【インタビュー】“UWF戦士” 中野巽耀がFMWとの対抗戦について心情を吐露

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 無骨な“UWF戦士” 中野巽耀が、ついに超戦闘プロレスFMW6・21後楽園大会に初参戦する。中野はアレクサンダー大塚と組み、田中将斗&リッキー・フジと、ノーロープ有刺鉄線デスマッチで対戦する。そこで、決戦を目前に控えた中野を直撃し、現在の心境を聞いた。
(超戦闘プロレスFMW)

――正直、硬派で鳴る中野選手がFMWのリングに上がるとは驚きでした・・・
「そうだね。自分でも驚いてる。船木(誠勝)や高山(善廣)たちが、FMWと対抗戦を始めたと聞いて、最初は『何で?』と思ったんだよね。でも、『俺には関係ない』と思ってた。ところが、知人や応援してくれてるファンの人たちから、『中野さんは何で出ないんですか?』と言われ出して、正直返答に困ってたんだよ。そんなとき、ある昔のUWFの仲間から、オファーがあったんだよ」

――昔のUWFの仲間からの誘いとあっては、断れなかった?
「そうだね。ファンの人たちから要望があって、仲間から頼まれたら、もうオファーを受けるしかないでしょう! 自分1人の問題じゃないし、使命感というか、自分を必要としてくれるなら、応えるしかないと思って・・・」

――UWFの対極ともいえるFMWのリングに、足を踏み入れることに抵抗はなかったですか?
「抵抗はあるよね。デスマッチとか場外乱闘とかやらないし・・・。UWFとFMWじゃ、水と油じゃない」

――試合形式はノーロープ有刺鉄線デスマッチなんですが・・・
「うーん。そういう流れになった以上、受けて立つしかないでしょう。有刺鉄線に触れなきゃいいわけだし、俺はリングの真ん中で闘うだけだよ」

――どんな試合形式でも、自分のスタイルは貫く?
「もちろん」

――大仁田(厚)選手は、有刺鉄線に囲まれて逃げ場のない試合形式は、関節技が得意なUWFの選手に有利だと主張していますが・・・
「そうだろうね。俺はもともと場外乱闘なんてしないし、ロープも使わないから、ロープがあろうがなかろうが関係ない。有刺鉄線に触れなきゃいいだけ」

――タッグを組む大塚選手と絡んだことはありますか?
「タッグを組んだことはないけど、バトラーツに参戦したときに、対戦したことはあるよ。いい選手だよ。いいパートナーだと思う」

――対戦相手の田中選手、リッキー選手について、予備知識はありますか?
「田中は、新日本で石井(智宏)とやった試合を見たことがあるけど、いい選手だね。田中との対戦は楽しみだね。リッキーの試合は見たことないから、全くわからない」

――当然勝ちを狙いに行く?
「そりゃもちろんだよ。そのためにやるんだから」

――6・21後楽園以降、FMWに上がる意向はありますか?
「先のことはまだわからない。まずは目の前の試合をクリアしないと・・・。それで、ファン、マスコミ、関係者の人たちに、『中野はまだまだ凄い』と思わせるのが、俺の役目、使命だと思ってるから。そうなれば、その先もあるんじゃない?」

――7・29には、中野選手の地元である茨城県(水戸)での大会もありますし、ファンも参戦を熱望するのではないでしょうか?
「そうだね。まずは、今度の試合をきっちり片付けないと・・・。その上で、ファンが望んで、オファーがあれば、出ることもあるだろね」

――中野選手といえば、何といっても“博多男”と呼ばれた人。今後、FMWが九州で大会を開催することがあれば、ぜひ参戦してほしいものです・・・
「ハハハ。それはもう昔の話だからね。そんな熱が今でもあるのかな?」

――FMWVSUWFの対抗戦が始まって、昔のファンが戻ってきてるんですよ。九州、福岡のファンも、中野選手の試合を見たいはずです・・・
「そうなの? そういう流れになっていけば・・・。今はそれしか言えないな」

――大仁田選手との対戦については?
「うーん。正直今は考えられないかな。引退が決まってる大先輩とやるより、俺は若くて活きのいい選手とガンガンやりたい」

――新生UWF、Uインター時代、FMWに対しては、どういう印象をもたれてましたか?
「全く眼中になかった。興味もなかった。それより、ほかの格闘技に興味があったから。勉強にもなったし・・・」

