した。

 アントニオ猪木さん(本名:猪木寛至さん)は1960年に日本プロレスでデビューし、1972年に新日本プロレスを旗揚げ。新日本プロレス離脱後には格闘技イベント『INOKI BOM-BA-YE』や『イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)』などを立ち上げて活躍した。参議院議員やタレントとしてTV出演の機会も多く、プロレス・格闘技ファンでなくとも猪木さんの『1!2!3!ダー!』のフレーズは全国民が認知していると言って過言でない。

 猪木さんは2022年10月1日に全身性トランスサイレチンアミロイドーシスによる心不全のためにこの世を去り、多くの人々が悲しんだ。猪木さんが旅立って約4ヶ月経ち、様々な人間が様々な場所で追悼イベントを行っている。

 そんな中、猪木さんが位記・勲記勲章(位階 : 従四位・勲章 : 旭日中綬章)を受勲することが発表。
 1月23日は「1!2!3!ダー!」にちなんだ日付であり、あらゆる意味で猪木さんの最大のライバルであったジャイアント馬場さんの誕生日。
 遺族を代表して猪木さんの弟の猪木啓介氏と孫の猪木寛太(ひろた)氏が受章し、受章後には記者会見が行われた。

 まずは啓介氏が受章後の想いを語った。


啓介氏「本日はこの寒い中、お集まりいただいてありがとうございます。無事、先程代理として受章して参りました。本当にこんな素晴らしい名誉ある勲章を頂いたこと、本当に心から嬉しく思っております。また兄貴も喜んでいるのではないかと思います。本当にこういう名誉ある勲章なんですけど、兄貴は色々とプロレス業界に於いても、ブラジルだ、パキスタンだ、キューバだと、色々北朝鮮も含めていろいろな勲章を頂いておりますが、日本人である以上は日本に於いていただくことが一番名誉でないかと思っております。自分も弟として誇らしく兄貴を思っております。本当に、出来ることなら生きている間にいただけたらなと思っていますが……これはもう運命ですからしょうがないですけど、だけどこうやって皆さんに愛され、本当に兄貴は喜んでいるんじゃないかと思っております。亡くなる寸前まで色々、少しですけどあんまり喋ることもできなくなっていましたから。その中でも本当に皆さんに感謝する言葉、感謝しなくちゃいけないって、常に『ありがとう』と。まあ、自分に対してもなにかやるとすぐ『ありがとう』って言ってましたけど、昔はそんなことも無かったんですけどね。『俺(啓介氏)がやるのは当たり前だ』って顔で使われましたけど、最後の兄貴は何から何にまで感謝をしていました。本当に兄貴がこんなに弱くなっちゃったのかなと思うくらい、自分としては感じていたんですけど、あの自分に対してすべて命令調で言ってた兄貴ですけど、本当に最後は……(※涙ぐんで)非常に苦しかったんじゃないかと思いますけど、本当に自分にとっては素晴らしい兄貴でした。こうやって素晴らしい勲章をいただき、本当に自分だけじゃなく、猪木家としても本当に誇りが持てる兄貴です。こうやってみなさんに感謝され、皆から愛されたってことは、本当に素晴らしかったんじゃないかと思います。本当に今日はありがとうございます」

 続いて、海外生活が長い孫の寛太氏が日本語でコメント。


寛太氏「皆さんありがとうございます。グランパも喜んでいます。母も、弟も、すごく喜んでいます。ありがとうございました」

啓介氏「寛太はまだ二十歳なもんで、まだこういう場所には不慣れだと思います。なにか質問があったらそれなりに応えられると思うんですけど、自分からなにかというのは、まだまだ子供ですんで、申し訳ありません。許してやってください」


――アントニオ猪木さんが亡くなられてから、世界中から多くの反響があったと思います
啓介氏「こんなにすごく反響があるってことは自分も思ってなかったんですけど、まあ兄貴が亡くなってからかれこれ5ヶ月経ってるんですけど、実際にもう鶴見の本山の方にも、こないだ金曜日くらいだったかな?お寺から連絡をもらって。『お参りに来ているんですよ』って。あそこの本山には石原裕次郎さんもいらっしゃって、そこはちゃんと案内が出てるんで、『アントニオ猪木の墓だと案内してよろしいですか?』というご連絡がありました。感謝ですね。こんなにお墓参りまでしてくれるなんて。本当にありがたいと思っています」

――勲章を受けたということを、天国のアントニオ猪木さんはどう感じていると思いますか
啓介氏「兄貴も喜んでると思いますよ。こうやってファンの方、いろんな先生方、推薦していただいた先生方にも本当にお礼しなきゃいけないなと。本当にありがとうございますというところですね。本当に、ブラジルに於いても色々と兄貴が勲章もらってますんで、日系人……そうですね、我々がいるときは日系人ですからね、向こうではね。ブラジルに於いては慕われていたというか、皆から好かれるってのが大事だなと。兄貴がよく言っていたのは、『人に喜んでもらうことが自分の喜びなんだ』と、そういう言葉をよく言ってましたね。よく言うように、兄貴そのものはレスラーでしたけど、争うことがあまり好きではなかったですからね。そういった点では心優しいというか、そういう人間でしたね」

――今日、1月23日という日は、猪木さんの「1!2!3!ダー!」にちなんだ日付でもあり、最大のライバルであったジャイアント馬場さんの誕生日でもあります
啓介氏「たまたま偶然、1月ということで、123っていう。また馬場さんの誕生日だったってこともありましてね。今日が誕生日なんですね。ですから、偶然って言えば偶然って感じでしょうね。これがもっと違う月であればこういうふうはならなかったと思います。まあ、決して馬場さんとは不仲じゃなかったってことじゃないですか。こうやってなにかの縁で繋がってるってことはね」

――今回の叙勲の話を聞いたときの感想は
啓介氏「もちろん、そういうふうになるとは夢にも思っていませんでしたので、やはりいただくということになると、周りが『もらえるのは当たり前だ』とてファンの人達も言っておりましたので、本当にありがたいなと思いました。残念なことに兄弟も皆健在であればよかったんですが、我々兄弟も3人しか……11人が3人しかいませんのでね。喜ぶ兄弟が。今ブラジルに1人姉さんがいて、横浜に兄貴が1人いるだけですので。この3人で喜びを分かち合おうかと思っています」
寛太氏「(※英語で)最初はこの章の話を聞いたとき、どれくらいすごい章なのか分からなかったけど、時間が経つにつれて、いろいろな人の話を聞くにつれて、すごい勲章をもらったんだなと思いました。このように、おじいちゃんが章をもらえることはすごく光栄だと思います」

――寛太さんにとって、アントニオ猪木さんはどのような存在でしたか
寛太氏「(※日本語で)9歳のとき、夏休みに東京来ました。おじいちゃんと一緒に、昼ごはんをホテルで食べました。おじいちゃんと一緒に遊びました」

――寛太さんにとって優しいおじいちゃんでしたか
寛太氏「はい」

――今後、格闘技・プロレスに関わっていきたいという思いはありますか
寛太氏「今まだわかりません。ロサンゼルスで格闘やってます、でも、多分、ボクシングの、したいです」

――今は学生さんでしょうか。将来をなにしたい
寛太氏「ロサンゼルスに住んでいて大学2年生です。車のメカニカルエンジニアに興味があります」

――その赤いネクタイは、おじいさんのものですか?
寛太氏「はい」
啓介氏「今、マフラーとかネクタイは、すべて彼のお母さん、寛子が全部保存しております」

――ボクシングやってみたいという発言がありましたが、今現在はボクシングをしていますか
寛太氏「今はやってません。ロスで今、水泳やってます」

――勲章をもらった理由はどういう功績を讃えられてのものだと思いますか
啓介氏「色々な方からの推薦と、プロレスラーとして色々やってきたこと、そしてイラクの問題だとか、そういうのが評価されたんじゃないかと思いますね」

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