――試合はいつ以来ですか?
「去年8月18日、後楽園での垣原賢人の応援興行以来だね」

――試合数が最近少ないんですが、コンディションはどうですか?
「バッチリだよ。1年365日のうち、362日はトレーニングしてるから。自宅にはウエイトやる部屋もあるし、家の裏の方には土手があるからランニングできるし。練習環境もいい。今51歳だけど、この年でこんなコンディション保ってるのは、我ながら凄いと思うよ(笑)」

――それでは、オファーがあれば、いつでも試合をする準備はあるわけですか?
「もちろん。ただ試合のときに体をピークにもっていけるように調整したいから、1カ月はほしいんだよ。俺だけの問題じゃなく、サポートしてくれる人の都合もあるからね。俺は試合の日は、集中したいから車の運転もしないからさ」

――FMWにレギュラー参戦してる那須(晃太郎)選手と、以前、ガッツワールドのリングで何度か対戦されましたね・・・
「あったね。元気があって、おもしろい選手だったね。潰しがいがあったよ」

――FMWのリングで那須選手と再戦ということもあるかもしれませんね?
「うーん。俺はできたら、やったことある選手より、やったことがない選手と対戦したいんだよ。FMWに俺たちのスタイルに対応できる選手はいるの?」

――保坂(秀樹)選手、(雷神)矢口選手、橋本(友彦)選手などは、バックボーンが格闘技ですが・・・
「そう。闘ってみないとわからないけど、FMWのリングでやっていく中で、『コイツは違うな、強いな』という反応があるかどうか・・・。そういう選手が出てくる楽しみもあるよ。マイナス思考じゃダメだから、上がる以上はプラス思考で行きたいね」

――昔の話になりますが、第1次UWFに入ったのは、どういうきっかけだったんでしょうか?
「中学のときに、どうしてもプロレスラーになりたくて、まだ子どもだから、どうやったらなれるかわからないわけよ。地元の茨城の知人に、国際プロレスに関係してる人がいて、それを頼りに、後楽園ホールに見に行ったんだよ。控え室でラッシャー木村さんに、『入門したい』と、あいさつさせてもらったんだけど、後で断られた。それで、中学を出て、上京して、錦糸町の遠藤光男さんのジムでトレーニングして、チャンスを待ったんだけど、国際は潰れちゃった。そんなとき、ユニバーサル・プロレス(第1次UWF)ができて、新人募集をしてたんだよ。木村さんもいたから、履歴書に過去のいきさつも書いて・・・。それで、テストを受けて合格しました」

――同期生で、現役で残ってる選手はいますか?
「誰もいない。安生(洋二)や宮戸(優光)が入ったのは、俺のだいぶ後だから」

――当時、指導を受けていたのは、やはり藤原(喜明)さんですか?
「そうだね。藤原さん、前田(日明)さん、高田(延彦)さんだね。高田さんの練習量は凄かった。俺の場合は、すぐ上の先輩が高田さんや山崎(一夫)さんで、キャリアが違うから、気を許せる先輩がいなかったのがつらかった。でも、そういう環境だったから精神的に強くなれて、やって行けたんだと思う」

――Uインターと新日本の対抗戦が始まったとき、抵抗はなかったですか?
「ないよ。むしろ、テレビも付いているし、『これをチャンスと思って、プロとして商品価値を上げたい』って思ったね。そのときは・・・」

――Uインターを退団されたときの事情は?
「そのときは、WARで天龍(源一郎)さんと一騎打ちやって、次の日にUインターの日本武道館大会があって、それで辞めたんだよ。平成8年(1996年)5月かな。ゴールデンカップスというのを安生たちがやり出して、リング上で、ふざけたことをやるようになったんだよね。これはもう、今まで見に来てくれたファンの人たちにとって、『違うだろ!』って、申し訳ない気持ちになって・・・。一区切り付けて、新しい道に挑戦しようと思って、フリーになった」

――フリーになられて良かったですか?
「俺は良かったと思ってる。いろんな団体で試合できたし、総合格闘技に出て、ボロクソに負けたこともあったけど・・・。それでも、プロレス界全体を見渡せたし、世間に対する価値観も変わったし、良かったよ」

――何歳くらいまで、現役を続けたいと考えられてますか?
「60歳まで、今のコンディションを維持できて、貫けたら凄いと思うよ。そしたら、世間からも一目置かれるでしょ?」

(記事・写真提供 超戦闘プロレスFMW)

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